まさか智也が航空機の操縦士になるなんて誰が予想できただろう。
周りの期待と予想を見事に裏切って華麗なる転身とでも言おうか?
誰もがプロのテニス選手になるものだと信じて疑わなかった智也の将来。
諦めたのではなくて冷静に判断した結果だ、と利き腕を掴んだ彼の横顔は
いつも通りクールだったけれど、心なしか寂しげに見えたのは私の思い過ごしだろうか。


スポーツ選手に怪我はつきものだ。
怪我をする事なしに選手生命を全うできる選手などいないだろうと
智也の主治医である父が言っていた。


たとえ完治しても無意識にその場所を庇い、その負担によって
また他の部分を痛めるという悪い連鎖に泣く選手は多い。
半端ではない練習量をこなす智也も例外ではなくて、彼の場合はそれが肩だった。
父は担当医としての治療が終ってしまってからも
そんな智也の様子を気遣ってよく従兄弟の秀一を家に呼んでは様子を聞いていたっけ。
従兄弟の秀一と智也は中高の同級生で部活も同じ。親友同士だった。
智也が肩を故障した時に父を紹介したのは秀一だ。父も元はアスリート。
頑張っている学生の患者さんはどうしても気になって肩入れしてしまうらしい。
ましてや息子同然に可愛がっている秀一の親友だ。
思い入れしないわけがない。


私も彼らと同学年だったけど、学校は違っていた。
なのに秀一からちょっと気になる話を聞くと
父は私に智也を学校まで迎えに行ってくれと言うのだ。


「イヤ。そんなの、本人に電話して寄るように言えばいいでしょ」
「もう電話はした」
「なら、大丈夫でしょ」
「いやダメだ。おそらく智也君は来ない」
「なら、放っておけば?だいたい、医者から患者を呼びつけるなんておかしいでしょ?
治療だって終わっているのに、お節介にもほどがあるって。向こうもそう思ってるんじゃないの?」
「それはそうだが・・・でも気になるんだよ。また無理をしたらと思うとな」
「じゃあさ、秀一に引っ張ってくるようにって言えば?同じ学校なんだし」
「それがな、あいつ、一昨日からインフルエンザで寝込んでいるらしい」
「はぁ?使えないヤツ」
「そう言うな」
「ったく・・・しようがないなぁ」
「頼む!」
「あのね、他所の学校に行くのって結構勇気と度胸が要るんだからね?」
「すまん。恩に着る」
「しかも相手は男子。変な勘ぐりとかされたら向こうだって迷惑するし」
「じゃ星野整形外科のプラカードでも持って行くか?」
「ぜったい イヤ」
「ならたすきにするか?」
「・・・もう行かない」
「待て待て待て。悪かった!な、頼むよ 真理子」

父から頭を下げられて「今回だけだからね!」と渋々了解した。
それが切欠で私は智也と知り合うことになり
結果つきあうことになったのだから、父には感謝しないといけない。
それと、秀一のインフルエンザにもね。


あれから何年になるだろう。高3の夏、智也が最終進路を決める時
彼の下した金輪際ラケットは握らないという判断に周りの誰もが驚いたけど
その数年後、黒い航空機操縦免許証を手にした智也は
今やボーイングを操る副操縦士として文字通り世界をまたにかけ飛び回っている。


右の耳で無線を聴き、左の耳で機長の指示を聴く。
右手は天井のパネルを操作し、左手は目の前の無数のスイッチやレバーの上を走る。
そんなコックピットに居る智也を想像したことはあるけれど
それを実際に見る事が出来ないのが残念で
無理を承知で操縦桿を握っているところを見たいとねだった一週間後に
「三泊分の荷作りを」と言う智也からチケットを渡された。


「もしかして智也が操縦する便?」
「あぁ」
「うわぁ 操縦室に入れてくれるの?!」
「それはできないけど、むこうでセスナをチャーターする」
「なんだ。残念」
「贅沢を言うなよ」
「だって」
「操縦するところが見たいんだろう」
「そうだけど」
「なら変わりはない」


拗ねた私の頬になだめるように軽く、そして唇に深く降りてくるキスが
これ以上私に何も言えなくさせ、背筋を撫でる掌が、髪を乱す指が
私から思考を奪っていった。

智也はずるい。いつもこうやって・・・
最後には彼の事だけしか考えられなくさせるのだから。