…気持ちいいな。

もうすっかり、夏の夜だ。

あんなに土砂降りだった雨も止んで、澄んだにおいがする。

風に交ざって、近くの海の潮のにおいも。

…嫌なことも、忘れられる気がした。


ひょい、とベランダから下の道路を見てみる。

すると、学校帰りなのか、ちょうど慎ちゃんが歩いてくるのが見えた。

「!」

私は口を開けようとして、やめる。

…声は、かけない。

かけちゃ、いけない。


今は、『夜』だから。


慎ちゃんが隣の家の門をキィ、と開けるのを、じっと見つめる。

気づかずに中へ入っていくだろうと思っていたのに、慎ちゃんはパッと顔を上げた。

「…あ」

バチっと目があって、一瞬だけ固まる。

慎ちゃんが何かを言う前に、慌ててニッコリと笑った。


「…し、慎ちゃんっ。おかえりー!」


明るい声色を努めて言うと、慎ちゃんはいつものように、優しく微笑んでくれた。