持久力面でも運動能力面でも、身体能力における真琴は、誰が何と言おうと紛れもなく化け物であった。

入部してわずか二ヶ月後には、三年生の部員からセッターのレギュラーポジションを奪い取っていた。

正確無比なオーバーハンド・トスでも、唸りを上げて鋭く相手コートに突き刺さるジャンピング・サーブでも、跳躍した全身を床に叩きつけながら喰らいつくように拾うフライング・レシーブでも、真琴にかなうものなど誰一人としていなかったのだから当然といえば当然かも知れない。
 
季節が春から夏へと装いを替えた頃には、チームは完全に真琴を中心として機能するようになっていた。

ミュンヘンオリンピックで男子バレーに金メダルをもたらした松平康隆監督が口にした言葉に

「バレーボールをオーケストラに例えれば、セッターはコンダクターであって、演奏者である他の選手たちを、指先一つで自在に指揮していかなければならない存在である」

といったようなものがあるが、実際、セッターはコートに立つ六人の中に於いて、最も頭脳と判断力を必要とされる重要で繊細なポジションであった。