子供の頃から好んで読んできたロシア文学は、19世紀に活躍した作家が多かった。



トルストイやプーシキン、ギリャロフスキー、

去年紫にあげた『罪と罰』の翻訳文庫本の原作者ドストエフスキー、

それからニコライ・ゴーゴリも好きな作家だ。



小学生の頃は翻訳本を読み漁り、中学生になるとどうしても原文で読んでみたくなり、独学でロシア語を学んだ。



今では原文の作品を、時には輸入して読み漁っている。



白黒写真を見ながら、今まで読んで頭の中に描いてきた、200年前のロシアの光景を思う。



ギリャロフスキーの『帝政末期のロシア』に描がかれた、ストレシニコフ横町や、

古物市スハレフカ、銭湯や床屋や競馬場のルポを思い返していた。



トルストイが『戦争と平和』で写実的に描いた、華やかな都市生活と豊かな田園生活の痕跡を、

モノクロ写真の中に探していた。



現代ロシアの商店街の多様な看板を見ながら、

ゴーゴリの『外套(ガイトウ)』の主人公、アカーキ・アカーキヴィッチが下ろし立ての外套を剥ぎ取られる、

サンクトペテルブルクの暗い町並みを思い浮かべる。




奇妙な懐かしさの正体は…こう言うことなんだ。



ロシア文学史に名を残す著名作家達の文章。

俺の中に蓄積されたそれらの文章とイメージを透過して、この写真に対峙しているから…

だからこの写真達に懐かしさを感じるのか。



急に興味を掻き立てられ、観光地の後の6枚目の写真に戻り、もう一度ゆっくり眺めて行った。



すると、頭の中の文章がモノクロ写真に色を付け始め、

その写真に漂うロシアの空気が、雄弁に語り掛けてきた。



街角の人々が…看板が…壁の落書きが…モスクワの空が…鮮やかに色付き始め、

そこに写る人々の、言葉や珈琲の香りが漂ってくる様な、錯覚の中にいた。



現代ロシアの町並みと日常風景に、19世紀の文章を重ねて見ている頃、

紫は俺とは全く違う観点から、この写真展に興味をそそられていた。



この正方形の空間の中央に、横並びに設置された2枚のパーテーション。

そこに貼られた大きな写真パネルを、彼女は瞬きも忘れて見つめていた。