「……捨吉くん……。口の周りが赤いわよ」
「えっ!!」
魂が抜けたようになっていた捨吉が、いきなり顔を上げると、ぱっと手の甲で口を拭った。
「ゆいちゃんと、キスしたの?」
ざわざわと、あきの胸が嫌なざわめきを起こす。
きゅ、と胸が痛くなり、悲しそうな顔になったあきに、捨吉はこれ以上ないぐらい狼狽しながら、思い切り手を振った。
「あのっ! したんじゃないよ! されたんだよ! ていうか、俺、襲われそうになったんだから! めっちゃ怖かったんだって!!」
この青ざめようといい、口紅のついている範囲(あり得ないぐらいの広範囲だ)といい、ゆいが迫ったのは明らかだ。
加えてこの必死さを見れば、捨吉にはその気が全くなかったということもわかる。
ちょっとあきは、胸を撫で下ろした。
「はははっ。そら~怖かっただろうなぁ。いつものゆいならともかく、今日のあのメイクで迫られたら、ホラーだよな」
清五郎が大笑いする。
そして、改めて時計を見た。
「さてじゃあ、今のうちに帰るか? 泊まってもいいが、ゆいが寝てるうちに逃げたほうがいいだろ? 羽月は潰れてんな。ったく、毎度毎度ややこしいのは、結局この二人だな」
「あっ、そうしますっ」
がばっと捨吉が立ち上がる。
よっぽどゆいから逃げたいらしい。
「じゃあ俺も帰るかな。……おい、落ち着いたか? 帰れるか?」
真砂がちろりと、己の胸に貼り付いている深成に目を落とす。
深成は、ぐし、と涙を拭って、こくりと頷いた。
深成もこれ以上ゆいと顔を合わせたくない。
「じゃっ清五郎課長っ! ありがとうございました!! あきちゃん、帰ろうっ」
慌てて捨吉が、清五郎に頭を下げると、だっと駆け出す勢いで飛び出して行く。
「え、ちょ、ちょっと待ってよ。食べ散らかしたまんまじゃ……」
あきがわたわたしていると、千代が軽く手を振った。
「いいから。あんたも早く帰らないと、終電なくなるよ」
「でも……」
「私がやっておくから、気にせず帰りな。捨吉が送ってくれるし、早く行きなよ」
おやっと少し、あきは目尻を下げたが、すみません、と頭を下げて、清五郎に挨拶すると、急いで捨吉の後を追った。
「さて。羽月にも何かかけてあげたほうがいいかしらね」
その辺を片付けながら呟き、千代は部屋の隅でぐったりと机に突っ伏している羽月の肩に手を置いた。
「羽月。ほら、そんな格好じゃ余計辛くなるよ」
「うう……」
のろのろと顔を上げた羽月だが、その僅かな動きが悪かったようだ。
いきなり口を押えて青くなった。
はっとした清五郎が、素早く新聞紙を差し出しつつ、千代を後ろから引っ張る。
だが一瞬遅かった。
「うっ……うええぇぇぇ……」
すぐ前にいた千代は、清五郎に引き寄せられて少し身体は離れていたが、その膝の上に、思い切り羽月が嘔吐した。
清五郎が投げた新聞紙が膝の上に乗っていたとはいえ、全くかからないで済むはずもない。
服を汚され、千代は、ひく、と顔を引き攣らせた。
「ご、ごめんなさい……」
涙目で謝る羽月は、嘔吐したものの、まだ気持ちは悪いようだ。
すぐに、うう、と唸って床に転がる。
「……最悪だ……」
珍しく、清五郎が渋い顔で呟き、とりあえずビニール袋に新聞紙を始末する。
床に零れなかっただけ、まだマシだ。
「千代ぉ。お洋服汚れちゃったね」
真砂の後ろに逃げていた深成が、そろそろと千代を覗き込んだ。
「全く……。困ったな、どうしよう」
呟き、千代はとりあえず羽月の様子を見、清五郎が持ってきた濡れタオルで羽月の顔を拭いた。
