元治元年7月21日(1864年8月22日)
京に乱入した長州軍は会津ら諸藩により
一掃された しかし長州軍は退却のとき町に火を放った 京の町を戦火に包んだこの争乱を禁門の変(蛤御門はまぐりごもんの変)という この戦で長州を動かしていた過激尊攘派の多くが腹を斬って果てた中でも有名なのが久坂玄瑞(くさかげんずい)である