莉々香side*









ツーンとする臭いが鼻を刺す。







そして次に感じたものは息苦しさ。








まどろみを抜けてゆっくりと目を開いた。






……………何だろう。







目の前が霞んでいる。






そして体も、頭も、異常なほど重たい。






ただあたしは、ぼーっとしながら天井を見つめていた。







「…………」







静かな空間に身を任せ、まぶたが少しずつ落ちそうになった時。








「 莉々香……? 」







耳に残るような、甘く掠れた声が聞こえた。
































ゆっくりと顔を横に向ける。





_____「さくや、くん」







そこには椅子に腰掛けた咲哉くんがいた。






「大丈夫か?」








______あぁ。








これは、夢なのかな。






咲哉くんがあたしの頭をゆっくりと撫でている。








「…… 莉々香、全然食べてなかったのか?栄養不足だって医者が言ってたぞ」






咲哉くんの手が心地いい。





そう言えば最近、忙しくてサプリメントを飲むのを忘れていたなと思った。








「これからはちゃんと食べろよ」






小さい子供に言い聞かせるようにあたしに優しく喋りかける咲哉くん。






夢なら、もう覚めないでほしいな。







じっと咲哉くんを見つめた。








「……どした?」







にっこりと笑う咲夜くんに、かすれる声を出した。








「さくや、くん……。ギュってして……」









夢ならば、どこまでも幸せな夢を見せてください。







願わくば、この夢を永遠に続けてください。









まだ視界がぼんやりと霞んでいて、咲哉くんの表情はよく見えないけれど。








少しして、咲哉くんが身を乗り出したのが分かった。









そっとあたしの背中に手を入れてくれる。









あたしは咲哉くんの首に手を回し、力を込めた。








するとゆっくりと起こされる体。







咲哉くんは自身もベットに腰掛け、そっと後ろから抱きしめるように支えてくれた。









「……これでいいか?」







「咲哉くん……」







また意識がまどろんでくる。






暖かい。









今まで見た夢で一番幸せな夢だな、と思った。










とても心が満たされていた。










「……………さくや、く……」










ギュっと咲哉くんの服を掴んだのを最後に、あたしは暖かな温もりに意識を手放した。

























体がフワリと浮き、暗闇の奥底に落ちる感覚で目を開けた。









咄嗟に身を起こす。







………ゆ、夢……?







