でも・・・迫り来る戦争の影におびえていた。
アレンとパトリシアの故郷が、私たちの国と戦争を始めようとしていたからだ。
また、ロルフのふるさとも、中立を保とうとしていながら、対立を深めていった。
『明日』が叶う保証はどこにもない。
『明日』を生きている保証はどこにもない。
今夜にも襲撃されるかもしれない国境近辺には、いつだってその不安がある。
パトリシアの机の上に、新聞が置いてあった。
【緊迫する政情。戦争間近か】
眉をひそめたくなるような文字。
「これからどうなるんだろうね・・・」
「分かんないよ・・・」
私は、紅茶を飲みながら、うつむく。
パトリシアとおそろいのティーカップは、アレンとロルフが見立ててくれた。
進級祝いにと渡されたプレゼントだ。
かわいい花柄で、私もパトリシアも愛用している。
カップのぬくもりを手に包みながら、ため息をついた。
戦いたくない。
死にたくない。
何より・・・みんなと離れたくない。
そう思っていたのに・・・
「遅かったな、アレン」
「あぁ」
自室に戻ると、ルームメイトのロルフが煙草を弄んでいた。
「おい、煙草はオーギュスト先生に止められてるだろ」
「吸わないさ。いつまでもつか分からねえけどな」
「ったく・・・」
去年のクラスメイトであるロルフは、俺とはまた別の国からこの学校へやってきた留学生だ。
ルームメイトの発表がされたときは、正直、困惑した。
ロルフの少しばかり軽薄な空気感は、俺にはないものだったから。
実際のところ、第一印象だけでなく、ロルフは軽い奴だった。
煙草も、酒も、女遊びも、学年内で有名なレベル。
真面目なだけが取り柄の俺は、少々不安だった。
でも、今なら分かる。
去年の担任のキャロライン・ロイドバーグ先生は、正しい決断をした。
俺は、ロルフぐらい軽やかな相手がルームメイトでなかったら、会話もろくに出来なかっただろう。
同室の俺が過ごしやすい程度に空気を崩し、同室の俺が困らない程度に遊ぶ。
ロルフは、そういう芸当がいとも簡単にできる奴だ。
感謝している。
「そーいやさ」
「ん?」
「まーた、ナタリーとは進展なしか?」
「・・・そういうお前は、パトリシアと手も繋いでないだろ」
からかってくるロルフに言い返す。
平和で、穏やかな日常。
・・・ちゃんとキスはしてるからな。
心の中で、反論を付け加える。
ナタリーは、可愛らしい恋人だと思う。
愛嬌があり、優しく、とてもいい子だ。
一時期は、俺とロルフと争ってたほど・・・
ちらりと、ロルフのはしばみ色の目を伺うが、その瞳に、嫉妬の影はない。
・・・もう吹っ切れたんだろうな。
ナタリーは、俺を選んだ。
そして、パトリシアがロルフに恋をし、ロルフはその想いを受け入れた。
こういう状況で、未練があるなんてことはあるまい。
もともと、ロルフは遊び人の傾向があるし、ナタリーにもゲームをするような気持ちで近づいたんだろう。
今だって、パトリシアがいながら、クラスメイトの誰かと浮気寸前のことをやっているという噂だ。
まぁ・・・・・・あくまで噂だけど。
大丈夫・・・だよな。
成績も最近は上がっているし、恋人との関係も良好。
テニス部でもうまくいってる。
申し分の無い日々だ。
ただ・・・と、本棚を探る手が、数学の教科書の前で止まる。
ただ1つの不安は・・・やはり戦争。
祖国と、恋人の国が戦うのは本望ではない。
「覚悟、決めたか?」
「え・・・?」
「自分の国へ戻るか?それともここへ残るか?」
「っ・・・」
ロルフの言葉に、思わず言葉が詰まる。
「どうすれば・・・いいんだろうな・・・」
ロルフの吐く紫煙が、目の前を煙らせる。
いつものことのはずなのに・・・
あたりを闇に染める暗雲の接近が、恐ろしいほど鮮やかに感じられた。
「はぁ・・・」
思わずため息がこぼれた。
語学力向上のために読んでいたこちらの国の新聞。
書いてあった言葉は、見過ごすにはあまりに不穏だった。
【緊迫する政情。戦争間近か】
故郷と、恋人のふるさとと、学び舎のある国。
3つの国が戦争へ突入するかもしれないと書かれていた。
私は、どこを憎めばいいのだろう。
誰と戦えばいいのだろう。
ドアが開く。
「お帰りー」
「ただいま。パトリシア、早かったのね」
コートを脱ぎながら、ルームメイトのナタリーが言う。
「うん。ナタリーは、今日もアレンと?」
「もー、毎日同じコト訊かないでよぉー」
照れたように、ナタリーは微笑む。
あぁ・・・この笑顔がいつまでも壊れなければいい。
いつまでも、このままがいい。
「これからどうなるんだろうね・・・」
「分かんないよ・・・」
私の机の上にあった新聞を見て、ナタリーがため息をつく。
不穏な空気が迫っていた。