営業フロアに戻るなり、ブースから出て来た羽月が、満面の笑みで駆け寄って来た。

「深成ちゃん。来週からの出向、頑張ろうね!」

「あ、うん」

「おいらもこういう客先でしばらく仕事するのって初めてだけど、出張は何回かしてるし、ちょっとは役に立てるよ。わかんないことがあったら何でも聞いてね」

 にこにこと言う羽月に、少し深成の不安も払拭される。

「ありがとう。わらわも羽月くんが一緒で良かった」

 真砂が一緒だともっと良かったけど、と心の中で付け足し、にこりと笑う。
 そんな非情な心の声など聞こえない羽月は、途端に胸を張った。

「任せておいてよ!」

 この上なく嬉しそうに、ばん、と己の胸を叩く。
 が、そんな羽月の意気込みは、ひゅう、と吹いて来た極寒の風に吹き飛ばされた。

 ぶる、と寒気を覚えて前方を見れば、真砂が氷点下の瞳で見下ろしている。
 下手なことをすると殺す、という目だ。

「あっ……。えっと、あのっ……。そ、そうだ! 真砂課長、おいらがちゃんと、深成ちゃんを守り通しますからっ!」

「……とりあえず一か月だけは、お前に任せる」

 氷の瞳のまま、真砂が言う。
 『一か月だけ』を強調し、それ以上は一秒たりとも譲らない構えだ。
 そこまで嗅ぎ取ったかどうかは疑問だが、羽月は、はいっ! と元気よく返事をすると、二課のほうへ戻って行った。

「え、深成ちゃん、どっか行っちゃうの?」

 深成が席に座るなり、隣のあきが聞いてくる。

「うん。一か月、高山建設に行って欲しいって」

「ええっ? 深成、派遣社員なのに?」

 千代も驚いて身を乗り出してくる。

「しかも高山建設って……。よく課長が許したね」

 少し声を潜めて、千代がちらりと上座を見る。
 案の定、真砂はすっかり不機嫌だ。

「課長は初め断ってくれたんだけど、社長にお願いされてさ。それに、社長のわらわが寂しくないように、羽月くんを付けてくれるって。そこまでされたら、さすがに課長も断り切れなくて」

「ふ~ん……。でもついて行くのが羽月っていうのも、課長からしたら心配事が増えるだけだと思うけど」

 真砂を窺いながら言う千代に、深成はきょとんとする。
 そして、ああ、と手を叩いた。

「まぁ羽月くんもまだ新人だしねぇ。新人と派遣なんて、課長も心配だろうなぁ、とは思うけど」

 仕方ないよね、と納得する深成に、千代とあきは、ちょっと目を合わせた。
 深成は羽月の気持ちには全く気付いてないらしい。

「あんたもちょっと、気合入れて行きなよ。周りは皆敵、と思って、気をしっかり持つんだよ」

 あきや千代にはちょっと面白い展開だが、深成のいない一か月、上座からのブリザードを受けるのは自分たちだ。
 仕事面では真砂は大人なので、私情で他人に当たることはないが、纏う空気が氷点下になるのは避けられない。
 凍えないためにも、深成にしっかりして貰おうと、千代は、ぐっと深成の手を握った。



「来週から不安だな~」

 ベッドの上で、深成が真砂に甘えながら言う。

「でも真砂の力を買ってくれての抜擢だもんね。わらわが頑張らないと、真砂の顔も潰しちゃうし。頑張ってくるね」

 真砂が他社からも認められるのは深成にとっても嬉しい。
 つくづく自慢の彼氏だ。

「凄いよねぇ、真砂。わらわも鼻が高いよ」

 ごろごろと甘える深成を、真砂はベッドに転がした。
 すぐに覆い被さるようにキスをする。
 そのまま少し乱暴に、深成のパジャマを脱がしていった。

「んっ……。ちょ、ちょっと真砂っ……」

 深成が声を上げた途端、真砂が胸元に歯を立てた。

「いたっ!」

 びく、と深成が身体を仰け反らせる。

「……こんなところじゃ見えないな」

 ぼそ、と呟き、身体を起こすと、真砂は深成の首筋に顔を埋めた。

「だ、駄目だって。またキスマークつける気でしょっ」

 慌てて深成が、真砂を押し戻そうとする。
 が、ちり、と首筋に痛みが走ったほうが早かった。

「痛いよ、真砂。どうしたの?」

 いつもより乱暴な愛撫に、深成が不安そうに聞くと、真砂はまた少し身体を起こした。
 ちょっと涙目の深成を見、次いでその身体に目を落とす。
 先程噛みついた首筋に、少しだけ血の色があった。

「痛かったか?」

 首筋の傷を舐め、真砂は深成を抱き締める。

「うん。それよりも真砂、ちょっと乱暴で怖い」

「お前を高山建設にやらにゃならんのだから、心穏やかでなんかいられるかよ」

「そのことかぁ。しょうがないよね、ちゃんと戻って来られるようにしてくれてるんだし。でも」

 一旦言葉を切り、深成は真砂の頬を両手で包んだ。

「真砂がそうやって、わらわを心配してくれるのは嬉しい」

「嬉しがってる場合か。あっちにゃ奴がいるんだぞ」

 何だかんだで縁の切れない六郎だ。
 今回のことも、もしかすると六郎が進言したことかもしれない。

「ん? えっと」

「海野だよ。くそ、何でいっつも奴が邪魔するんだ」

 温泉旅行にも現れた。
 偶然とはいえ縁があり過ぎる。
 六郎からすると嬉しい偶然だろうが、真砂からすると迷惑でしょうがない。

「あいつが何か言ってきても、耳を貸すなよ」

「ん、でも。お仕事のことだったら、聞かないわけにはいかないよ」

「それだけならいいが、あいつのことだ、またわけのわからんいちゃもんをつけてくるに決まってる」

 はて、何かあったっけか、と考えてみても、深成にはわからない。

「う~ん。よくわかんないけど、大丈夫だよ。わらわは真砂のものだから」

 一応六郎は、ちゃんと深成に告白したので、そっち方面の心配をしているのだろう、ということはわかり、深成は真砂の頬を包んだまま、にこりと笑った。
 そのまま軽くキスをする。

「当たり前だろ。でも奴はそれを認めないから、わかる形で示してやるんだ」

「もー、駄目だってっ! 助平なんだから~っ」

 きゃっきゃきゃっきゃとじゃれ合いながらも、深成は真砂に刻印を刻まれるのだった。