「綺麗。桜吹雪みたい」
彼女は言う。
この、粉雪が舞う中で。
彼女との出会いは数か月前。
少しずつ秋が深まり始めた頃だった。
僕はファインダー越しに、近くの山のもみじを眺めていた。その山は、小さいながらも紅葉が美しい。
今年は例年と比べものにならないくらい、紅葉が綺麗だった。
早朝の風を受けて、ピントを合わせる。
その時だった。
ファインダーの中に、"何か"が見えた。
ひらひらしていて、白い――。
思わずカメラから顔を離した僕の目の前に、彼女がいた。
この季節には不釣り合いなくらい白いワンピースが、気持ち良さそうに風になびいていた。
「写真を撮ってるの?お兄さん」
声が涼しいな、というのが第一印象。
そして。
「あたしも撮って?」
笑顔がかわいいな、というのが第二印象。
彼女の名前は、風子と言った。その雰囲気にピッタリだな、と僕は思っている。
「ねえ、シンジ」
自分の名前を呼ぶ彼女の声が好きだ。
「あたしね、冬が好きなの」
いつのことだったか。
僕のマンションの部屋に来た彼女は、作業をしている僕の横でそう呟いた。
「冬?」
現像し終わった写真たちを選別しながら、僕は問い返す。
「うん。花がいっぱい見られるから」
ころころと笑いながら言う彼女を、思わず見つめてしまった。
「花?」
さっきから僕は、単語しか喋っていない。
「私の好きな花。冬に咲くの」
ふぅん、と言いながら、僕は一枚の写真を手に取った。
それは、あの紅葉の写真。
「あ、それ」
彼女は嬉しそうに言った。
僕たちが出会った時の、記憶。思い出がモノとして残ることが、こんなにも嬉しいことだったなんて知らなかった。
「あの時のシンジの顔が忘れられない」
可笑しそうに話す風子を見て、居心地が悪くなった。
「君がいきなり出てくるから」
小さく吐くと、さらに嬉しそうな顔をする。
「カメラマンがいるって思ったら嬉しくなっちゃって」
「ふぅん…今も?」
君の目的は、僕じゃなくてカメラ?
商売道具に嫉妬してしまうなんて、僕は相当の馬鹿だな。
ため息をつくのと、彼女の腕が絡んでくるのは同時だった。
「シンジ。好きだよ」
どうして君は、こうも簡単に言えるんだ。
さっきまでのイライラが、消えていく。
不思議だな。
君は風のように、僕の心を癒してくれる。
「ね、ひとつお願いがあるんだけど」
そう来ましたか。
彼女は僕の腕をつかんだまま、顔を見上げてきた。
「私の好きな花、貴方のカメラで撮って」
そして、今日に至る。
「綺麗。桜吹雪みたい」
「これが、君の言ってた花?」
「うん」
優しい風に、粉雪が方向を定めないまま宙を舞う。
それはまるで、もう2か月もしないうちに咲く、あの花のようで。
「桜は、2回咲くの」
なんて言ってる彼女の肩に、ひらひら落ちてくる白い花びら。
「欲張りな君らしい考えだね」
そう笑って僕はファインダーを覗く。
「でしょう?」
彼女も笑って、触れると消えてしまう花びらに、そっと手を伸ばす。
「僕も欲張りなんだ」
シャッターを下ろしながら、彼女に言った。
「春になったら、"君と桜"を撮りに行こう」
やがて桃色の花が咲き、触れても消えない花びらが宙を舞い始めた頃。
僕の部屋の壁には、白い桜と驚き顔の彼女が写る写真が飾られることになる。
【終わり】