次の日は金曜日である。
相変わらず昨夜、真砂は遅く帰宅し、朝も早々に家を出た。
昨日決定的な場面を見てしまっただけに、深成の態度も明らかにぎくしゃくしてしまった。
真砂は時折何か言いたそうだったが、結局何も言わずに今に至る。
言いたいことがあるのに言わないのも真砂らしくない。
だがその『言いたいこと』というのが別れ話だと思うと恐ろしい。
そんなことを考えながら定時を迎えた深成に、あきが声をかけた。
「深成ちゃん。今日は真っ直ぐ帰る?」
「ううん。片桐さんのところに行く」
知らず、深成は上座を意識しつつ言った。
声を潜めることもしなかったので、真砂にも聞こえたはずだ。
だがそれに反応したのは、あきの前の席の捨吉だった。
「え、誰?」
「あ、ほら。カフェバーの店長さんよ。この前一緒に行ったでしょ。面白い人よね」
あきが当たり障りなく相槌を入れる。
だがそれに、深成は被せるように付け足した。
「すっごいイケメンだしね。優しいし」
あきが、僅かに驚いた顔をした。
そして、ちらりと上座を窺う。
「み、深成ちゃんがそんなこと言うなんて珍しいわね~」
わざと明るく言ってみるが、内心心臓ばくばくだ。
真砂の表情に変化はないが、絶対怒っている。
何故深成はこんなことを真砂の前で言うのだろう、と密かに冷や汗を流しながら、あきは必死でフォローを入れた。
「い、イケメンっても、ちょっと変じゃない」
「でも優しいもん。昨日もね、わらわが行ったらお店閉めて、ずっと相手してくれたの。今日もおいでって言ってくれてるから行くんだ~」
あきのフォローも空しく、深成は驚くべきことを言って、さっさと帰り支度をする。
あり得ない、とあきは呆然と深成を見た。
最早恐ろしくて、上座のほうに顔を向けられない。
「じゃ、お先に失礼しま~す」
凍り付いた空気をそのままに、深成が鞄を持ってフロアを出ていく。
しーん、と静まり返ったフロアで、あきは一人、冷や汗を流し続けた。
そこで、あれ、と違和感に気付く。
静まり返っている、ということは、キーボードを打つ音も聞こえない、ということで。
ちらりと、恐る恐る上座を見ると、真砂は片手を額に当てて下を向いている。
右手はペンを持っているが、動いていない。
一見資料を読んでいるようにも見えるが。
---聞いてなかったのかな? いや、そんなことないよね。でも何だかいつもと様子が違う。ペンが折れそうでもないし。ていうか、深成ちゃんも変だったわ。どうしちゃったんだろう---
あきが真砂の様子を窺っていると、二課のほうから清五郎がやってきた。
「おい真砂。社長のお呼びだぜ」
「……」
「真砂? おい!」
前に立って、ばん、と机を叩いて、ようやく真砂が顔を上げた。
「……あ? 何だって?」
「大丈夫かよ。ていうか、ずっといたのか? 社長が電話しても出ないって、こっちにかけてきたぞ」
「ああ……。あ、携帯電池切れてる」
ポケットを探って出した社用携帯を見、真砂はそれを充電器に繋いだ。
それを、清五郎もその後方のあきも、訝し気に見た。
「……どうしたんだよ」
「何が。ああ、社長が呼んでるって?」
はぁ、とため息をつき、だるそうに立ち上がる。
そして、ばさ、とあきに、何枚かの資料を渡した。
「悪いが、これ受注登録を頼む」
「え? あ、はい」
「別に急がんから、月曜でもいいぞ」
月曜でもいいなら、何もあきに頼むことはないような。
受注登録は、ほぼ深成がやっているのだから、来週深成に頼めばいいのではないか?
