いつ見ても、穏やかな笑顔を浮かべていた。
そう、切腹をする当日も……あの方は、笑っていた。
山南さんの希望により、介錯は沖田さんが務めることになった。
──心から、慕う人だった。
山南さんが切腹をしたその夜中。
屯所内を監視していると、真っ暗な副長の部屋から、静かに啜り泣く声が聞こえた。
「すまねぇっ……」
掠れた言葉と、嗚咽。
この出来事により、歯車も狂い始める。
それは時代だけでなく、皆の心も。
切腹当日、副長はいつものように厳しく冷酷な表情を浮かべていた。
だが、皆に隠れ、一番深い傷を負ったのは、紛れもなく副長だった──。
第二章
-変えられる運命-
新撰組は、西本願寺に無理矢理屯所を移動させ、そこを本拠地とした。
山南さんがこの世を去ると同時に生まれた、重たい空気。
そして、伊東さんの存在感が増していくのも事実であった。
山南さんの切腹と同時に、背中の傷が治った小松は監察方に復帰。
しかし、それは幹部や俺といったごく一部の人しか知らない。
“伊東さんを見はれ”という、副長からの命令。
表向きは女中をやるが、本職は監察方。
それも伊東甲子太郎監視という重要な役目を、小松は受けたのだった。
その任務の末、明らかになったのは、伊東さん達が新選組を離隊しようとしていることだった。
伊東さんを筆頭とし、藤堂さんや斎藤さんを含めた隊士たちは新選組を去り、“御陵衛士”という組織を作り上げた。
そして、新選組は幕臣という名の幕府の直接の部下となった。
そのための宴を、今夜はやるらしい。
「芳乃?飲むだろ?」
「え、私はいいですよ」
「飲めよ~!もう二十過ぎただろ⁉」
「過ぎてませんから!」
隣では、いつもの如く原田さん達が騒いでいる。
原田さんは、小松に無理やり酒を飲ませようとしているが、小松はそれを全力で拒否していた。
まぁ、小松が飲むわけはないだろうと、内心で安心する。
……が。
「じゃ、じゃあ飲んでみます」
「おっしゃあっ、いけいけー!」
原田さんの推しに負けたのか、仕方なさそうに盃を受け取った小松。
こいつは何をやってんだ。
ため息を吐くが、ずっと前小松が酒を飲んだときのことを思い出す。
そう言えばこいつ、かなり酔いやすいんじゃなかったか?
「やめとけ」
俺はそう一言言うと、小松から盃を奪い取り、自分の口に含んだ。
「ちょっ、山崎!私が飲もうとしたのに!」
「お前が飲むと面倒な事になる」
「……はぁ⁉何それ!」
普段酒はあまり飲まないのだが、今は仕方がない。
“行かないで……”
それは数年前のこと。
酔った勢いで、俺の腕を離さなかった小松を思い出す。
あの時みたいに、また小松が変な気を起こせば困る……。
「私……あの時何か仕出かしたの?」
「知らん。忘れた。どうでもいい」
それからも、色々としつこく話しかけてきた小松だったが、ふと今食べた団子に話を移した。
どうやらこれ、小松が作ったらしい。
「美味しい」と素直に言うと、小松はほんのりと頬を染め、はにかんでいた。
思わず、抱きしめそうな衝動に駆られる。
……小松への想いをまた一からやり直したはずなのに。
それでも、そんな気持ちは零れんばかりに俺の心の中で溢れていた。
いつもの如く、アホなんて言葉が出てしまうのは、そんな自分の気の乱れを抑える為なのだろう──。
酒を飲んだせいで、少し頭がぼーっとする。
風に当たりに外へ出ると、そこにはもう先客がいた。
「……山崎?」
「少し、酔いを冷ましにきた」
自然な形で小松の隣に並ぶと、夜空を見上げる。
瞬く星々が、俺達を照らしていた。
ぽつりぽつり、輝く星はまるで命のよう。
あんな小さな星は、一体どれだけの時間、光を放っていられるのだろう。
そんな星空の下、小松はその言葉を放ったのだ。
「山崎が、好きです……」
──それは。
敵同士である俺達には、禁忌なる言葉。
小松に言われたら、どんなに嬉しいだろう。
……こんなに、嬉しい物だとは思わなかった。
「わ、私……山崎に、たくさん助けてもらって本当に感謝してるの!本当に……たくさん、励ましてもらったし元気ももらったし、私嬉しかった」
こいつは知らない。
俺達が敵だということ。
俺が悪かったんだ……最初から、小松と距離を置いておけば。
どうして優しくしてしまった?
──…好き、だからか?
「ご、ごめん……急に言われて、困るよね?」
「……」
「ほんとごめん、忘れ……」
「──すまない」
そう、一言呟くように言うと、小松の目が少し見開いた。
「……え…」
「すまない……」
これ以上小松の隣にいてはいけない。
踵を返し、俺は自分の部屋へ向かった。
その途中で、少し後ろを振り返る。
「う……っ」
小松は一人、その場にしゃがみ込み、声を押し殺すようにして泣いていた──。
──俺は、間違っていたのだろうか。
あいつの泣き顔が、何度も脳裏を過ぎる。
「好きです」
その言葉も、何度も木霊する。
泣かせたくない。
悲しませたくない。
好きだ。
好きじゃない。
守りたい。
守ってはいけない。
側にいたい。
いては、いけない。