日曜の夜。
ホテルの部屋は空いている。


安っぽい壁紙とプラスティックの花が飾られるロビー。
拓海は無言で部屋のボタンを押すと、小さな窓から手が出て、鍵を渡された。


三階で降り、薄暗い廊下を歩く。
緋色の絨毯は埃っぽい。
非常口の電光表示が、拓海のむなしさを煽った。


廊下中央の部屋に入ると、ぱっとフットライトがつく。
アルコール消毒された匂いがした。


拓海は鍵を玄関に放り投げると、霞を乱暴に壁に押し付けた。
彼女の首に唇を這わせ、ニットの下に手を入れる。


「今日は性急」
霞が息を切らせながら言う。

「嫌い?」

「こういうのも好き」


霞のニットを脱がせ、黒のキャミソールをたくし上げる。
霞も拓海のパーカーのチャックを下ろし、Tシャツの上から胸に手をあてた。


「キスして」
霞がねだる。

拓海は言われるがままに霞にキスをした。
二人はそのままキスしながら、ベッドに移動する。
そして倒れ込んだ。


わずかな明かりの中で、霞のキャミソールを脱がせ、下着の肩ひもを肩から下ろす。
拓海はTシャツを脱ぎ捨て、再びキスしながら彼女の足をなぞり、赤いヒールを脱がせた。


抱く前からもうすでに、虚無感に襲われている。


ゆきとの幸せに満ちた時間が頭をよぎった。

指が拓海の身体に触れるたび、電気が流れるみたいに痺れる。
吐息が、声が、拓海の耳から内側へと沁みていく。
中は暖かくて、とけあって、本当に一つになるようで。
そしていつも、彼女は拓海の頬を両手ではさみ、愛しそうに見上げるんだ。



拓海の手が止まった。


霞が拓海を見上げる。
彼女の唇からは口紅が落ちていた。
拓海は親指で自分の唇を拭き取ると、霞から離れ、仰向けに倒れた。


「どうしたの?」
霞が身体を起こし、拓海の顔を覗き込む。

拓海は目を閉じて
「あと三杯ぐらい、飲めばよかった」
と答える。
「酔いが冷めちゃった」

「そういう時は、どんなに飲んでも酔えないものよ」
霞が笑って言った。

「ごめん」

「どうしたの?」


拓海は無言で天井を見上げる。


「拓海くんにも、大切な人ができちゃったのかな」
霞は残念そうにつぶやいた。
下着の肩ひもを直す。

「ごめん、本当に」

「いいの。拓海くんは私の特別だから。大切な人がいるなら、こんなところにいちゃ駄目じゃない」

「どうしていいかわかんないんだ」

「無条件で側にいてくれるなんてこと、奇跡に近いんだよ」

「……」

「毎晩ベッドが暖かいって、なんて幸せなんだろう」
霞はそう言うと手で髪を整えた。

「幸せって、中毒性があるんだ。いつでも、何度でも欲しいって思う」

「だからみんな幸せになりたい」
霞はヒールを拾い上げ、足に履く。

「拓海くんはここから抜け出そうとしてる。さよならだ」

「霞さん」
拓海は身体を起こして、彼女の顔を見た。

「バイバイ」

霞は一度も振り向かず、部屋から出て行った。



拓海は広いベッドの上で、一人ぼんやりと天井を見上げる。
ベッドサイドのオレンジ色の光が、天井にきれいな輪を作っている。


「俺、何やってるんだろう」
拓海はつぶやいた。


明日には否応なしにゆきと会う。
何事もなかったように仕事をする。
彼女のお腹に子供がいるとしりつつ、知らない振りを装うのか。


「俺って本当にどうしようもない」
拓海は目を閉じた。


空調と冷蔵庫の音。

手を伸ばしても、そこにゆきはいない。
冷たいシーツが手のひらに触るだけだ。


鈴音が「また会える」と言ったのが、自分の思い込みだったら。
そうであれば、ゆきと幸せになることを躊躇なんかしないのに。
誰かはっきりとした答えを教えてほしい。


拓海は深く溜息をつき、それからけだるい身体を起こす。



一人はとても寒かった。