女の人の名前は宇摩と言って。
あれから私は宇摩さん…とずっと話してた。
時には、宇摩さんの膝の上で茶木ちゃんが寝ているような時間になっても。
「あの…また失礼なことを聞きますがこういうのに乗るのは何回目なんですか…?」
本当に図々しくて嫌な女だなぁ、自分。
それでも微笑みかけて答えてくれる宇摩さんはなんて優しいんだろう。
「馬車に乗るのはこれで5回目…かしら。親子というのもあるからか中々買う人がいなくてね…」
でもそれはそれで良いのよと付け加えた。
買われるということはイコール、自由を奪われるということだから。
何も食べるものがないとしても、それでもこの子と一緒にいられればいいと茶木ちゃんの黒髪を撫でながらポツリと宇摩さんは言った。
「買ってからはその人が主人。私達は従わなければならない立場。もし私達親子を一緒に買ってくれるという人が出ても買ってからはその人の自由だわ。私と茶木、どちらかが棄てられるかもしれない。また売られるかもしれない。少なくとも、二人一緒に育ててくれるような良い人に巡り合える可能性は低いから……買い人を選べれば良いんだけどね」
主人という言葉。
買い人という言葉。
そんな御伽噺みたいなこと。
……ううん、過去の出来事にもそういうのはあったに違いないけど。
でもまさかそんな外国で行われているようなことが実際ここ日本でも、平成の世になってまでも行われているなんて…。
信じられないけど現に今自分はこの変な乗り物に乗ってるからな……。
「小荒ちゃんには…恋人とかいた?」
小荒。
私の名前。
まさかこんな状況で他人に自分の名を呼ばれることになるなんて。
でもこの名前も今だけ。
新しい主人が出来ればその人が私達奴隷…に新しい名前をくれるらしいから今はすごく貴重らしい。
忘れないようにね、と名乗った時に何度も宇摩さんは言った。
忘れるなんてないと思いたいけどでも慣れには勝てないから…。
「いや、好きな人も…いたことないです」
ボッと頬赤くしてぶんぶんと首をふる…見るからにウブという言葉がつきそうな、非常に私とは縁の遠い態度を取りながら否定するのを見て宇摩さんはやっぱり微笑んだ。
でも直後に顔色を暗くして。
「ということはまだ未経験…なのね?」
言ってることは大体わかったので素直に頷いた。
そういう話題なんとなく友達の間…彼氏がいる女の子とかは話してたけど。
いまだに私は結婚するまでーと考えていたのだけど。
……わかってる、もうそんな考えも棄てなきゃいけないということくらい。
「大丈夫。私が盾になるわ」
私の顔色を見て、宇摩さんはそう言った。
「盾って…」
「市場の時、私があなたの前に立って他の客から見れないようにする。あなたみたいな子は見られればすぐ買われてしまうから」
見られれば……その言葉に「上玉だ」と言ったあの男の言葉が蘇った。
私みたいなもの…つまり10代は人気ということ?
……あぁ、もう。
今すぐ他人と変われるなら。
四隅で鼾をかいて寝ているあのお婆ちゃんと変わりたい…なんて身勝手なことを考えてしまう。
「え、でも…」
「勿論。私が買われるまでの間だけだけど」
心配しないで、ちゃんと護るからと言ってくれた宇摩さんに。
たった数回会話を話しただけでそんなことを言ってくれた宇摩さんに。
私は思わず一筋流れた水滴を拭ってありがとうございますと頭を下げた。