エレベーターの扉があくと、そこに結城と奈々子が立っていた。
結城は幸せそうに奈々子を見つめ、奈々子は笑顔だった。


「あ、おかえり」
結城が言う。

拓海は返事をすることができない。
そんな余裕は全くない。


あの日以来、細心の注意を払って作り上げてきた拓海の安全な場所が、音をたてて崩壊し始めている。
心臓がばくばくいっている。
汗をかいているのに、寒くてたまらない。


拓海はよろめきながら部屋に向かった。
他の物が目に入らない。
自分が今どんな様子をしているのかも気にならない。



ただ部屋にはいりたい。
それから。
それからも、どうしようもない。
どうしようもないんだ。



震える手で鍵を開ける。
倒れ込むように玄関に入った。
這うようにしてリビングにたどり着く。
そこでそのまま床につっぷした。


どうしたら。
どうしたらいい?


玄関の開く音がした。
結城の声が聞こえる。

「大丈夫か?」

拓海は目を上げ、結城を見た。
拓海の側にしゃがみこみ、心配そうに眉を寄せている。

「何があったんだ?」

拓海の呼吸が早くなる。

「あの人に会いたいんだ……」
喘ぎながら言う。

「会いたいんだ。彼女が生まれ変わって来たら、俺には絶対にわかる。きっと知らせてくれる」

「拓海……」

「あの人の最後のひと呼吸、そのとき、あの人は笑ってたんだ。また会えるって、そう言ったんだ。俺にはあの人を捜す力がある。だからきっと……」

「でも、もう、お前は人の光が見えないんだろう?」
結城が言う。

「い、今は見えないけど、でも彼女の光なら……」

「彼女を捜すつもりで幼稚園に就職したらしいけど、見つかったのか? たとえ彼女が生まれ変わったとしても、それはもう別の人生だ。それをお前がどうする訳?」
結城が言う。


「彼女は死んだんだ」


結城が続ける。


「二度と会えない」



拓海の胸の喪失感。

ずっとそこにあり、これから永遠にあり続ける。


「お、お前が……」
拓海は泣きながら口にだす

「お前があんなこと言わなければ、あの人は今も俺の隣にいたんだ!」

「……」

「お前は一番欲しかった『俺』を手に入れたじゃないか! そのかわり俺は全部失ったんだぞ!」


理性はどこかに吹き飛んでしまって、言葉に歯止めが利かない。
恐怖が拓海を支配していた。


「それなのに! お前は俺を置いて、前に進もうとしてる。なんでだ。なんでだよ」
拓海は両手で顔を隠した。


怒鳴っても、泣いても、何をしても、もうこの暮らしは終わりに近づいている。


「俺を置いて行くな……。俺がいなくちゃ生きて行けないって言って、死のうとしたのはどこのどいつだよ!」


玄関の扉が閉まる音がした。

それは本当にかすかな音。
拓海が叫んだ言葉の最後、次の言葉を叫ぶその合間に、聞こえた。


結城が固まる。
拓海も次の言葉を飲み込んだ。


結城が玄関の方を振り向く。
立ち上がり、リビングの扉を開け玄関をのぞいた。

結城が振り返る。顔が真っ青だ。


そのまま結城は自分の部屋にはいり、何やら探しているようだ。
それから呆然とした表情で、部屋から出て来た。

手には見知らぬキーホルダーがあった。


「ゆ、結城……」

結城はポケットから携帯を取り出して見る。
電話をかけようとして、指が止まった。

「ご、ごめ……」

さっきまで失っていた理性が戻って来て、拓海は取り返しのつかないことをしたと気づいた。

「……お前のせいじゃない」
結城はそう言うと、ソファに座る。力も魂も抜けてしまったようだ。

「でも、俺……」

「お前のせいじゃないって、言ってるだろ!」
結城は声を荒げると、うなだれた。