奈々子は混乱して、涙が出て来た。
どうしろというのだ。
「馬鹿!」
奈々子は思わずそう叫んだ。
結城が振り返り、泣いてる奈々子を見て
「なんだよ、もう」
と声に出した。
「馬鹿って言いたいのはこっちだ、馬鹿」
結城が近寄ってきた。
「何? どうして欲しい訳?」
「わかりません」
「また、それ……」
結城が溜息をつく。
「だって、本当にわかりません。そうでしょう? 付き合ってる訳でもないのに、気軽にキスされて、それでいて、他の男と付き合うなって。それどういうわけです? キスしたいときにはいつでもフリーで待ってろっていうんですか? 自分はいろんなところで、自由にいろんな子とキスするくせに!」
「だから、してないって言ってるじゃないか。それに気軽じゃないよ。なんでわかんないの?」
「……」
「いつも心を込めてるって言ってるだろ?」
「……」
「ああ、もう!」
結城はポケットから携帯を取り出して、メールの画面を開く。
「ほら」
「何?」
「見て」
「人の携帯なんて、見たくありません」
「見ろよ!」
奈々子の腕をひっぱって、携帯を目の前にのぞかせた。
「最近なんで抱いてくんないの?」
「連絡くれないんだね」
「キスしてもくれないんだもん。ケチ」
奈々子は顔をあげ
「なんです、これ。モテ自慢ですか?」
とたずねた。
「どこ見てんの? 違うよ。俺の返信見て」
奈々子は視線を画面に戻す。
「昨日、すごく気持ちいいキスをしたから、この感触を消したくない」
日付を見ると、奈々子と朝まで一緒にいた日の翌日。
奈々子は固まる。
心臓がおかしなくらいに動いている。
ふらふらで立っていられないくらいだ。
「で、でも……」
奈々子は言った。
「私はあまりにも平凡だし、須賀さんとはやっぱり住む世界が違う気がして」
「なんだよ、それ」
結城が声を荒げた。
奈々子はびっくりして顔をあげる。
「そっちが勝手に一歩下がってる。こんな顔なら、女の子と好き放題できて、遊び人だって思い込んでるんだ」
「遊び人でしょ?」
「だから、言っただろう! それは大学時代。でもブランドのバッグみたいに、自慢げにつれて歩かれるのは、もう嫌になったって。全部正直に話してるのに、なんでちゃんと聞いてないんだよ」
「私、すごい普通です」
「俺だって普通だよ。朝起きて、ごはん食べて、会社行って働いて、税金だって、年金だってちゃんと払ってる。だいたい住む世界が違うっていうなら、なんで出会ったんだよ! おかしいじゃないか」
「須賀さんは特別すぎます」
「周りが勝手に騒いでるだけ。俺はうまれてからずっとこの顔なの! どうしたらいいわけ? 整形でもする?」
結城はそう言うと
「ああ、もう!」
と言ってしゃがみこんだ。
うなだれている。
奈々子もつられてしゃがみ込む。
「……須賀さん、どうして私に声をかけたんです? 女の子いっぱいいるでしょ?」
結城はちらっと顔をあげ
「やっぱり、まったく聞いてない。奈々子さんのことをよく思い出すんだ。間違えて診療所に行ったあの日、姿も対応も完璧な大人の女性なのに、すごく緊張してて、首や耳まで真っ赤になってる。それがおかしかったし、気になった」
そう言った。
奈々子はその話を聞いて、思わず赤面する。
「だから確認したいんだって。これが、どういう感情なのか」
「確認できました?」
「わかんない」
結城が再びうなだれる。
「須賀さんだって、わかんないって言ってる」
奈々子は口をとがらせた。
「だって、俺、こういうのはじめてだもん。わかんないよ」
奈々子は呆気にとられ、そしてなんだかおかしくなってきた。
「笑うなよ」
結城が奈々子をにらむ。
それから一緒に笑った。
結城が奈々子の腕を引っ張り立たせる。
それから奈々子を抱きしめた。
暖かい。
結城は奈々子の髪に顔を埋める。
「奈々子さんは俺といるとどきどきして、不安だっていうけど、俺はすごく安心する。気持ちいいんだ」
そうやって奈々子に廻した腕に力を入れた。
ドキドキしてる。
でも心地のよいドキドキだ。
「俺、会社帰らなくちゃ」
「わたしも、待たせてるから」
「じゃあ」
結城がそう言って、身体を離す。
奈々子も一歩下がった。
結城は何か言いたそうな顔をしたが、そのままくるりと背を向けて本社の方へ歩いて行った。
奈々子もお店の方に身体を向ける。
そして腕を組んでいる珠美と目があった。
「あ……」
奈々子は立ちつくす。
「ぜんぶ、聞いた」
「た、珠美」
「こりゃ、駄目だ。いくとこまで、行くしかないね」
そう言ってから「うらやま」とつぶやいた。