キミが泣くまで、そばにいる



 赤や黄色など、先生が書いた通りに色を使って書き留めている私と違って、アカツキのノートは黒と青のみですっきりしている。

 そして私のノートには書かれていない文章もちょこちょこ書き込まれていた。

「え、先生こんなこと書いてた?」

 習った公式の横に書かれた見覚えのない文言を指差すと、アカツキは軽く首を傾ける。

「書いてはないかもな。喋ってた言葉をメモっただけだし」

「え、アカツキ、先生の話までノートにとってるの!?」

「いや全部じゃないけど。なんか重要っぽいと思ったことだけ」

 アカツキの教科書に視線を移すとカラーマーカーでアンダーラインが引かれ、授業でやらなかった演習問題を解いた形跡も見られる。

 真っ白な自分の教科書と見比べて呆然としていると、反対にノートを覗き込まれた。

「知紗は色を使いすぎなんじゃん? ノートをきれいにとって勉強した気になるタイプでしょ」

 そ、そのとおり!

 心の中で大正解! と叫びながら、微笑み王子をまじまじと見る。



 そういえば、セイがいつだかアカツキが実力テストで学年2位を取ったとか言ってたっけ。

「さすが爆笑エリート……」

「そのあだ名、誰も呼んでないから」

 ははっと笑ってアカツキは私にノートを差し出す。

「写したいなら貸すけど?」

「え、いいの?」

「ついでに、分からないとこがあれば教えてやってもいいよ」

「う……上から目線。の、ノートだけお借りします……」

 分からないところは佐久田先生に質問すればいいし。そう思って、私はひたすらアカツキのノートを写した。


 アカツキのノートの取り方は独特だった。

 ページを見開きで使って、左のページに板書、右のページにメモや演習問題が書き込まれている。

 黒と青の文字を追っていると、不思議と今日の授業が再現されるみたいだった。自分のノートを見返しても、そんなふうには絶対にならないのに。

「ね、アカツキ。これってどういう意味?」

「どれ?」

 授業でつまずいた箇所を示すと、微笑み王子は分かりやすく解説してくれる。



 この場で質問する気なんてなかったのに、ノートを写す流れで自然と疑問が湧き出る。それだけノートが分かりやすいということだ。

 結局私はアカツキからいろいろと教えてもらった。

「ありがと。多田先生の授業より分かりやすかったかも」 

 ノートを返すと、アカツキは「それはよかった」と他人事のように笑う。

『小間使いになれ』なんて言い出した経緯があるから、今度もノートを貸した見返りに何かを要求されるんじゃないかと一瞬不安になったけど、考えすぎだったみたい。

 微笑み王子は私から笑顔でノートを受け取ると、すぐに自分の勉強に戻った。

 なんだ、いい奴じゃないの、アカツキってば。

 ちょっと拍子抜けしていると、視界の隅で人が立ち上がった。
 となりのテーブルの高槻くんだ。

 彼は腕時計を確認すると、あわてた様子でカバンに教科書を突っ込んだ。

「お、レオ。迎えの時間?」

 トワくんが声をかけると、

「ああ、帰る。じゃあな」

 高槻くんは短く答え、大急ぎでお店を出て行った。自動ドアに消える背中に、あっけにとられる。



 普段はコアラみたいにのんびりしている高槻くんがあんなに慌てるなんて、よっぽど大事な用なのかな。

 思っていると、となりでアカツキがつぶやいた。

「もう4時すぎか」

 広げていた勉強道具をてきぱきとカバンにしまい、席を立つ。

「俺も今日は行くとこあるから、帰るわ」

「おー、じゃーな」

 律儀に返事をするトワくんから、私は遠ざかっていく背中に視線を移す。

 店内にいる女の子たちが、顔を輝かせながらアカツキを目で追っていた。

 同じイケメンでも黒髪の高槻くんより、派手な頭のアカツキのほうが人目を引くのかもしれない。

 店を出る姿を見送ってから、私は急いで立ち上がった。トワくんが不思議そうに目を上げる。

「どうしたチーコ」

「あ、あの、私も用事を思い出したから帰るね」

 トワくんの返事を聞かず、通路を駆け出した。



 自動ドアを抜けアカツキの背中を探す。

 数メートル先の赤信号で立ち止まっている派手頭を見つけて、私はとっさにカラオケ屋の看板に身を隠した。

 耳の奥ではレミの声が響いている。

 ――ちーちゃんも微笑み王子の弱みを握れば……。

 青信号で歩き出した微笑み王子に見つからないように、物陰に隠れながら、私は彼のあとを追う。


