だが、次の瞬間男の口から出たのは……予想外の物であった。





「その旅人の格好。仕事を探しているだろう」


「……は…貴方には関係ないことでは」





何故、そっちに話が転がっていくのだろうか?





「俺の見た限り、お前はどっかの流派の忍だ。忍術だけではなく……剣術もそこそこできる。出来ることならば、人は殺したくないから、お前はさっきの男を殺らなかっただろう?それから、お前のその性格からして大分口は固い」


「……」


「強い忍の集団はここらにたくさんいるから……お前は長州や薩摩ではない、というか訛ってないから当然か。大阪か京か、大津あたりだろう」





俺のことを、さっきのちょっとした事件でほとんど読み取った。


その通り、俺は大阪で生まれ育った。


だが両親が江戸生まれのせいか、訛ってはいない。


両親は江戸で腕を上げたが、多くの忍はここらの地域に滞在しているため、大阪まで来たという。


……それにしても、何だこの男は。


どれだけ、洞察力が優れているのだろう。







俺は眉間にしわを寄せ、少し男を睨みつける。





「何が言いたいのですか」





そう、一蹴するようにきつめに言い放つが、男はやはり、余裕な笑みを見せた。





「そういう腕を持った奴を、ずっと探していたんだよ。……お前に合った仕事がある」


「……」


「これから、新選組副長である俺からお前に、直々に“良い”命令を下すんだ。滅多にねぇことだからよく聞け」





良い、という部分を強調して言う男。


……それにしても、随分と偉そうな態度だな。


副長だろうが何だろうが関係ない。


何故、人斬り集団新選組の男に、俺が命令をされなければならないのか?


怪訝そうに俺が男を見据えるも、男は表情を一切変えず、それがさらに俺を苛立たせる。


だが、そんな風に思っていた俺は……もっと日が経った後には、この男を慕うようになるのだった。





「新選組に入隊することを命ずる。処遇は、諸士調役兼監察だ」





それは、新選組嫌いな俺が、強制的に新選組に入隊をしてしまった瞬間だった──。







──
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俺はその命令に逆らったつもりだが、「副長命令だ。背くことは許さない」とあの男に言われ、入隊せざるを得なくなった。


そして俺が新選組に入隊すると同時に、降り出した雪。


……そういえば、芳乃とは雪でも遊んだと思い出させた。


ぼんやりとその雪を、部屋の縁側から見つめる。

諸士調役の主な仕事は、隊士の見張り。


だが、屯所の中で堂々とやるわけにはいかないから、俺は何日もかけて天井裏に通路を作った。


当然、局長や副長からは了解済みである。


そして監察は、市中に出て不逞浪士がいないか監視をし、怪しい者がいた場合はすぐ報告する。


忍の特訓は活かせるが、何だか、新選組に貢献するような仕事で少々気が引けた。


だが、一応これで働く場所も見つけ、銭ももらえるし飯も食えるから、まぁ良しとした。


そういえばあの男の名は、土方歳三というらしい。


そして新選組局長が、近藤勇。


おおらかで穏やか、時には厳しく新選組を取りまとめる……そんな第一印象を、局長からは受けた。


年も明け、文京四年の一月。


年初めの月、睦月と言えば、やはり芳乃が消えた時期だと思わせられる。


そしてその日がやってきたのだ。


そう、俺が新選組に入隊して、まだひと月も経っていない……忘れもしない、満月の、次の日が。





──
───
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空を仰げば、ほんの少しだけ欠けた月が浮かんでいた。


雪も大分積もり、シャリシャリと踏みしめながら、転ばないように進んでいく。


市中を見回り、次は森。


森は目立たないから、そこに息を潜めている奴もいるのだ。


だから、京の中を隅々まで監視せねばならない。


新選組は嫌いだが、仕事を引き受けた以上は必死にやらねば……


と、その時だった。


森の木と木の隙間から、夜なのに、月でも提灯でもない、明るく輝く光が見えるのだ。


……何だあれは。


そんなものに、怪しく思うのは当然であった。


足音を立てないよう、しかし素早くそこまで駆け寄る。


木の影に隠れ、じっと様子を窺うと、次第にその光は小さくなっていった。


光の代わりに現れた人影。


だが、それが目の錯覚だと感じて、一度ぎゅっと目を閉じてまた開く。


そして目を凝らして、さっきまで光があった場所を見つめた。


やはり、人か?