「良かったら、風呂貸そうか。どっちにしろ、そのままじゃ帰られないだろ」
清五郎の言葉に、千代が、ちょっと自分の身体に目を落とし、次いで時計を見た。
「そうですわね……。どちらにしろ、登り電車はもうないでしょうし……」
「じゃあとりあえず、着替え貸すから」
清五郎が部屋を出て行く。
深成は、じ、と千代を見、きょろ、と部屋の隅に転がる羽月に目をやった。
「千代。千代も泊まるの?」
「ん? ……う~ん、そう……だねぇ。まぁ、清五郎課長がいいって言ってくれれば、だけど」
千代にしては珍しく、ちょっと落ち着きなく言う。
真砂が、腕時計に目を落とし、ぽん、と深成を促しつつ頷いた。
「ま、電車がないならしょうがない。歩いて帰るわけにもいかんしな」
「課長は? 帰れますの?」
相変わらず微妙な表情で、千代が言う。
真砂の前で、清五郎の家に泊まることになるのも如何なものか、と思っているのだが、特に二人きりというわけではない。
あくまで、ほぼ素面であるのが二人なだけで、あとの二人も泊まるのだ。
何らやましいことはないはずなのだが、真砂を好いている千代にしては複雑なのだ。
だが真砂は全然気にした風もなく、玄関に向かう。
「ああ、下りはまだあるはずだしな」
そう言って靴を履く。
「お、真砂は帰るのか。派遣ちゃんもか?」
「あ、うん。お鍋美味しかった」
着替えを持って戻って来た清五郎に、深成がぺこりと頭を下げる。
「はは。今日で羽月の株が、ぐっと下がったかもなぁ」
深成からすると、羽月よりもむしろゆいのほうが酷かったが。
「じゃあな。邪魔したな」
「失礼しまぁす」
軽く手を挙げて、真砂が深成を連れて出て行く。
「もし電車がなくなってたら、帰ってきてもいいぜ」
何となく意味ありげに笑いながら片手を挙げる清五郎に、真砂も薄い笑みを返した。
「えっ!!」
魂が抜けたようになっていた捨吉が、いきなり顔を上げると、ぱっと手の甲で口を拭った。
「ゆいちゃんと、キスしたの?」
ざわざわと、あきの胸が嫌なざわめきを起こす。
きゅ、と胸が痛くなり、悲しそうな顔になったあきに、捨吉はこれ以上ないぐらい狼狽しながら、思い切り手を振った。
「あのっ! したんじゃないよ! されたんだよ! ていうか、俺、襲われそうになったんだから! めっちゃ怖かったんだって!!」
この青ざめようといい、口紅のついている範囲(あり得ないぐらいの広範囲だ)といい、ゆいが迫ったのは明らかだ。
加えてこの必死さを見れば、捨吉にはその気が全くなかったということもわかる。
ちょっとあきは、胸を撫で下ろした。
「はははっ。そら~怖かっただろうなぁ。いつものゆいならともかく、今日のあのメイクで迫られたら、ホラーだよな」
清五郎が大笑いする。
そして、改めて時計を見た。
「さてじゃあ、今のうちに帰るか? 泊まってもいいが、ゆいが寝てるうちに逃げたほうがいいだろ? 羽月は潰れてんな。ったく、毎度毎度ややこしいのは、結局この二人だな」
「あっ、そうしますっ」
がばっと捨吉が立ち上がる。
よっぽどゆいから逃げたいらしい。
「じゃあ俺も帰るかな。……おい、落ち着いたか? 帰れるか?」
真砂がちろりと、己の胸に貼り付いている深成に目を落とす。
深成は、ぐし、と涙を拭って、こくりと頷いた。
深成もこれ以上ゆいと顔を合わせたくない。
「じゃっ清五郎課長っ! ありがとうございました!! あきちゃん、帰ろうっ」
慌てて捨吉が、清五郎に頭を下げると、だっと駆け出す勢いで飛び出して行く。
「え、ちょ、ちょっと待ってよ。食べ散らかしたまんまじゃ……」
