――ピチャン。



遠い水の音で目が覚めて布団をはぐと、思ったより寒くなかった。

カーテンを開けると、日差しと共に長い冬を乗り越えたハナミズキが目に入る。

昨晩から降った弱い雨の残り露が、花びらの上でキラリと光った。


窓ガラスの汚れを指でこすりながら、しばらく立ち尽くす。

そういえば、あの日もこんな朝だった。



* * *


二年前のある春の日、夢とうつつを彷徨いながら雨上がりの空を眺めていると、扉がノックされ母親に呼ばれた。

これから彼女がどのような話をするかは、大体わかっていた。


「お母さん達、正式に別れることにしたから」


覚悟していたセリフが、やっと彼女の口から静かに放たれる。

「どっちについていくか決めなさい」


私の答えは決まっていた。


「…あたしはお母さんと暮らす」


奥でビール缶を片手にソファーに横になっている父親が、ちらりとこっちを見る。


「あたし、もう痛いの嫌だもん」


「お母さんが泣くのも…嫌だもん」




父親が酒乱で事あるごとに私達にあたるようになって、もう何年経つだろうか。


毎日部屋の片隅で震えている母親の小さな背中を見て、私は育った。

二人の離婚は当然と思っていた。
離れることで家族の未来があるのだと、何を根拠にか信じていた。

しかし、ある予感が胸の奥で確実に黒く息づいていた。

今の母親にとって、父を『いらない』枠に入れたら、私もその枠に入る気がしたのだ。


母親の車が汚れた一軒家から遠ざかる。
その距離は、あの家に住む父との距離。
同じ車に乗っているはずの母との距離。

それを肌で感じながら、私は後部席から一点を見つめていた。

色あせた赤い屋根は、しばらくして見えなくなった。