そんな日が続いていてもお母さんは私たちの前では明るく笑顔を絶やさなかった

ある日、

「のん、お父さんがのんとしゃべりたいって」

何日も帰ってこないお父さんからの電話だった

「もしもし、お父さん?」

「希美元気?」

「うん、元気よ」

「あんな、お父さんなお母さんと離れ離れで住むことにしたんよ、希美は、お父さんとお母さんどっちと住みたい?」

幼い私は、この言葉が離婚を意味していたなんてわかるはずもなく
もともとお父さんっ子の私は、少し悩んだあと

「お父さん!」

そう答えた。

「わかった、んじゃあお母さんに代わって。」


そういってお母さんに携帯を渡した

私とお父さんの会話を横にいたお母さんはどんな気持で聞いていたかと思うと
とても悲しくなる。