キミが泣くまで、そばにいる



「あいつら、どこいった?」

「アカツキと高槻くんは帰った。トワくんとダイチくんはバッティングセンターに行ったよ」

「ちっ、そっちか」

 めんどくせーときびすを返すセイの腕を、とっさに掴む。

「ねえ」

「あん?」

 金髪男が振り返った。

 自分でも驚いて、手を放す。

 引き止めるつもりはなかったのに、身体が勝手に動いてしまった。

「なんだよ」

 不機嫌そうに見下ろされ、言葉が出てこない。
 何度も言いよどみ、ようやく口にする。

「その、アカツキの、ことなんだけど……」

 セイはアカツキと同じ中学校に通っていた。トワくんたちと違って、中学時代の微笑み王子を知っている。

 アカツキの姉ちゃんはふたりとも美人、なんて言ってたくらいだし、家族のことも把握してるはずだ。

 セイはきっと、私の知らないアカツキを、知っている。

 自分に言い聞かせるように唇を噛み締めて、金髪男を見上げると、

「アカツキがなんだよ」

 面倒そうにため息をついて、セイは正面の席にどかっと腰を下ろした。




 だらしなく座ったまま、置いてあった私のジュースを当然のように飲み始める。

 関節キスとか、この人の次元ではどうでもいいことらしい。いや、私のことを女の子だと思っていないだけか。

「アカツキって、その、学校と家で、違くない?」

 どう聞けばいいかわからず、たどたどしく言葉にする。

 セイは黙っていた。

 私に目を据えたまま、じっと座っている。

 どうやら私の言葉を待っているらしい。

 人の話を聞く態度を取るなんてめずらしい。それだけ真剣に耳を傾けてくれているのだと分かり、私は頭を整理しながら先を続けた。

「いつも笑ってるけど、なんか、無理してるように見えて。家の中でもそうだったんだよ。お姉さんたちに対して、不自然なくらい明るい笑顔見せてて」

 言いながら、なぜか不安がこみ上げた。

 アカツキの様子が変だなんて、もしかすると全部私の妄想かもしれない。
 こんなことを人にしゃべるなんて、余計なお世話かもしれない。

 それでも、もやもやと膨らんでいくものを、胸に留めておけなかった。

「セイ、何か知らない?」




「自分で本人に聞く気はないわけ?」

 かすかに眉をひそめ、セイはまっすぐ私の目を見る。

「……聞いちゃ、いけないような気がして」

 気圧されそうになりながら、どうにか目を逸らさず答えた。

 アカツキに大きな秘密があるとして、王子の犬としてそばにいるだけの私が、踏み込んでいいかわからない。

 尋ねたところで、拒絶されるかもしれない。

 もしそうなったら、私とアカツキの関係も崩れそうで、恐い。

「じゃあ、俺も教えらんねぇ」

 金色の髪を揺らし、セイがソファにもたれる。

 私の失望に気づき、彼は嫌そうに唇を引き伸ばした。

「仮に、アカツキに秘密があったとして、ちィはそれを知ってどーすんの?」

「え……」

 セイの切れ長の目が、冷たく細まる。まとっていたチャラい空気が一瞬冴え渡った。

「脅すか? 自分が脅されたみたいに」



「しないよそんなこと!」

 大声が出た。

 はっとして周囲を見回す。

 ざわざわと賑わっている店内で、女性客がちらちらこちらを見ているけれど、私の声で振り向いたというよりは、セイを見てそわついている感じだ。

 ちいさく咳払いをして、私は声を落とした。

「脅したりなんか、しない。ただ……気になって」

 アカツキのことばかり考えてしまうせいで、なんにも手につかない。

 自分の心を落ち着かせるためにも、知りたい。アカツキのことを。

「ふうん」

 つまらなそうにつぶやいて、セイは席を立った。

「ちょっとセイ、話はまだ」

「教えない」

 カバンを担ぐように持ったまま、彼は私を見下ろす。

 強い瞳だった。


「今のちィには、まだ」


 どこか試すような視線を残して、金髪男は女子たちの視線を一身に浴びながら、自動ドアを出て行った。




 * * *

 小花柄の傘に細かな雨粒があたる。
 梅雨まっただ中の月曜日の夕方、繁華街にはたくさんの傘が咲いていた。

「知紗ちゃん、どっかでお茶飲んでいこっか」

 黒髪の美女に連れられて、私は裏通りのカフェに入った。

「あー、いっぱい買っちゃったなぁ」

「すっごい可愛かったですね」

 塗れないようにビニールをかぶせられた紙袋を、それぞれ抱えてくすくす笑う。

