突然現れた正樹に沙耶は動揺した。

でも正樹は平気な顔をしていた。

保育園の時泣かせたことなど記憶にもない素振りだった。


沙耶は正樹がどこに入って行くのか見ていた。
驚いたことに同じ教室だったのだ。


確かに西村正樹の名前はなかった。
でも沙耶は知らないだけだった。
正樹は母方の家に引き取られて長尾正樹と名乗っていたのだった。




 結局二人は同じクラスだった。
市立松宮中学。
市内にある三つの中学校の中の一つだ。

他には西中学校と東中学校があり、松宮中学校は真ん中にあった。


(――まさかこんなことになるなんて……)
沙耶は落ち込んだ。

でももう保育園時代の泣き虫サーちゃんではない。

沙耶は両拳に力を入れて握り締めた。


(――もうあの頃の私ではない。私は負けない)

沙耶は正樹の背中をもう一度睨み付けた。




 その頃正樹はもがいていた。
将来の夢は勿論プロレスラーだ。
父親は保育園を卒業後に亡くなった。

だから尚更、思い出が強いのだ。
父親との遊びが夢へと繋がり、プロレスラーへの道と向かわせたのだ。


パフォーマンスで、痛い演技をしているだけ。
そう教えられた。
でも四字固めを掛けられた時、物凄く痛かった。

だから余計に燃えてしまったのだ。

もし叶えられたなら嬉しいと思っていたのだ。

でもどうやったらなれるのかが判らない。

どのように体を鍛えたら良いのかさえも判らないのだ。


部活は運動系なら何でも良かった。

母の実家で肩身の狭い思いをしてきた。
だから、スポーツ少年団にも入れなかった。

正樹はただ悶々と生きてきたのだった。




 沙耶は正樹とは一切口をきかなかった。

アンタなんか嫌い。
と言う意思表示だった。

沙耶はそれだけで一年間を遣り過ごしたのだった。


でも苦しい。
本当は話がしたい。
正樹は父親譲りの美少年だったのだ。


アイドル並みのルックスは校内随一。
もし人気投票でも実施されたら、必ず一位になるだろう。


だから、本当は悔しいかった。
正樹に掛けられたプロレス技で近付きがたい存在にされてしまったことが。

コブラツイストや足四の字固め。
思い出す度、胸が張り裂けそうになる。

沙耶は気が狂いそうになりながら、心の中で戦っていたのだった。

その思いが何なのか知りもしないで。