 学校ではいつも笑ってて、頭も良いし、弱みを見せるような隙がまったくない。

 だったら、学校外にいるときに探すしかない。


 アカツキはきっと、ただの微笑み王子じゃない。

 それは直感だった。


 ――やめたほうがいい。

 数学科準備室のそばで、彼が一瞬見せた表情を思い出す。

 暗く、感情のない目。



 普段彼が撒き散らしている明るい空気が、すべて打ち消されてしまうような重いオーラを、あのとき確かにアカツキは放ったのだ。

 絶対、なにか後暗いものを抱えてる。

 そうじゃなきゃ、あんな恐い目はできない。


 レミも、中学の時の友達も、私が関わってきた中であんな顔をする人なんて見たことがなかった。

 凄みのある目、とでもいうのかな。

 微笑み王子なんて言われるほどの笑みを浮かべて、アカツキはそれを隠してる。
 そう思うとなんだかしっくりいった。


 はじめて見た瞬間から、彼はどこか作り物っぽい雰囲気を持ってると思っていた。

 あの人形みたいな髪色のせいだと思っていたけれど……。


 きっと、何かある。

 それを突き止めて、弱みを握って、私は自由になるのだ。


 人ごみに紛れる背中を追いかけながら、私は見え隠れするアッシュブラウンの髪の毛に、視線を定めた。












 生暖かい風が、頭上の葉を大きく揺らす。

 今日は風が強い。

 人が行き交う駅前広場。少し離れたバス停の陰から、私はそっと前方をうかがった。

 微笑み王子が立っているのは、緑がさざめく街路樹の下だ。待ち合わせなのか、スマホを片手に動く気配がない。

 街に溶け込むアカツキを見て、なんだあれ、と思った。

 目立つ。
 目立ちすぎる。

 髪の色もそうだけど、アカツキは道行く人々と、顔も体も、作りが異なりすぎている。

 比べているこっちが申し訳ないくらい、すれ違うサラリーマンよりずっと手足が長いし、可愛い顔はびっくりするほど小さい。

 すっかり見慣れてしまってたけど、アカツキは選ばれた人間しか持ち得ない、きらびやかなオーラをまとっているのだ。

 そりゃ通行人も振り向きますわ。
 アカツキに目を奪われて石につまずいたお姉さんに、うんうんと頷きかけてしまう。

 セイが率いる我が校のイケメントップ5。いつも5人まとめて会うから気づかないけど、アカツキ以外の4人もそれぞれ尋常じゃないオーラを放っているに違いない。



 セイは目立ちたくて彼らを集めたらしいけど、むしろ5人が集まることでそれぞれ魅力を打ち消しあっているんじゃないかと思った。

 それとも、近くにいすぎて私の目がおかしくなってただけで、彼ら5人は、常にとてつもない輝きを放っているのだろうか。

 ……慣れって恐い。

 周囲に怪しまれないようにバスの時刻表を見るふりをしながら、アカツキを目で追う。

 彼はスマホに落としていた目を時折駅のほうに向けるだけで、もう10分近くその場に佇んでいた。

 誰を待ってるんだろうと考えて、思いつく。

 もしかして……彼女とか?

 女子大生と現在交際中のセイと違って、ほかの4人の彼女話はあんまり聞いたことがない。

 取り巻きやファンに囲まれ、告白されることも日常茶飯事な彼らは、女遊びが激しそうに見えて意外とそうでもないらしい。

 いちばん女の子にだらしないセイですら、特定の彼女がいるあいだは浮気しない主義だとか。

 いつだか彼らが話していた内容を思い出す。



 数日前の学校帰り、いつものように連れ立ってファストフード店に行く途中で、セイが他校の女子生徒に告白された。

 それをきっかけに、5人それぞれの”告白された場合の断り方”についての話題になったのだ。

 これまで一度も告白されたことがない私からしたら、嫌味以外のなんでもない。

 そもそも、愛の告白をしたり、受けたりという行為は、人生において大きなイベントであるはず。

 少なくとも私にとっては、一生に1度か2度、あるいは希望を持って3度、起こるか起こらないかの重大な出来事だ。

 でも彼らにとっては、告白を受けるなんて日々の日課のように、取るに足らないことらしい。

 ……なんてことだ。神様は不公平です。


 ちなみにその日、他校の女子生徒を振ったセイの断り文句は、『彼女がいるから』だった。


 セイは彼女がいないときに告白されると『顔面直してこい』(ひどすぎる!)あるいは『キミ合格!』という返事をするらしい。