「暑い」
奈々子は窓から入る日差しに目を細めてから、這うようにしてベッドから抜け出た。
ベッドサイドに置かれたリモコンに手を伸ばし、急いで冷房のスイッチを入れる。
エアコンの古めかしい音がして、ワンルームの部屋が徐々に冷え始めた。
奈々子は膝までまくれあがったユニクロのルームウェアを引っ張って直しながら、冷蔵庫の麦茶を取り出す。
ロフトで買った小さな食器棚から、百円ショップで買ったグラスのコップに麦茶を注ぐ。
一気に二杯飲み干して、やっと目が覚めて来た。
「今日はお休みか」
奈々子は再びベッドに戻り、転がった。
土曜日。
いつもは出勤するけれど、今日は特別なお休み。
かず子先生が関西の学会に出席するため、臨時休診なのだ。
「あーあ」
奈々子は声に出して溜息をつく。
一人暮らしを始めてから、独り言が多かった。
家のなかだけならまだしも、最近は外にいてもつい口に出してしまう。
言ってから顔を赤らめることもしばしばだ。
「今日は見られないんだ」
奈々子は天井をぼんやりと見ながら、再びつぶやいた。
結城は火曜日と土曜日の二回、診療所にやってくる。
お休みはうれしいはずなのに、なんだか損した気分になっているのが不思議だ。
翌週から、結城は一人で診療所に来た。
薄いブルーの半袖ワイシャツに、濃紺のパンツ。
「ノーネクタイで失礼します」
結城は最初にそういって頭を下げた。
彼が診療所にくると、相変わらず空気が一変する。
彼はそんな雰囲気にも慣れているのか、何事もないように仕事を進めた。
「納品リストのチェックをお願いします」
結城に手渡される書類を受け取るとき、かならずその長くてまっすぐな指を見つめてしまう。
彼の存在があまりにも現実離れしていて、奈々子は何度結城に会っても、慣れることができなかった。
それは診療所の皆も同じようで、結城がくると、なんだかんだと理由をつけて、待合室にのぞきにくる。
かず子先生でさえそうだ。
いつのまにか彼のくる時間の待合室は、女性達で溢れかえるようになった。
ただ美しいというだけじゃない。
不思議な魅力を持っている人。