光の代わりに、現れた人。


思わず、眉間にしわを寄せてしまう。


暗くて男か女か判断がつかないが、何故か、心臓が早鐘を打っていくのが分かった。


いけない、任務中であるというのに……集中しなければ。


胸をさすりながらじっと見据えていると、その華奢な体は起き上がり、周りをきょろきょろと見回した。


今は任務中。


すなわち、必要であらば敵を捕縛するか、副長に知らせる。


今の俺は前者を取った。


敵は一人であり、辺りは真っ暗。


月明かりが僅かに雪を照らしている。


俺が無意識のうちに殺気を出すと、その体は一瞬びくっと縮まり、やがて戦闘態勢になった。


敵の片手には、二つ苦無と思われる物が握られる。


まさか……忍か?


一瞬疑うが、きっとそうだ。


向こう側からも、相当な殺気を感じ取れるから。


シャキ、と苦無を三つ片手に持ち、全て一気に敵に向けて投げつける。


が、敵は相当な腕の持ち主のようで、三つとも掴みとった。








それに怯むことなく、さらに二つ投げるが、それも避けられ木に刺さる。


その隙に間合いを詰め、苦無を次々と投げつけた。


お互い、布の隙間から睨み合う。


しかし……この敵が女だということに気付いた。


何故なら長い髪を結わえているから。


しかも、この女の動き。





“小さな動き”


“身を出来る限り縮め、気配を消す”





女は木に登って、そこから俺に投げた。


そして、くるくると小さく器用に回りながら木から飛び降りるなり、女は俺に向かって苦無を振り回す。


その動きを抑えようとするものの、相手が女であることに動揺してしまい、なかなか反撃できない。


それに……まさか、そんなはずはないだろう。





──これが、“小松流”だなんて。





俺は女に押し倒されたが、意を決して腕を掴み、苦無を打ち落として立場を逆転させた。


すなわち、俺が上で女が下。









両腕を片手で掴み、女の頭の上まで持ち上げると、身動きが取れないようにする。


そして、苦無を喉元に突きつけ問い詰めた。





「名は、何という」





女は何を考えているのか、ただひたすら、俺の目を睨んでいるような気配を感じられた。


また気が乱れた瞬間、女は俺が拘束していた腕を振りほどき、自分の懐から苦無を取り出そうとした。


俺は持っていた苦無を投げ捨て、その動きを止める。


両手で女の腕を掴み、地面に押し付けた。


月明かりで僅かに目と目が合う。


その目を、いつか見たことがあると感じた。


ドクンと心臓が大きく跳ねるが、それを打ち消すように、女の顔を覆っている黒い布に手をかける。





「負けを認めろ」





パサッとはぎとった先にあったその女の顔。








自らの目を疑った。


……何故なら、ずっとずっと待ち望んでいた、あの顔があったからだ。


思わず抱きしめそうになる。


思わず、涙が出そうになる。


だが、そんな衝動を、唇を噛みしめてぐっと堪える。


そうだ、今は任務中なのだから。


今は、昔のことなど思い出してはいけない。


だが……やっと、会えた。


絶対に会えるんだと、信じ続けて良かった。


待ち侘びた人は、生きて、今こうして俺の視界に映っている。









芳乃──。











それから、芳乃を連れて屯所に帰り、土蔵に入れた。


せっかく再会したというのに、手を縛ったりとかそんな扱いをしなければならなくて……辛かった。


……仕事に集中しなければならない。


気が乱れそうになる度に、ぐっと拳を握りしめて耐えた。


だが、この日で分かったこと。


それは──…芳乃は、自分のことを覚えていないということだ。


……その夜は、あまり眠れなかった。


もしも夢であるならば、目覚めてほしくない……と。


だが瞼は言うことを聞いてくれず、仕事の疲れからかあっさりと夢の中に落ちてしまった。


日の光で目を覚ませば、いつもの朝。


しばらくぼんやりと宙を見つめたが、はっとして、急いで土蔵に向かった。


そこには、小さく体を丸めて寝ている芳乃の姿。


縛っていた縄は、解かれている。


夢ではなかったのだとほっとする反面、縄を解かれたことから、小松流もかなり強くなったのだと思い知らされた。


しかし、芳乃は今までどこにいたのだろうか?


肝心なそれが分からず、それ以前に、副長の質問に対する芳乃の答えの中には聞いたこともない言葉が含まれていた。


そのような言葉を使う芳乃に対し、副長は苛立ち始める。