翌日曜日は関根先生のレッスンを受けた。

リサイタルは毎年あること

私を可能な限りパートナーに望んでいることを先生から強くオファーされた。

私も出来る限り務めさせていただきたいと応えた。

先生は私の返答に満足だったようだ。

荒木さんの言う通り

モデルを辞めてもダンサーは続けられると思ったからだ。

そしてこれからはライターとして認められたい。

本名でなくペンネームを考えようと思った。

美莉のままだとどうしてもモデルのイメージが強く

先入観がぬぐい切れないまま

私の書いたものを読むことになる読者の側に立つと

全てが伝わらない気がした。

それは筆者として一番あり難くないことだった。

この何日かはペンネームに悩んだ。

楽しい悩みだった。