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「──いたたたっ!」
「我慢しろ」
それから数日経つと、小松は深い傷を負って帰ってきた。
藤堂さんの話によると、酔っていた不逞浪士に斬られたらしい。
……それも、背中に。
小松流の忍が、背を斬られたのだ。
医学を心得ている俺は、止血法などを知っていて、小松の深い傷から流れる血を何とか止めたが……。
小松は、敵の気配が分からなかったのだろうか。
何故、背中を……。
最初に俺達が戦ったときは、小松からただならぬ殺気が感じ取れ、あいつだって気配に敏感であるはず。
隙などないはずだ。
それなのに、小松は隙を見せるほどまで、急激に弱くなっていた。
「わ……たし、もう、戦うなんて出来ないのかもしれない……」
そう自らを思いつめるまで。
小松の瞳から止めどなく溢れる涙。
こいつが泣きそうになっているのは、何度も見たことがある。
しかし、俺の前で自ら泣いたのは……これが初めてだ。
小松が俺に弱みを見せたのは。
「もう、無理なんだよ……復讐なんて……」
小松が、小松じゃない。
その涙を拭えれば。
守れれば。
だが、そんな気持ちとは裏腹に、あの過去が脳裏を過ぎる。
抱きしめそうになった腕に力を入れ、その動作を止めると、まだ鋭い痛みが残ってるであろう小松の体を横にさせた。
「……何も考えるな」
そう。
考えなくていい。
「復讐、したいんだろ?」
お前は今は休んでればいい。
体を休め、傷を塞げばいい。
──復讐のために。
「お前は……すぐに諦める人間だったのか?」
いつか、小松にこう言う時がくるのだろう。
“お前の親を殺したのは、山崎家の忍だ”と。
だからその時が来るまでに、傷を治せ。
そして特訓をして……また、強くなればいい。
そうなった暁には、俺を討てばいい──。
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年が明け、睦月。
伊東さん達が去年入隊したことにより、新撰組にも変化が現れた。
天井から見ればそれは尚更分かること。
「いってぇ、せめーなおい!新八もっと端を歩け!」
「佐之もだろっ、てめーの方が無駄にでかいじゃねぇか!」
「るせぇ!やるかこらぁ!」
……なんていう会話が、あちこちから聞こえてくる。
上記二人は、毎度の如くふざけているのだろうが、他の隊士達は本気で喧嘩を起こす。
一部屋に十人寝ている所もある。
つまり──むさ苦しい。
冬だが、暑い。
ただでさえ男ばかりなのに、その男が、こんな小さな屯所でぎゅうぎゅう詰めなのだ。
「……移転、するか」
そのことを副長に報告すると、それは副長も感ずいていたらしい。
「それでは、移転先の話し合いを幹部内で行いますか?」
「……いや、それは後だ。俺の中で、一応目をつけている場所があるのだが……」
流石副長、行動が速い。
俺が報告する前に、既に目星をつけていたとは。
副長は一つ咳払いをすると、俺に向き直った。
「西本願寺だ」
……西本願寺?
無意識に、少しだけ眉間にしわが寄る。
「副長。恐れながら申し上げます。西本願寺は、京の人々の信仰が厚く、そこに移転となると礼儀に反するのでは。それから、長州藩の隠れ蓑(かくれみの)のような場所で……」
そこまで言って、俺ははっとした。
副長は、そんなところまで考えていたのだろうか。
「ようやく分かったか。何の意味もなかったら、んな寺に移転なんかしねぇよ」
西本願寺にいる人達は、長州藩と思想が同じだ。
「つまり……」
「俺らが西本願寺に行けさえすれば、長州の奴らだってそう簡単に京に来れなくなる。俺達の屯所は広くなり、あいつらの秘密基地もなくなっちまうんだ。一石二鳥じゃねぇか」
そう言うなり笑みを浮かべる副長。
あぁ……やはり、すごい人だ。
こんな人に俺は救われた。
小松に殺されるまでに……せめて副長に、恩を返したい。
しかしそこまで考え、俺の中に靄がかかる。
「山南さんが……反対するのでは」
そんな俺の問いに、副長は笑みを消し、何も答えずに縁側の向こうの空を見上げた。
「副長。……山南さんの意見も、尊重して下さい」
俺の言葉に、副長は「あぁ」と頷く。
伊東さんが総長の上である参謀についたことにより、山南さんの意見が通ることは最近少なくなっていた。
「お前に注意されちまったよ」
薄く笑い、そんなことを呟く副長。
俺ははっとして、勢いよく頭を下げた。
「……申し訳ございません。下である俺が…」
「いや、いい」
副長は怒っていないらしく、空から視線を外して俺を見据えた。
「西本願寺は譲れない。……が、あいつの居場所もなくさねぇよ」
それは、副長の本音を初めて聞いた瞬間であった──。
しかし、そんな副長の……みんなの思いは儚く散った。
幹部が集まり、俺もその場にいたのだが、山南さんは思っていた通りこの意見に反対した。
伊東さんや近藤さんは賛成し、移転先は西本願寺にしようということで話は進んでいくが、そうなっても山南さんは何度も抗議した。
そしてそれから数日後。
『江戸へ行きます』という手紙だけを残し、山南さんは脱走をした。
“局ヲ脱スルヲ不許”
脱走は、隊規に背いたとして切腹を申し付けられる。
……山南さんは、兄のような存在だった。
何かある度に、俺にまで気をつかってくれたのだ。
いつ見ても、穏やかな笑顔を浮かべていた。
そう、切腹をする当日も……あの方は、笑っていた。
山南さんの希望により、介錯は沖田さんが務めることになった。
──心から、慕う人だった。
山南さんが切腹をしたその夜中。
屯所内を監視していると、真っ暗な副長の部屋から、静かに啜り泣く声が聞こえた。
「すまねぇっ……」
掠れた言葉と、嗚咽。
この出来事により、歯車も狂い始める。
それは時代だけでなく、皆の心も。
切腹当日、副長はいつものように厳しく冷酷な表情を浮かべていた。
だが、皆に隠れ、一番深い傷を負ったのは、紛れもなく副長だった──。