「もっと……」
私の肩に顔を埋め、彼は声を詰まらせた。
「生きてて、ほしかった」
空に向かって手を伸ばし、私は、アカツキの頭を抱きしめた。
光を閉じ込めてしまう砂色の髪は、さらさらと指の間をすべる。
耳元で、ひくっと喉を震わせる音がする。
痛みが、涙と一緒に流れていくのが分かる。
湿った吐息を感じながら、私は砂色の髪を撫でた。
きっと、泣かなきゃダメなんだ。
悲しみや、痛みは、涙と一緒じゃなきゃ出て行かない。
胸に溜めるばかりでは、きっとどんどん膿んでしまう。
だって私は泣けたから楽になった。
アカツキが泣かせてくれたから。
吐き出させてくれたから。
声を殺して泣くアカツキを、ぎゅっと抱きしめる。
そばにいる。
アカツキが泣き止むまで。
今度は私が、そばにいるから――
* * *
教室に入った瞬間から、空気が違った。
いつもより明るい。
クラスメイトたちはみんな、今朝この世に誕生したばかりですとでもいうように、生き生きしている。
「ちーちゃん、おはよー」
席にいたレミが、私を見つけて微笑む。
「明日からついに夏休みだね」
「うん」
星柄のシュシュをつけたカバンは、筆記用具しか入っていない。
いちばん後ろの席につき、私は机に入れっぱなしだった下敷きで顔をあおいだ。ここのところ、太陽は朝から容赦ない。
「レミは予定あるの? 夏休み」
「明日から家族旅行だよー」
スマホをいじりながら答えると、レミは急に身を乗り出した。
「ちーちゃん、見て見て」
差し出されたスマホを覗き込んだ瞬間、カシャリ、と音がした。
「ふぬ!?」
「わーい、撮れたぁ」
レミが嬉しそうにスマホを操作する。
「これで夏休み、ちーちゃんに会えなくても寂しくない」
「ちょ、何撮ってんですか」
「これ♥」
ふわっと美少女の笑みを浮かべて、レミが画面を見せる。あまりのおぞましさに、めまいがした。
完全に気の抜けたマヌケ面。下から写されている分、鼻の穴が目立ってさらにひどい。
「レミさんは、私のアホショットを集めて何がしたいのかな?」
無理に笑顔をつくりながらスマホを奪おうとすると、彼女は「うふふ」と笑いながら身をかわした。
「ね、それよりコレ見て~。昨日のテレビでやってたんだけどね」
そう言ってレミが差し出した画面には、占いのアプリが映っている。
「相性占い。当たるんだって。これがすごいんだよ」
嬉しそうに言って、目にも止まらぬ速さで誕生日や血液型を打ち込んでいく。
「ほら、レミとちーちゃん、相性100パーセントなの!」
スマホを受け取って、表示された結果に目を落とす。
『レミさんとチサさんは、お互いを理解し合える最高の相性です。チサさんが暴走した場合、レミさんは上手にフォローできます。またレミさんの言動が不可解でも、チサさんなら寛大に受け止められるでしょう』
「この結果、なんか変じゃない……?」
暴走とか不可解とか。さりげなく占った人をディスってる気がする。
「まあ、100%はすごいと思うけど……」
レミが私の机に頬杖をつき、にこっと笑った。
「でしょ。それでね、レミとちーちゃんが100%ってことは、アカツキくんとちーちゃんも100%ってことだよね」
「え……」
「だってレミはアカツキくんと同じタイプだから」
思わず窓側に視線を走らせた。
ひだまりの席は、いつも以上に賑やかだ。
アカツキは相変わらず笑ってる。
ずっと刺さっていたトゲがようやく抜けたみたいな、すっきりした笑顔だった。
「レミ、なんかわかるなぁ。微笑み王子がちーちゃんに目をつけた理由」
私の視線を追って、美少女は吐息をこぼした。
「ちーちゃんて、あけっぴろげなんだよね。見てて面白いのはもちろんだけど、一緒にいると、なんかほっとする」
「ほっと、する?」
「うん。いつも感情むき出しだから、見てて飽きないっていうか。次はなにやるんだろってハラハラするっていうか、楽しみっていうか」
「え……それもう、芸人を見る目だよね」
「あはは。でもね、ちーちゃんといると、自分が強くなったような気になれるんだよ」
「強く……?」
レミの声を聞きながら、私は微笑み王子を見やった。
取り巻きの女の子たちと楽しそうに笑っている彼は、どこか吹っ切れた顔をしている。
なんだか、眩しい。
机に目を落とし、カバンにつけたシュシュを見る。
夜明けの空を思わせる、青のグラデーション。
腕にはめると、星のチャームがきらりと光った。
・
「あっちぃなーもう。校長の話、長すぎだろ」
蒸し風呂のような体育館から吐き出された生徒たちは、額に汗をかきつつもみんな晴れやかな顔をしていた。
終業式を終えて、いよいよ気が浮き立っている。
レミと別れ、ひとりでトイレに向かいながら、窓の外を見た。真っ青な空に綿菓子のような雲が浮かんでいる。
4月にアカツキと契約を交わしてから約3ヶ月。
毎日のように名前を呼ばれ、パシリにされ、放課後を一緒に過ごしてきた。
明日からしばらく、あたりまえのようだった犬の日々が、なくなる。
不思議だった。
最初の頃は、アカツキから解放されたくて、弱みを握ろうとあとをつけたこともあったのに、いざ自由になると思うと、ちょっと寂しい。
夏休みになったら、アカツキと会えなくなるのか……。
物思いにふけりながらトイレのドアを開けようとしたとき、中から尖った声が聞こえた。
「つか、なんであの子だけ、いっつも王子のそばにいんのー?」
ぎくりとして、足を止める。そのまま立ち去ればいいのに、動けなかった。
「真辺は忠犬だからねー。所詮犬だよ。気にすることないって」
「ていうか、そばにいていいなら、あたしだって犬になりたいんだけど」
「うちもそれ思ったー。彼女じゃないんだし、忠犬なら何匹いてもいいじゃん」
「だよね。うちらも犬にしてもらおうよ。つか真辺はイヤイヤやってんでしょ? だったらうちらが変わってあげれば万々歳じゃん」
そっときびすを返す。胸が鼓動していた。
そうか、と思った。まさに目からウロコ。
忠犬はなにも一匹じゃなきゃいけないってわけじゃない。
アカツキはいつでも別の子を犬にできるし、いつでも私を放り出すことができる。
「あ、知紗」
声に、足を止める。階段を上がってきた生徒のなかに、微笑み王子の姿があった。
「ちょうどよかった」
満面の笑みを浮かべて、彼はおいでおいでと、手首を振った。
・
今日は終業式で学食が利用できないため、学食前のホールは静まり返っている。
自動販売機のボタンを押しながら、アカツキは私を振り返った。
「知紗も買う? 桃?」
「……いちご」
「え?」
きょとんとしているアカツキの横から手を伸ばし、ボタンを押すと、イチゴミルクが吐き出された。
「どうかした? いつもは桃茶なのに」
「なんとなく、気分で。あ、お金」
ポケットからお財布を出そうとしたら、アカツキは首を振った。
「今日はおごり」
「え……あ、ありがとう」
イチゴの絵が描かれたパックに目を落とす。美味しいけど甘ったるくて、最後まで飲みきれないから、普段はあまり買わない。
でもアカツキはこれが好きだ。