次の日は雨だった。
 資料室で何がどの辺にあるのかを教えつつ、深成は惟道と二人で溜まった資料のファイリングをしていた。
 薄暗い小さな部屋に、雨の音とパンチの音だけが響く。

 惟道は教えたことはすぐに覚えるが、とにかく静かだ。
 世間話というものを一切しない。
 話を振れば答えるが、必要最低限な返しをするだけ。

 といって、喋りかけるなオーラが出ているわけでもない。
 話しかけられることを拒否するわけでもないが、万事に反応が薄すぎる。
 薄いというより、ない、と言ったほうがいいかもしれない。
 表情も完全なる能面だ。

---ていうか、能面だって向きによっちゃ表情あるっての---

 どうも気まずい、と思いながら、深成は惟道と並んで小さな作業台に向かっていた。
 二人しかいないのに、しん、としているのはなかなか落ち着かない。
 離れているならまだしも、すぐ隣にいるのに何も喋らないのは仲が悪いみたいではないか、とか思ってしまう。

 が、そんな気を揉んでいるのは深成だけのようだ。
 当の惟道は相変わらずの能面で、機械的にパンチを打っている。

「……えっとさ。惟道くんて、そうやってるとロボットみたいだよ」

 漲る緊張感を振り払うように(そう感じているのは深成だけだろうが)深成が明るく言うと、つい、と惟道が顔を上げた。

「折角いい顔も、いっつもそんな無表情じゃ勿体ないよ。楽しいこととかあったらさ、笑ったりするでしょ」

 何か似たようなこと、過去に誰かに言ったような気がするな、夢だったかな、と思いつつ、惟道に笑いかける。
 が、やはり惟道の表情は変わらない。

「楽しいって何だ? 笑うというのも、よくわからん」

「え? えーと……」

 思わぬ返しに深成は焦った。
 そして昨日言っていた傷の原因を思い出す。

 辛い過去があるから、笑うということがなかったのか。
 そう思うと、とても不憫に思えてしまう。

「そ、そっかぁ……。大変だったんだね。でもほら、惟道くんは大学でも人気あるでしょ?」

 何せ惟道の見かけはかなりいい。
 額の傷さえ見えなければ、見かけだけなら真砂と張るのではないか。

---ま、真砂は全部ひっくるめて完璧だけどね---

 内心でのろけ、一人にまにまする。
 真砂だって決して完璧なわけではない。
 性格に、大いに難ありなのだが、深成にはそう見えないらしい。
 好みもあるし、深成のことは必要以上(?)に構うからだろう。

「女子が寄ってくるのが人気というなら、そうなのかもしれんが」

 ぼそ、と言う。

「そ、そうなんだ。もてるんだね~」

「どうだろう。皆、求めるものは同じだし……」

 ぼんやりと、首を傾げて言う惟道は、もてることを自慢しているわけでもないようだ。
 本当に何も考えていない、感じたことをそのまま言葉にしているような。
 いまいち『もてる』ということの意味もわかっていないような反応だ。

---謎だけど……。でもこれも、育ちが複雑だからこそなのかも。ここはそんな嫌な人はいないし、ここにいる間だけでも自然に振る舞えるようになったらいいな---

 今までずっと一番年下だったお陰で子ども扱いされてきた(歳だけのせいではないのだが)ので、下ができると張り切ってしまう。
 しかも何だか憂いを秘めた様子だし、いろいろ教える立場であるので己が皆との橋渡しもできたらいいな、と深成は単純に思い込んでしまった。
 お陰でぐっと惟道に肩入れしてしまう。

「何かわかんないことがあったら、いつでもわらわに聞いてね! そうだ、お昼ご飯とかどうしてる? 一人なんだったら一緒にどう? わらわたち、その辺のブースで食べてるんだ」

 すると惟道は、少し考える素振りを見せた。

「あ、お弁当持ってないなら、ビルの下にコンビニもあるし。そこで買ってくればいいよ」

 考える、ということは、嫌なわけではないのだ、と考え、深成はにこにこと続けた。

「……わかった」

 意外に素直に頷いた惟道に嬉しくなった深成は、そのブースが上座から丸見えだということは頭になかった。