それは別に相手の女を思ってのことじゃない。

俺が警察沙汰にして恨みを買ったとして…その怒りの矛先をエリカに向けられたら。

それを想像するだけで…身震いが起きる。

このままエリカの存在を知られることなく、相手が諦めてくれたら。

俺はそんな都合のいいことばかり、頭の中で考えていた。

「お前が最近ずっと機嫌悪かったのは、そういう事だったのか」

「…ええ。相手が誰かわからなかった頃は、証拠集めに奔走したり弁護士との打ち合わせで時間を取られて、全然エリカに会えませんでしたか…」

そう言いかけて、俺はすぐに手の甲で自分の口を塞ぐ。

「“エリカ”ねぇー。ベタ惚れだねぇ、橘。結城にはお前のこと、なんて呼ばせてんの?まさかしょーちゃんか?」

「…死んでも教えません」

酒のせいで、思考がうまく働かない。

頬を赤く染めた俺の顔を、平泉のオヤジは至極楽しそうな瞳で覗いていた。

「まぁ、あんまり根詰めるんじゃねぇぞ。仕事も恋愛も。うまくいかない時こそ、冷静に。向き合う前に、相手に逃げられたら意味ないからな」

「…わかってます」

「もうさっさとプロポーズしちまえよ橘ー!“橘エリカ”ほら響きもばっちりだ!」

「はは。頼むから冗談は顔だけに留めておいてくださいね」

そう言いながらも、俺はだらしなく緩んだ口元を必死で隠す。

もしあいつがそんな名前に変わる未来があるなら、俺は何を犠牲にしても構わない。

平泉のオヤジと別れたのは、深夜一時を回ったころのこと。

ふらりとタクシーに乗り込めば、途切れることのないネオンの明かりがそこらじゅうに広がっていた。


もう、どうしようもないほど。

…エリカに会いたくて仕方ない。