――ガコン。
勢いよくそれは落ちてきた。眠気覚ましのコーヒー。
温かいというより熱いそのフタを開けると、小気味良い音が辺りに響いた。
「はあ…」
一口飲んで顔を上げる。危ない、目的を忘れるところだった。
私は大きなガラスのドアを見つめる。青いラベルの、爽やかなコンビニエンスストアの。
……今日もいる。
レジに立つ青年を確認できただけで、私はほっとしてしまう。
その人の名前は、立岡と言うらしい。この間会計のときに名札を確認したから確実だ。
一目惚れなんて信じない、絶対信じない主義なんだけど…。
「なんか、気になるんだよね…」
私は小さくため息をついた。
夜10時。ここは人通りも多く、夜でも明るい場所だ。
だからって安全なところでは決して無いんだけど。
女子高生がこんなところでウロウロしてたら、すぐ補導されてしまいそうだ。
だから私は、黒いコートに黒い帽子、黒いブーツに黒い手袋という格好をしている。
これなら夜に溶け込めるような気がして。
今日もコンビニの中に入ったりはしない。だって、目的は立岡さんを見ることだから。
「これじゃあ、ホントにストーカーだよぉ」
私はまたため息をついた。
立岡さんは火・木・土の夜に働いているみたい。
毎日通って調べちゃったんだ。
出来る限りバレないように、服装も髪型も変えて毎日通った。
彼を見つける度に顔が熱くなるのを感じて、慌てて買い物を済ませたりして。
我ながら、情けない。
こんな夜に働いてるってことは、立岡さんは学生さんなのかな。
それとも、沢山仕事してるのかな。
背がすらりと高くて、柔らかそうな茶色い髪の毛。
「いらっしゃいませ」って優しく微笑んで言ってくれる。
カンペキ…!
私は思わずにやけていた。
そんな自分に気付いて、慌てて下を向く。
恥ずかしいけど、なんか楽しいんだ。
火・木・土はこうやってここに来て、彼を確認して、1時間くらい外で粘って帰る。
これがここ1か月くらいの私の生活パターンとなっていた。
ただ外から見てるだけなんだけど、それだけで満足していた。
ここからじゃ、彼の声は聞こえないけど。
私の姿も見られないから、私はこの場所が気に入っていた。
コンビニの前にある、自動販売機。
ここでいつも私は温かいコーヒーを買って、1時間かけて飲んでいる。
最後には冷たくなるけど、そんなこと気にしなかった。
時計を確認すると、11時になるところだった。
そろそろコーヒーがなくなる頃だ。
名残惜しさを感じながらも、私はそれを飲み干した。
近くに備え付けてあるゴミ箱にそれを捨てる。
帰ろうと振り返ったときに、奇跡が起こった。
「美味しかった?」
立岡さんがそこに立ってた。
しかも私に話しかけている…!
私は驚きのあまり、その場に硬直してしまっていた。
「いつもここでコーヒー飲んでるね。中で買わないの?」
「どうして…」
私がいつも来ていることに、気付いてたんだ。
そう分かった瞬間、私の全身から熱が出た。
「外を見ると、いつも黒猫ちゃんがいるからさ。気になって」
まさか、貴方をみるために来てます、なんて言えない。
不思議そうな顔をしている立岡さんに、どう答えようかと真っ赤になって考えてたら、大きなくしゃみが出た。
最悪だ。よりによってこんな時に。
「こんな寒い時期にここにいたら、風邪引くよ」
そう言うか言わないかのうちに、彼は私の手を引いて歩き出した。
え?え?どこ行くの?
驚いて繋がれた手を引っ張ると、彼は顔だけ振り返って笑った。
「すぐそこに休憩室があるから、少し暖まろう」
私は反抗するのを止めた。
「で、どうしていつもあんなとこにいるの?」
温かいコーヒーが入った紙コップを手渡しながら、再びその質問をしてきた。
「どうしてって…」
私は口ごもってしまった。何を言えばいいんだろう。
何を言えば、嫌われずに済むんだろう。
「言いたくなかったら、無理に言わなくていいけど」
そう言う彼の横顔が優しかった。
ここでもし言わなかったら、もう二度とこんなチャンスは無いだろう。
もうこのコンビニに来る勇気も無くなるかも知れない。
私は勇気を振り絞った。
「怒らないで聞いてくれますか?」
恐る恐る立岡さんの顔を見上げた。
ちょっと驚いた顔をしていたけど、彼は微笑んで言った。
「怒らないよ」
私は深呼吸して、呟いた。
「多分私、立岡さんのストーカーなんです」
「え?」
彼の顔から、笑顔が消えた。自分の名前を知っている私に驚いているようだった。
どうしよう、と思ったけど、もう引き返せない。
私は続けた。
「私、1か月前にここで、あなたを見たんです。その、一目惚れ、しちゃったみたいで…。
それから立岡さんっていう名前も分かって、毎日通って働いてる曜日と時間も調べて。
私、貴方がここにいるからいつも外で見てるんです」
彼は何も言わない。
私は俯いた。きっと彼に、嫌われてしまった。軽蔑してるんだろう。
「も、もう二度と来ません。私、もう立岡さんに付きまとうの止めます。
本当にごめんなさい…」
涙が溢れるのが分かった。
最初のチャンスは、最後のチャンスとなってしまった。
しかも、彼に嫌われるという最悪の結果で。
立ち上がって、出入り口に向かおうとした私の腕を、別の腕がつかんでいた。
え?
振り返ると、立岡さんが困ったような顔をしていた。
「あのさ」
何を言われるんだろう。どんな非難の声が聞こえるんだろう。
私は身を固くした。
だけど、彼の口から出た言葉たちは、
私を困惑させるものだった。
「君がストーカーなら、俺もストーカーなんだけど」
「え?」
「君があそこにいるようになって、気になってたんだ。こんな冬の日に寒くないのかな、中に入らないのかなって」
彼の声は穏やかだけど、時々早口になる。
「何度か、声をかけようとしたんだけど、その、出来なくて」
彼の頬がちょっとだけ赤いのは、暖房が強いせいだろうか。
「君がいつも飲んでるコーヒーの銘柄が気になったりして、この間確認出来たときは本当に嬉しかった」
コーヒーのメーカーなんて、考えてなかった。
そういえば、いつも同じのばっか飲んでたなあってぼんやり思った。
確認、してたなんて…!
「君が寒そうにしてるのが見てられなかったから、声かけたんだけど」
今日の出来事が偶然じゃなかったことを知った私は、ただ目をパチパチさせることしか出来なかった。
頭の情報処理が追い付かない。
「まさか、気になる子からストーカー宣言されるなんて思わなかったな」
はは、と彼はゆるく笑った。
どうやら、彼の意識の中に私は存在してるらしい。
それが分かっただけで嬉しかったのに。
「よかったらストーカー同士、仲良くしませんか?」
さらに彼は右手を差し出してそう言ってくれた。
実ったことなんてなかった恋が始まろうとしている。
それだけのことで泣き出す私の頭を、彼が撫でてくれた。
【終わり】