キミが泣くまで、そばにいる





 3組の教室に戻ると窓際の席にアカツキの姿があった。

 ドアをくぐった瞬間に目に入るなんて、ものすごい存在感だ。
 と思ったら、となりにセイの姿もあった。金髪とアッシュブラウンが揃っていたら、いやでも目に付く。

「お、知紗」

 向こうでも私を見つけ、アカツキが手招きする。

 いつものクセで、私はご主人の元に馳せ参じた。群がっている取り巻きの子たちも心得たもので、通り道をさっと開けてくれる。

「あのさ知紗、今日の昼なんだけど、学食でカツカレー、テイクアウトしてきてよ。いつものベンチにいるから」

 にこにこ笑いながら言いつけるアカツキに、私はいつものように「はいぃ」と返す。それからハッとした。

 違う違う。何こき使われてるんだろう私! こちらには切り札があるというのに!

「ふっふー、アカツキくん。偉そうなことを言っていられるのも今のうちだよ」

 曲げていた背中を反らしてびしりと指を突き立てると、アカツキがきょとんとした。



「私、見てしまったんだから!」

「おい、うっせーぞ、ちィ」

 女の子たちとしゃべっていたセイに睨まれたけど無視する。

 休み時間の教室はただでさえざわついているのに、アカツキの周囲には取り巻きやファンの子が集まっていて人口密度が高い。

 すなわち、ここにいるみんなが証人になってくれるということだ。

 私が王子の犬から解放される瞬間の。

「何を見たって?」

 相変わらず笑っているアカツキに顔を寄せ、耳元でささやく。

「二股……してるでしょ」

「えっ?」

 目を丸めている微笑み王子の鼻先に、くらえ! とばかりにスマホを突き出した。

「この場でバラされたくなかったら、もう私をパシるのやめて」

 周りの女子たちが「なになに、どうしたのー?」と声を上げる。

 騒がしい教室の一角で、アカツキは私のスマホを見たまま微動だにしない。

 年上美女と抱き合ってる写真と、名門女子校の美女と腕組みをしている写真を加工して『浮気現場♥』と文字入れをした画像に、釘付けになっている。




 王子は言葉も出ないらしい。

 やった。これで私は自由の身になる!

「ふふふ」

 思わず勝利の微笑がこぼれてしまった瞬間、「ぶふー!」とアカツキが吹き出した。

 お腹を押さえてゲラゲラ笑っている微笑み王子に、あっけにとられる。

「な、何を笑って」

「なんだよ、どうしたアカツキ」

 私を突き飛ばすように、セイが微笑み王子の肩に腕を回す。

 ひーひー笑いながら、アカツキは私のスマホをセイに見せた。

「知紗が、月乃(つきの)と朱里(あかり)を見たらしい」

 画面を見たセイの顔が、でれっと緩む。

「ああ、アカツキの姉ちゃん、ふたりとも美人だよなー」

 その言葉に、私は耳を疑った。

「は……姉!?」

「また合コンしてって月乃さんに言っといて」

「そんなこと言っていいの? アヤカちゃん怒るぞー」

 呆然としている私に気づき、アカツキが微笑む。



「あ、セイの彼女のアヤカちゃん、月乃の大学の友達なんだよ」

 なんでもないように説明されて、口をぱくぱくさせてしまう。

「あ……姉!?」

 もう一度叫んだ私に、微笑み王子は笑顔のままスマホを渡してくる。

「そ。俺んち上にふたり姉がいんの。5こ上で大学生の月乃と、2こ上で高校3年の朱里」

「あ、あわわ」

「よければ今度紹介するよ。俺のフタマタ相手」

 そこまで言ってからアカツキはまた吹き出した。

 返されたスマホの画面を見る。手が震えてしまった。

 ふたりの美女は、アカツキと同じ、華やかな空気を持っている。

 背中がざわざわする。冷や汗が全身にじんわり浮かぶ。


 どうして気がつかなかったんだろう。

 お似合いの美男美女――なんて、当然のことだった。

 3人は、血のつながりを感じさせる、似通った面立ちをしているのだから。



 絶句だ。

 なんてことだ。
 せっかく弱みを握ったと思ったのに……!

 ひとしきり笑ったアカツキが、目に浮かんだ涙を拭いながら私を見上げた。

 ぎくりと身体がこわばる。


「――で、どうしてほしいって?」


 王子の満面の笑みに、背筋がぞっとする。

「あ、う、わ」

 声にならない声を出していると、アカツキがぽつりと言った。


「知紗、イチゴミルクが飲みたいんだけど?」


「は、はいぃぃ!」


 王子の微笑みに、私は全力で中庭の自動販売機に走ったのだった。




*.:・.。**.:・.。**.:・.。*




▽・x・▽ ≪2!!





 * * *


 6月。
 春と夏のあいだの、やけに生暖かく、湿った季節。

 わが校ではこの時季に体育祭なるスポーツイベントが催される。中間テストが終わった、このタイミングに。

 あんぐりと開けた口から、お茶があふれてTシャツを濡らす。もう少しで手に持ったペットボトルを落とすところだった。

 廊下に張り出された模造紙には、中間テストで上位を飾った生徒たちの名前が載っている。

「500点満点中、490点……?」

 薄暗い廊下に、グラウンドの歓声が響いてくる。呆然と壁を見上げていると、後ろで扉が開いた。

「ちーちゃん、お待たせー。あれ、なに見てるの?」

 ハンカチで手を拭きながら、レミが私の目線を追う。

「ああ、中間の結果かぁ。微笑み王子すごいよねー」

 にこにこと笑うレミの肩を、ガッと掴む。

「490点て、全教科で4、5問くらいしか間違えなかったってこと?」



 そんなことありえるの!?

 ぞっとするほど難しかった問題を思い出しながら、細い肩を前後に揺さぶる。

「ち、ちーちゃん、落ち着いて」

 私は1年の欄に掲載されている名前をもう一度見た。

 2位、井端暁(3組) 490点

 順位表は何日か前から張り出されていたけれど、興味も関係もないからこれまで素通りしていた。

 今、目に入ったのもたまたまだ。レミを待っているあいだ、廊下でお茶を飲もうと顔を上げた瞬間、張り出されていたその名前に気が付いた。

「アカツキが、2位なんて……」

「ちーちゃん、ちーちゃん、ここも見て」

 脇でレミがウサギみたいにぴょんぴょん飛び跳ねる。言われるまま視線を動かして、私は固まった。

 10位、北條玲美(3組) 443点

「じゅじゅじゅ、10位!?」

「えっへーん」 

 薄い胸を得意げに反らすレミを、信じられない気持ちで見つめる。



 外見がよくて、無邪気に笑いながらえげつないことをして、そのうえ頭までいいって……。

「どこまでアカツキとかぶるんですか、あなた……」

「まあまあ、そんなに気を落とさないで」

 私が成績のことで落ち込んでいると思ったのか、レミの口調は優しい。

「ちーちゃん、数学だけはびっくりするくらい良かったんでしょ?」

 そうなのだ。ほかの科目はことごとく平均点以下なのに、数学だけ驚きの80点台をマークした。
 ファストフードでアカツキに教えてもらったところが出たからだ。

 ひとりで黙々と勉強していた微笑み王子の姿を思い出す。

 よく考えてみると不思議だ。
 あんなに完璧な王子が、なぜ私なんかをわざわざ小間使いにしているのか。

 脅されてるといっても、言いつけられるのは単なる雑用ばかりで、たいしたことはない。