先ほど感じた浮遊感は、もうすでに消えていた。







……あぁ、こんな気味の悪く変な感覚はよく起こる。









組んでた足などが自然に崩れてしまう時、その衝動が夢では大きく感じられるだけだったはず。









……あー、最悪。








そんなことを思い出しながら髪をかきあげようとすると、左手に僅かな痛みが走った。










体を横にひねり左手の方を見る。







「は?」









なんと左手は点滴に繋がれていた。









周りを見渡すと確実に病院の個室だった。










……そういえば、倉庫で喘息を起こしたことを思い出した。









体にそこまでのダルさはないが、痛む頭があたしに熱があることを訴えている。










やらかした。









思わず頭をおさえた。










きっと、そのままあたしは気を失ってしまって病院に運ばれたのだろう。







色んな意味で、失態を犯してしまった。









その中でも一番大きいことは、病院に来たからには保険証を使わないといけないことだ。









必然的に、父親のことが病院に漏れる。









そして父親もあたしが病院に運ばれたことを知る。









すると父親は漏れることのない情報のはずだけど、病院に大量の寄付金という名の口止め料を送るのだ。










………それが、どれだけあたしを苦しめていることか。









そして見る限り、あたしが以前通っていた病院ではない。









あの病院は、あたしをVIP扱いしてもっと病室らしくない部屋に入れるからここは違う。









また父親……いや、冷血秘書に監視される日々が続くのかと思うと、胃がキリッと痛んだ。











父親はあたしの体調管理と言う名目で、一度あたしがどんな些細なことでも病院に行ったものなら、軽い火傷でもなりふり構わず強制入院させる。









そして毎日必ず冷血秘書を寄越す。











本当にやめてほしい。









さらに頭痛が酷くなった頭をより深く抱えた。









つい最近に秘書第二号と会ったばかりなのに。









でも逃げることもどうすることもできない。 









ため息を吐きそうになった時。






























がらり、と病室のドアが開いた。









頭を抱えたままそちらを見る。









「……あれ?大丈夫なの?」









そこには疲れきった表情を浮かべている諷都くんがいた。








あたしを見て隠すことなく顔を引きつらせたけど、次には笑顔を浮かべて病室へと入ってきた。










「……ごめん、あたし倒れちゃって」










まず咄嗟に謝罪を述べた。









もうすでにもしかしたら諷都くんたちは父親から何か被害を受けているのかもしれない。









あたしのことを隠すためには手段は選ばない人だから。








「まぁ、俺じゃなくて他のヤツらに謝ってやってくれる?だいぶ精神的に参ってるヤツ多いから。特に総長とか、さくやさ、んとか……って!」











諷都くんの言葉に気が遠くなった。











頭痛がガンガンと頭を叩き、血の気が引いていく。











「……どうした!?大丈夫?莉々花ちゃんっ?」









「ごめんなさい、本当にごめんなさいっ」










どうしよう。










あの人はこの人たちに何をしたのだろうか。









また呼吸が苦しくなってくる。











あぁ、あたし。









本当にダメだ。










諷都くんがナースコールを押した音がかすかに聞こえた。



















「櫻井さーんっ!聞こえますか?」








それからしばらくして看護師さんがあたしをゆさゆさとゆさってきた。









「ゆっくり息を吸ってください。吸って、吐いて、吸ってーー」












「大丈夫ですかー?」










ぼんやりとしていた意識もだんだんとはっきりしていく。







私はただ看護師さんに頷いた。























「………莉々香っ!」








どこかぼんやりとする意識の中、誰かに声をよばれた気がした。










「莉々香、おい莉々香!」









「ちょっと、すみません!もう少しだけ離れたところに居てください!!」









「……莉々香、大丈夫か…?」














顔を横に向けると、なぜか必死な顔をしている咲哉くんがいた。











「さくや…くん」











すーっと、胸の苦しさが取れていくような気がした。









苦しかった呼吸もだんだんと落ち着いて来る。










「……櫻井さん、そのままゆっくり呼吸続けて」










ずっと咲哉くんを視界に移したまま、あたしは浅い呼吸を繰り替えした。









少しだけ、少しだけ











息が苦しいときにこのまま死んでしまうのではないかと思ったけれど。











ただ咲哉くんの存在を確認しただけで恐ろしいほど心が落ち着けた。











いつも感じる安心感をこの時もまた感じていた。




















あたしは自分がボロボロと涙をこぼしていることに、気づいていなかった。

































そしてあたしが倒れてから一週間後_________。











呼吸困難に陥ってから、一日入院してあたしは何の問題もなく退院した。








気づかぬうちに意識を失っていたようで、起きたときには諷都くんが色々対応してくれた。








ちなみになぜか病院に保険証を提示する必要はないと言われ、かなり心にあった重たいものが取れたのは確かだけど。













