柵すれすれに立ってこちらを見ている奈子さんは、顔に覇気がなく疲れている様子だ。

「奈子、危ないじゃないか。こっちへ、おいで」

一定の距離を保ちながら、敦哉さんは手を差し出した。
その言葉通り、柵の高さは腰辺りまでしかなく、バランスを崩すと落ちてしまいそうだ。
息を飲む状況に、私と海流は為す術もない。
すると奈子さんは、敦哉さんの言葉に大粒の涙を流した。

「嫌よ!私の事は放っておいて!敦哉くんは所詮、私なんてどうでもいいのよ」

なぜ、そんな事を言うのだろうか。
さすがに、それには腹が立つ。
そう思うと、口を出していた。

「そんな事はない!だって、敦哉さんはとっても心配してたんだよ?今だって、真っ先に駆けて来たのに」

すると、奈子さんはキツイ目で私を睨んだのだった。

「あなたに言われたくない!結局、敦哉くんに愛されてるあなたなんかに、偉そうに説教されたくないのよ」

「え?」

愛されている?
それは、一体どういう意味なのか。
奈子さんの言葉が全く理解出来ず、それ以上何も言えなかった。
すると、奈子さんは涙を止める事なく、敦哉さんに視線を戻したのだった。

「結局、敦哉くんはあのパーティーの日、私を抱いてくれなかった!それどころか次の日には、私の両親に土下座までして謝ったのよね?私と結婚出来ないって」

その言葉は、あまりにも衝撃的過ぎて、すぐには飲み込めない。

「ごめん、奈子。だけど、俺は出来るだけ、何でも力になってやりたいって思ってるんだ。奈子を嫌いでも何でもない」

敦哉さんは少しずつ、奈子さんに近付いていく。
だけど奈子さんは益々、感情的になっていった。

「そんな中途半端な優しさは、私にはいらない。欲しかったのは、敦哉くんの心だけ。だから、わざと高弘くんとの結婚を承諾した振りをしたのに、結局ダメだった。中途半端に心配するだけで、敦哉くんの心は掴めなかった」

そう言うと、奈子さんは号泣した。
まさか、あの夜、二人の間に何も無かったとは思わなかっただけに、話についていくだけで精一杯だ。

「何が自分を忘れさせる為にキスをしたよ。それが出来るなら抱くって何よ、その条件。バカにしないで!敦哉くんが側にいてくれなかったら、生きていても仕方ない」

感情が高ぶっている奈子さんは、私たちの言葉など耳を貸す様子もなく取り乱している。
それでも諦めない敦哉さんは、一歩ずつ近付いて行った。

「バカな事を言うなって。ほら、冷静になって話し合おう」

そう言って、敦哉さんが手を差し出した時だった。

「やめて!同情なんて、まっぴらよ」

奈子さんが、その手を振り払おうとした時だった。
バランスを崩した奈子さんは、後ろ向きに倒れそうになる。
すると敦哉さんが咄嗟に、奈子さんの腕を掴んだのだった。

「奈子、危ない!」

敦哉さんの叫び声と共に、私たちの目の前から二人の姿が消えた。
それは、あまりに一瞬過ぎて、何が起こったかが分からないほどだ。
だけど、次の瞬間には理解出来たのだった。
二人が屋上から落ちたという事実を。

「いやー!敦哉さん!!」

思わず柵まで駆け寄ろうとした私を、海流が必死に引き止める。

「ダメだ。愛来、危ない!」

すぐ側では、顔色を変えた高弘さんが救急車を呼んでいる。

「嘘でしょ?嘘よね?ねえ、敦哉さん!」

夜空の下で響く、私の泣き叫ぶ声。
それから程なくして救急車がやって来た時には、辺りは騒然としていたのだった。