(……誘ってみるか。)



それは、突然の思いつきだった。
街を歩いている時にたまたま目にした鍋料理屋の看板から、俺は野々村さんのことを思い出していた。
先日、家で鍋をした時、彼女がえらく喜んでくれていたことを。
俺は早速、彼女の携帯に電話をかけた。
ただ食事に誘うというのもおかしいと思い、仕事の打ち合わせということにして誘いをかけた。







「えらく早かったですね。」

「は、はいっ!
今日はたまたま買い物でこの近くにいたものですから。」

いつものように、焦った口調でそう答えた彼女は、両手に大きな紙袋を抱えていた。



「あの店なんですが…
野々村さん、鍋はお好きですよね?」

「は、はいっ!
おいしいものならなんでも好きです。」

好き嫌いはないということか。
俺はその答えに、思わず失笑していた。



鍋料理屋とは思えない、小洒落たバーのようなちょっと変わった店内は、騒がしい酔客もなく、落ちついた雰囲気だった。



「野々村さん、お酒は?」

「あ…す、すみません!
わ、私、お酒は飲めないんです。」

「そうですか…」

俺は気分で少しだけ飲む事にした。

他愛ない話をしながら、野々村さんと差し向かいで鍋をつつく。
今日も彼女は、先日と同じようなシンプルな紺のスーツを着こみ、化粧っ気もほとんどない。
そして、また料理を口に運んでは、大袈裟に熱がっていた。



「……野々村さん…もしかして、猫舌ですか?」

「は、はいっ!
……わかりますか?」

「ええ……」

その様子を見ていれば、そんなことは誰にだってわかる。
本当に天然というのかなんというのか、面白い人だ…



「野々村さん…ご結婚は…?」

「うっ!」

俺の唐突な質問に驚いたのか、野々村さんは食べ物を詰まらせ激しく咳き込んだ。



「大丈夫ですか?」

「は…は…はいっ!
だ、だ、大丈夫です。
ご、ごめんなさい!
大丈夫ですから…」

思わず席を立って彼女の背中をさすろうとした俺に、野々村さんはさらに焦ったような態度を示した。



「変なこと聞いてすみません。」

「い…いえ。
わ、私はずっと独身です。
私…変な人だから……私のことを好きになってくれる人なんて……」

そう言って俯いた野々村さんは、たまらなく寂しそうに見え、俺はつまらない質問をしてしまったことを後悔した。