そしてそんなあたしは……ちゃんと、ここ数日は学校に通っているのだ。












「さっくやくーーーーーんっ!」










咲哉くんにうざ絡みするために。









様々な葛藤があったはずなのに、あたしが倒れた日からはなぜか咲哉くんに会いたい気持ちが気まずい気持ちなんかを押しのけてしまっていて。











「………おい、抱き着くなって」









咲哉くんに構ってもらえることがあたしの最近の幸せだ。







どうしちゃったんだろうな自分。







でもそんなことを考えても何も分からなくて、大量にあった遊び相手の連絡先は全て真っ白に消去した。








ただあなたの笑顔が見れるだけであたしまで笑顔になれる。









そんな、以前では考えられなかった幸せな日々。













「あたしに抱き着かれて嬉しいでしょー?」









「ホント、お願いだから離して…」










ちなみに暴走族のところへは放課後毎日通ってる。







でもつまらないだけで、特に何か起こるわけでもない。









瑞希くんはじーっとあたしの顔を見てくるだけだし、諷都くんは雑誌読んでるし、メガネくんは永遠とパソコンをカタカタとやっている。











龍翔には、一切会わない。










一度どうしたのかと聞けば、倉庫にはいるらしいけどずっと総長室に籠っているそう。








あたしはメールする相手も電話する相手も自分で消しちゃったから、ただぼーっとするだけ。









メールや電話は来てるんだけど、全て削除。










………こんなに暇で寂しい思いしてんのに何やってんだろ自分。









後悔は多々するけれど、それも倉庫にいる間だけだ。










学校にいる間…咲哉くんといる間は、スマホなんて存在は消え去っている。



















ぎゅっと咲哉くんの腰に回している手に力を込めた。









「咲哉くん冷たぁい」









ふふふ、なんて笑ってる自分。








咲哉くんが今どんな顔をしているのかとても気になった。








顔を咲哉くんの胸に押し付けているから表情が見えないのだ。








無表情だったり怒ってる顔してたらやだなーって思うと顔をあげれない。








「……ほら、もう離せって。な?」










さっきとは違い、子供を諭すような優しい声を掛けられる。









それが嬉しい反面、子ども扱いを受けたみたいでいやだ。








あたしは、ただ咲哉君に迷惑をかける餓鬼だ。












我儘ってことは分かってるんだけど、自分を止める方法が分からない。











こうやって毎日咲哉君に時を見計らって抱き着かないと、おかしくなりそう。










よくも悪くもあたしの中で何かが変わっているのだ。










「やだぁー」











でもいくら咲哉君は口であたしを注意するものの、強引には引き離してこないから少し嬉しい面もある。










喜ぶべきことかは分からないけれど。











「さっくやくーん」










ちょっとした出来心でぎゅーっと咲哉くんに胸を押し付けてみる。











「ほら、離してって。何回言わせる?」










「んー、あたしが離れる気になるまで」








しかし咲哉くんは無反応。









……おっかしーな、と思ってみたりもする。






























「__________咲哉くんのバァカ」











ふと、あたしが倒れたときにお世話になったという【サラ】の存在が頭に浮かんだ。









絶世の美女なんて言葉じゃ表せなくて、数々の男を手玉に取っているという頂点を極める人。











内心はそんな女誰だよ、とかあたしとレベル変わらないんじゃないか何て思ってるけど…。










咲哉くんは、その人の事を好きなんだろうか?









惚れない男なんていないらしいし?










まだあたしはそのサラって人見たことないけど……。











もしも、自分よりもはるかに可愛ければ……心折れそう。













「………んね、咲哉くん?」













「………はぁ、何か?」










「サラって人、そんなに綺麗なの?」











「………は?」










「諷都くんも、メガネくんも、みんな言ってる」











「……は?」











咲哉くんはそれから少しの間考え込むように時間をためて。












「まぁあの人は綺麗なんて言葉じゃ表せないほどだな確かに」













………なにか、ぐさりと心に刺さるものがあった。













どろり、と何かが心に流れ込む。















「……ふぅん。そっかぁ」













あたしの口から出た言葉は、酷く冷たいものだった。











………そっけないと咲哉くんに不快な思いさせちゃうじゃん。










心ではそう思ってるんだけど、何か気分がそぐわない。













「もう、いいや」











いつもはこれから咲哉くんを怒らせるまでぎゅうぎゅうとくっついているんだけど、今日はもう気分が乗らなくてそっと咲哉くんから離れた。















「………迷惑かけてごめんねぇ。あたし、帰る」










そして俯いて咲哉君の顔を見ないまま、あたしはクルリと方向を変え、スタスタと歩き去った。













…………何なの本当。














何で、こんなにイライラするの。












何でこんなに苦しいの。













何で__________こんなに痛いの?

















あたしはまだ何も知らない。









知ろうともしない。












そして知ろうともしないことは、時として罪となる。