 現代美術作家、喜多尾一夜の展示会に行った帰りだった。

 会場脇に設営されたショップでキタイチのグッズを大量に買い込み、ふたりでご満悦というわけだ。

「雨だからかな。人が少なくてラッキーだったね」

「ゆっくり見られましたよね。もう私、あの部屋に住みたい!」

「ほんとほんと、ソファも棚も全部キタイチワールドで、めちゃくちゃ可愛かったぁ」

 キタイチの話をはじめると止まらない。
 お互い周りに理解者がいなかったこともあって、溜まりに溜まったキタイチ愛をこれでもかと語り合った。

「あーおかしい。知紗ちゃんてホントおもしろいね」

 しゃべりすぎて喉が渇いちゃったと、紅茶を口に付ける朱里さんを、改めて見る。



 学校から一度帰宅して着替えてきたという彼女は今日、漆黒の髪を高い位置でお団子に結び、淡い色のリボン付きブラウスに水色のキュロットスカートを合わせていた。

 レミのときも思ったけど、美少女は制服でも私服でもかわいい。もう何を着ても似合う。

 さすがアカツキのお姉さんだ。終始にこにこしているし、朱里さんが人見知りなんて、今では信じられない。

「朱里さんて、セイのこと、知ってるんですよね?」

 キタイチの話が一段落したところで水を向けてみる。
 彼女はアカツキとよく似た丸くて大きな目を、ぱちんと瞬いた。

「セイ?」

「あっと、星野彗です。アカツキと同じ中学の出身で、今は金髪の」

 フランボワーズケーキにフォークを入れて、朱里さんは思い出したようにつぶやく。

「星野? ああ、星野総合病院の関係者かな」

「星野総合……? たぶんそれです。病院の息子って言ってたし。アカツキと仲がいいから、朱里さんも知り合いなのかなと」




「ううん、知らない」

 目をぱちぱちさせながら首を振る。知らない素振りではなく、本当に記憶にないらしい。

「あっくんの友達ならうちに遊びに来たことがあるかもだけど、あたしはあんまり関わらないから」

 セイ……口を利いてもらったどころか、まったく認識されてないよ。

 ちょっと哀れだ。あんな派手な金髪なのに、まったく印象に残っていないなんて。

 あれ、でも。
 引っかかりを覚えて、私は首を捻る。

 セイを知らないのに、病院の名前がすぐ出るなんて、セイの家ってもしかして、ものすごく有名な病院なのかな。

 ふと、朱里さんがうかがうように私を見た。

「あっくん、高校ではどんな感じ?」

「え? ああ、よく笑ってます。微笑み王子なんて言われてて」

 彼女は優しげに表情を崩し、小さくため息をついた。

「学校でも笑ってるんだ、あっくん」



 赤い宝石みたいに艶やかなケーキに目を落として、朱里さんは続ける。

「やっぱり無理してるなぁ」

「え……?」

「昔はね、あんなふうに笑う子じゃなかったんだよ。どっちかっていうと、あたしみたいに人見知りでムスっとしてるほうが多かったかも」

「そ、そうなんですか? 学校では無駄に笑ってるような……」

「もう笑うのがクセになっちゃってるのかもなぁ。あ、でも」

 朱里さんはフォークを握ったまま、まるで内緒話でもするみたいに身を乗り出した。

「知紗ちゃんの前では、素の自分を見せてる、でしょ?」

「え……?」

「このあいだ学校で会ったとき、本当に一瞬だったけど、見えたんだ」

 穏やかな顔で、彼女はフォークの先を私に向けた。

「となりに女の子がいるにもかかわらず、全然表情をつくってないあっくんが」

 朱里さんは、形のいい唇にいたずらっぽい笑みを浮かべる。



「あっくんが素の顔を見せてるこの子は何者だろうって、あのとき、すごいガン見しちゃって。ごめんね」

「や、そんな」

「知紗ちゃんは、あっくんの彼女なの?」

 突然の問いかけに、紅茶を吹きそうになった。

「ち、違います! 私は、アカツキの……ええと、忠犬って、周りからは言われてますけど」

「忠犬?」

 朱里さんが目を丸めた。

「ええと、いろいろ用事を頼まれるっていうか。あ、でもアカツキに勉強を教えてもらってるから、お互いさまっていうか……」

 こんなことアカツキのお姉さんに話していいのかな、と肩を縮めていると、彼女がちいさく吹き出した。

「あはは、忠犬」

「そ、そうなんですよー。忠犬はじめてもう3ヶ月くらい経つかな。だから彼女なんてとんでもないっていうか」

「いいじゃない、忠犬」

「え?」

 何がそんなに面白いのか、目に涙を浮かべ、朱里さんはにっこり微笑む。