二人で震えていると、不意にがちゃりと音がした。
 同時に千代の声がする。

「義姉(ねえ)さん。何やってるんだい」

「あっ! お千代ちゃん!」

 どうやら足音の主は、千代の義姉のようだ。
 ゆいのわけはないのは当たり前なのだが、捨吉とあきは、同時に深く息を吐いた。

「お、お千代ちゃんっ。前にお聞きしてた上司の方が来られてるんですって? ああ、私、買い物に行ってて……。ご挨拶しなきゃ!」

 何やらえらく狼狽えている。
 捨吉とあきは、こそっとドアを細く開けてみた。

 エプロン姿の女性の後ろ姿が見える。
 と、いきなりその女性が、がばっとその場に平伏した。

「よっようこそおいでくださいました! 源七郎の妻にございます! 遠いところをわざわざおいでくださいましたのに、ご挨拶が遅れましたこと、誠に申し訳なく……」

 何だか聞いたこともないようなお堅い言葉で小さくなる女性の前には、呆気に取られた清五郎。
 千代も渋い顔で女性を見下ろしている。

「もぅっ! 恥ずかしいね! すみません、清五郎課長。これ、兄の嫁です」


 千代が、ちょい、と足元の女性を指して言う。
 ああ、と我に返ったように、清五郎はとりあえず、屈んで女性と目線を合わせた。

「お世話になります。二課の清五郎と申します」

「あああっ! こっこちらこそっ!! いつも千代がお世話になっておりますっ!」

 一瞬上げた顔を慌てて伏せ、兄嫁だという女性は、ひたすら小さくなる。
 さすがの清五郎も、ちょっと困ったように千代を見た。

 そのとき、何の前触れもなく、平伏し続ける女性の真横のドアが開いた。

「……何の騒ぎだ」

 真砂が顔を出す。
 胡乱な顔のまま、千代が再度、ちょい、と足元を指した。

「真砂課長。兄嫁です」

 ぞんざいに紹介する。
 足元の女性は顔を上げ、真砂を見ると、まるで化け物を見たかのように、すささーっと飛び退った。
 蹲っている状態なのに、器用なものだ。

「あああああっ!! ご、ご挨拶が遅れまして、もも、申し訳ありませんっ!!」

 見た目が抜群に良いとはいえ、真砂の纏う気は尋常ではない。
 初めて真砂を見た者は、男女問わずその恐ろしく冷たい空気に震えあがる。
 女性も例に漏れず、額を廊下に擦りつける勢いで、ぶるぶる震えている。

「……一課の真砂だ。世話になる」

 清五郎のように愛想良く挨拶するでもなく、場を和ます努力をするでもない。
 当然女性はますます震えあがる。

 清五郎の後ろで、千代が小さく舌打ちした。
 妙な空気が廊下に流れ出したころ、深成がぴょこりと真砂の後ろから顔を出した。

「何、千代のお姉さん? 初めまして~、お世話になりま~す」

 凍り付いた空気を打ち砕くように、てて、と女性の前に出、ぺこりと頭を下げる。
 いきなり登場した小さい子供(ではないのだが)に、女性が目を丸くした。

「あの……?」

「あ、わらわは千代の会社の派遣社員なの。千代とおんなじ、一課にいるんだよ」

「い、一課……!」

 女性が絶句し、ちらりと深成の後ろの真砂を見る。
 さっき、真砂は一課だと言った。

 ということは、千代の直属の上司は、こちらの恐ろしい男のほうか。
 そう思い、女性はくらりと眩暈を覚えた。

「ちょいと義姉さん。いつも言ってるだろ。そんな大仰に挨拶するから、皆引くんだよ。後で調理場手伝いに行くから!」

 千代が堪りかねたように、女性を立たせて階段に追いやる。

「そ、そんな。お千代ちゃんはいいのよ。折角皆さんと遊びに来てくれたんだから、気にしないで遊んでいって」

 そんなことを言いながら、千代にぐいぐい押されて、ようやく女性はぺこぺこと頭を下げながら、階段を降りて行った。

「……なかなか強烈なお義姉さんだな」

 ため息をつきつつ戻って来た千代に、清五郎が苦笑いしながら言う。

「全く。四六時中あの態度なんですもの。丁寧なんだか卑屈なんだか。でも料理の腕はいいですから」

「それは楽しみだ」

 とりあえずその日は軽くその辺りの散策とし、ゲレンデに出るのは明日ということになった。