ただ帰ってしまったから、とりあえずあきに渡しただけだろうか。
「……わかりました」
資料を受け取り、あきはフロアを出ていく真砂を見送った。
相変わらず昨夜、真砂は遅く帰宅し、朝も早々に家を出た。
昨日決定的な場面を見てしまっただけに、深成の態度も明らかにぎくしゃくしてしまった。
真砂は時折何か言いたそうだったが、結局何も言わずに今に至る。
言いたいことがあるのに言わないのも真砂らしくない。
だがその『言いたいこと』というのが別れ話だと思うと恐ろしい。
そんなことを考えながら定時を迎えた深成に、あきが声をかけた。
「深成ちゃん。今日は真っ直ぐ帰る?」
「ううん。片桐さんのところに行く」
知らず、深成は上座を意識しつつ言った。
声を潜めることもしなかったので、真砂にも聞こえたはずだ。
だがそれに反応したのは、あきの前の席の捨吉だった。
「え、誰?」
「あ、ほら。カフェバーの店長さんよ。この前一緒に行ったでしょ。面白い人よね」
あきが当たり障りなく相槌を入れる。
だがそれに、深成は被せるように付け足した。
「すっごいイケメンだしね。優しいし」
あきが、僅かに驚いた顔をした。
そして、ちらりと上座を窺う。
「み、深成ちゃんがそんなこと言うなんて珍しいわね~」
わざと明るく言ってみるが、内心心臓ばくばくだ。
真砂の表情に変化はないが、絶対怒っている。
何故深成はこんなことを真砂の前で言うのだろう、と密かに冷や汗を流しながら、あきは必死でフォローを入れた。
「い、イケメンっても、ちょっと変じゃない」
「でも優しいもん。昨日もね、わらわが行ったらお店閉めて、ずっと相手してくれたの。今日もおいでって言ってくれてるから行くんだ~」
あきのフォローも空しく、深成は驚くべきことを言って、さっさと帰り支度をする。
あり得ない、とあきは呆然と深成を見た。
最早恐ろしくて、上座のほうに顔を向けられない。
「じゃ、お先に失礼しま~す」
凍り付いた空気をそのままに、深成が鞄を持ってフロアを出ていく。
しーん、と静まり返ったフロアで、あきは一人、冷や汗を流し続けた。
そこで、あれ、と違和感に気付く。
静まり返っている、ということは、キーボードを打つ音も聞こえない、ということで。
ちらりと、恐る恐る上座を見ると、真砂は片手を額に当てて下を向いている。
右手はペンを持っているが、動いていない。
一見資料を読んでいるようにも見えるが。
---聞いてなかったのかな? いや、そんなことないよね。でも何だかいつもと様子が違う。ペンが折れそうでもないし。ていうか、深成ちゃんも変だったわ。どうしちゃったんだろう---
あきが真砂の様子を窺っていると、二課のほうから清五郎がやってきた。
「おい真砂。社長のお呼びだぜ」
「……」
「真砂? おい!」
前に立って、ばん、と机を叩いて、ようやく真砂が顔を上げた。
「……あ? 何だって?」
「大丈夫かよ。ていうか、ずっといたのか? 社長が電話しても出ないって、こっちにかけてきたぞ」
「ああ……。あ、携帯電池切れてる」
ポケットを探って出した社用携帯を見、真砂はそれを充電器に繋いだ。
それを、清五郎もその後方のあきも、訝し気に見た。
「……どうしたんだよ」
「何が。ああ、社長が呼んでるって?」
はぁ、とため息をつき、だるそうに立ち上がる。
そして、ばさ、とあきに、何枚かの資料を渡した。
「悪いが、これ受注登録を頼む」
「え? あ、はい」
「別に急がんから、月曜でもいいぞ」
月曜でもいいなら、何もあきに頼むことはないような。
受注登録は、ほぼ深成がやっているのだから、来週深成に頼めばいいのではないか?
ただ帰ってしまったから、とりあえずあきに渡しただけだろうか。
「……わかりました」
資料を受け取り、あきはフロアを出ていく真砂を見送った。