深夜、真砂はそろりと起き上がった。
 深成を起こさないよう注意したつもりだったが、ぺとりと引っ付いていたので、すぐに深成も目を覚ます。

「どしたの、真砂」

「いや、折角だから、大浴場に行って来ようかと思って」

 こしこし、と目を擦り、深成も起き上る。

「十二時か。大浴場は二十四時間って言ってたよね」

「ああ。お前、嫌なら寝ててもいいぞ」

「ん~。この時間ならそうそう人もいないだろうし。浸かるだけだし、行こうかな。一人で待っとくの寂しいし」

 乱れた浴衣を直しながら、深成もタオルを掴んだ。
 二人で一階まで降り、お風呂の前の談話スペースで別れる。

「じゃ、三十分後な」

「は~い」

 男湯のほうの引き戸を開けると、スリッパが一組。
 先客がいるようだ。
 特に気にすることなく浴衣を脱いで風呂場に入った真砂だが、その湯船に浸かっていた人物を目にした途端、思いっきり眉間に皺が寄る。

「あっ……。……お、お久しぶりです」

 気付いてから、何故かたっぷりの間をあけて、六郎が小さく頭を下げた。
 何か擦り傷だらけだ。
 ああ、と素っ気なく返し、軽く身体を洗うと、真砂は六郎と対角線上の湯船に入った。

---くそっ。細身のくせに、なかなかいい身体をしているのは認めるが、体格なら私だって負けてはいない! 背だって私のほうが高いしっ---

 裸なのをいいことに、六郎はまじまじと真砂を観察した。
 ガタイは確かに六郎のほうがいい。
 真砂は余計な肉が一切なく、付いているところは引き締まっている感じだが、六郎は鍛え上げている、という感じだ。

 背も真砂は標準、六郎は高い部類に入る。
 見かけだけなら、決して負けてはいないのだ。

「……そういえば、真砂課長の部屋にはお風呂が付いているのでは? 深成ちゃんに聞きましたよ」

 すでに深成とは会ったのだぞ、ということを匂わした六郎だったが、真砂はちらりと視線を動かし、ふん、と鼻で笑った。

「部屋の風呂は、二人で入ったしな」

「……!!」

 顔の強張った六郎に、真砂はさらに馬鹿にしたように笑う。

「何を驚いてる。何か喚いていたじゃないか。見たんじゃないのか?」

「う……。い、いや、結果として見てしまったことは謝る! だがそれは、わが社の足場の位置が悪いとか、そういう問題ではないんだ! 本来足場からは、露天風呂は見えない。ちゃんと見えないように組まれている。あれは私が乗り出し過ぎた結果だ」

「そうまでして、あいつの裸を見たいのか。いやらしい奴だな」

 呆れたように言う。
 途端に六郎の顔が、茹蛸のように真っ赤になった。

「んなっ!! ななななな!! 何てことを言うんだ!! そそ、そんな、深成ちゃんを汚すようなことを言うものではない!!」

 思い切り狼狽える六郎に、真砂の眉間に皺が寄る。
 が、それは今までのいかにも嫌そうな皺ではなく、何か思い切り妙なものを見たときの表情だ。

「何を言ってるんだ。汚しているのはお前だろう」

「し、失礼なっ! 私は断じて、そのような邪な想いで深成ちゃんを見てなどいない!」

「覗きまでしておいてか?」

「覗きではないっ! あれは結果的にそうなってしまっただけで、元はと言えば、あなたが彼女と、ふ、風呂にっ……!」

 真砂に詰め寄る六郎の顔が、言っている間に、かあぁぁっと赤くなる。
 温泉効果ではないだろう。

「あなたこそ、あの無垢な深成ちゃんを汚しているではないか! 大体、男女で風呂に入るなど不埒そのもの! そのような破廉恥行為、言語道断だ!」

 最早言葉が硬すぎて、真剣なんだか冗談なんだかわからない。
 ぽかーん、と真砂は六郎を見上げた。

「深成ちゃんだって嫌がってたじゃないか。初めから、あなたから逃れようとしてたのに、あなたが沈みそうだとかわけのわからん理由をつけて、彼女の身体を触っていたのだろう!」

 タオルで遊んでいたのも事実だろうが、あの会話全てがそうではあるまい。
 初めに聞こえたのは、遊びの内容ではなかった。
 六郎の言い方では、何かやたらといやらしいのだが。

「……どこから覗いてたんだ、お前」

 温泉効果が台無しになるほどの冷たい視線で、真砂が言う。
 六郎も少しバツが悪そうに、視線を逸らせた。

「何度も言うが、覗いていたわけではない。声が聞こえたんだ。深成ちゃんが嫌がっている声だったから、気になるのは当然だろう!」

 そうなのだ。
 あくまで覗いたのは一瞬。
 しかも、それだって下心ではなく、純粋に深成を救うための、苦肉の策故だ。
 それに気付き、六郎は勢いを盛り返した。

「い、いくら恋人だとしてもだな! 深成ちゃんはまだ幼い。嫌がっているのに無理やり犯すなど、していいことではないではないか!」

「お前はあいつが、俺に抱かれるのを嫌がっている、と思うのか」

 真砂の言葉に、どこか面白がっているような響きが加わる。
 それが六郎には、いかにも深成を弄んでいるように思えた。

「深成ちゃんは、まだそういうことを知らない純粋な子なんだ! あなたのような鬼畜が汚していい子ではない!」

 えらい言われようだ。
 頭を抱えた真砂だが、ここまでくると面白い。

「全く、いい歳して夢見がちな奴だ。そこまで好いた奴を神聖視する奴も珍しいな。けど残念ながら、あいつは俺の前じゃ、結構大胆だぜ」

 にやりとこれ以上ないぐらい底意地の悪い笑みを浮かべ、真砂は湯船から上体を出して、自分の胸から腹を曝した。
 ところどころ、少し赤くなっている。

「これが何かわかるか?」

「……?」

 訝しげに真砂の身体を見た六郎が、はっとしたような顔になった。
 以前にも見たことがある。
 あれは深成の身体だったが。

「そ、それは、まさかっ」

「あいつが付けたんだぜ。もっと下まで見るか?」

「んなななななっ!!!」

 それ以上『下』ということは~~っ!! っと思うと共に、ぶしゃあっと赤い液体が飛んだ。
 慌てて真砂が避ける。
 湯船が赤く染まらないよう、六郎も素早く洗い場に顔を突き出した。

 会話の内容を聞かずに、この場面だけ見た者なら、まるで六郎が真砂の裸体を見て鼻血を出したように見えることだろう。
 悪くしたら、真砂が誘ったようにも見える。

「そ、そんな……。あの可愛い深成ちゃんが、そんなことを……」

 どこまで考えたのか。
 最早六郎は鼻からどくどくと血を流し、洗い場に突っ伏している。
 その横を、ざば、と水音を立てて横切り、真砂が湯船から上がった。

「お前の知ってるあいつも可愛いだろうがな、俺に甘えてるあいつは、もっと可愛いぜ」

 ちょい、と下腹部のキスマークを示し、悪魔の笑みを落として、真砂が脱衣所に消える。
 ぴしゃりと閉められた脱衣所のドアを、六郎は薄れる意識の中でぼんやり見つめるのだった。