「北海道の夏は快適だったけど、関東で育った俺に、冬はきつかった」
「もう聞いただけで嫌」

ぎこちないながらも私たちの付き合いは順調だった。
橘君がいつでも気を使ってくれていた。
それがかえって私の重荷になることがあって、その時は、少し距離を置いてくれた。
そこまでして付き合わなくても、彼ならもっといい人がいるはず。でも、橘君が好きで、誰にも渡したくない。そんな行ったり来たりの気持ちで、葛藤しながら付き合っていた。


「ほら、今思ったことを会話にして」

しばらくの橘君の口癖となった。
いつでも心の自分と、問いかける自分との対話しかしてこなかった私は、口から自分の思ったことを表現することが苦手だ。
この気持ちを素直に打ち明けると、

「恋愛ってさ、そういうもんじゃん? 嫌われたくないから、いろいろと自分の中で戦ってるし。俺なんか」
「そうだったの?」
「そうだよ。いつでも不安だ」

そうか、こういう不安定な気持ちもあることが恋愛なんだ。
私はてっきり、ずっと幸せで、悩みなんかないことが恋愛だとおもっていた。

「橘君に恋愛相談するなんてね」
「ほんとだ」

彼にはこうして助けてもらう毎日だ。

「ご飯はどうしていたの?」

簡単な会話ものみ込んでしまいそうになると、橘君の目を見て、会話が途切れたところで自分の思ったことを口から出した。

「動物園の食堂か、先輩の家で奥さんの食事を食べたり、インスタントで済ませてた。冬はさ、寒冷地手当って言うのが出て、びっくりした」
「へえ」
「その手当がないと、給料のほとんどが灯油代に消えちゃう」
「そんなに」
「もう、仕事で行きたくない」
「聞いただけで、私も行きたくない」
「そうだろ?」

会えなかった時間分の話は尽きなかった。
探りをいれる彼女の様で、北海道での生活を聞きたくなかったけれど、橘君が「俺に興味がないみたいだ」とスネて、思い切って聞いてみたりした。

「はがき……」
「うん」
「手紙にしよう、電話しようか、何日も迷って」
「うん」
「声を聞いたら帰りたくなっちゃうから、はがきにしたんだ。手紙だと、物語くらいの熱さになっちゃいそうでね。はがきにしたんだ」
「……待ってたわ、ずっと」
「本当に?」
「はがきが来なくなったら、自分の気持ちに区切りをつけようって。そう思ってたの。それで来なくなったから、何度も読み返していたはがきをしまったわ」

リボンに結んで押入れにしまったあの日。
しまうのもつらかったことを思い出した。

「ちゃんと最後は自分の口で伝えたくて。でも帰ってくる予定がずれちゃって」
「それで、二か月……」
「うん。急に病気になったサルがいてね」
「そう、大変ね」
「食いしん坊なボスざるなんだよ。腹を下したんだ」

橘君は動物の話をしているときは生き生きとしている。
北海道で修行を積んで、診察にあたった動物のことを詳しく話してくれた。
その話はどれも興味深く、面白かった。
そう思っていると、橘君に誘われた話を真剣に考えてみようかとも思ったりするが、いけないことだと、その気持ちにブレーキをかける。
あれから彼はその話を持ち出さない。
いつでも私の気持ちを優先してくれるのだ。そんな優しい橘君に、私は、何ができているだろう。

夏が終わらないのではないかと思うほどの残暑が続き、季節は一気に冬に入って行った。
あれから私は、答えが出なくて、橘君と距離を置くようになってしまった。
予定などない私が、予定があると言っては、会う回数を減らし、嘘をつくことに疲れ始めていた。