あきがわたわたしていると、千代が軽く手を振った。
「いいから。あんたも早く帰らないと、終電なくなるよ」
「でも……」
「私がやっておくから、気にせず帰りな。捨吉が送ってくれるし、早く行きなよ」
おやっと少し、あきは目尻を下げたが、すみません、と頭を下げて、清五郎に挨拶すると、急いで捨吉の後を追った。
「さて。羽月にも何かかけてあげたほうがいいかしらね」
その辺を片付けながら呟き、千代は部屋の隅でぐったりと机に突っ伏している羽月の肩に手を置いた。
「羽月。ほら、そんな格好じゃ余計辛くなるよ」
「うう……」
のろのろと顔を上げた羽月だが、その僅かな動きが悪かったようだ。
いきなり口を押えて青くなった。
はっとした清五郎が、素早く新聞紙を差し出しつつ、千代を後ろから引っ張る。
だが一瞬遅かった。
「うっ……うええぇぇぇ……」
すぐ前にいた千代は、清五郎に引き寄せられて少し身体は離れていたが、その膝の上に、思い切り羽月が嘔吐した。
清五郎が投げた新聞紙が膝の上に乗っていたとはいえ、全くかからないで済むはずもない。
服を汚され、千代は、ひく、と顔を引き攣らせた。
「ご、ごめんなさい……」
涙目で謝る羽月は、嘔吐したものの、まだ気持ちは悪いようだ。
すぐに、うう、と唸って床に転がる。
「……最悪だ……」
珍しく、清五郎が渋い顔で呟き、とりあえずビニール袋に新聞紙を始末する。
床に零れなかっただけ、まだマシだ。
「千代ぉ。お洋服汚れちゃったね」
真砂の後ろに逃げていた深成が、そろそろと千代を覗き込んだ。
「全く……。困ったな、どうしよう」
呟き、千代はとりあえず羽月の様子を見、清五郎が持ってきた濡れタオルで羽月の顔を拭いた。
「良かったら、風呂貸そうか。どっちにしろ、そのままじゃ帰られないだろ」
清五郎の言葉に、千代が、ちょっと自分の身体に目を落とし、次いで時計を見た。
「そうですわね……。どちらにしろ、登り電車はもうないでしょうし……」
「じゃあとりあえず、着替え貸すから」
清五郎が部屋を出て行く。
深成は、じ、と千代を見、きょろ、と部屋の隅に転がる羽月に目をやった。
「千代。千代も泊まるの?」
「ん? ……う~ん、そう……だねぇ。まぁ、清五郎課長がいいって言ってくれれば、だけど」
千代にしては珍しく、ちょっと落ち着きなく言う。
真砂が、腕時計に目を落とし、ぽん、と深成を促しつつ頷いた。
「ま、電車がないならしょうがない。歩いて帰るわけにもいかんしな」
「課長は? 帰れますの?」
相変わらず微妙な表情で、千代が言う。
真砂の前で、清五郎の家に泊まることになるのも如何なものか、と思っているのだが、特に二人きりというわけではない。
あくまで、ほぼ素面であるのが二人なだけで、あとの二人も泊まるのだ。
何らやましいことはないはずなのだが、真砂を好いている千代にしては複雑なのだ。
だが真砂は全然気にした風もなく、玄関に向かう。
「ああ、下りはまだあるはずだしな」
そう言って靴を履く。
「お、真砂は帰るのか。派遣ちゃんもか?」
「あ、うん。お鍋美味しかった」
着替えを持って戻って来た清五郎に、深成がぺこりと頭を下げる。
「はは。今日で羽月の株が、ぐっと下がったかもなぁ」
深成からすると、羽月よりもむしろゆいのほうが酷かったが。
「じゃあな。邪魔したな」
「失礼しまぁす」
軽く手を挙げて、真砂が深成を連れて出て行く。
「もし電車がなくなってたら、帰ってきてもいいぜ」
何となく意味ありげに笑いながら片手を挙げる清五郎に、真砂も薄い笑みを返した。