「リガス!」

 どうやって王の私用区画から引きずり出そうか悩んでいたら、向こうからやってきた。
 興奮気味に、

「スクーヴァルは生娘なのか?」
「…………」

 嬉しそうな王の顔には、無数に引っ掻き傷と思しき傷が走っている。

 この世界の「子供」とは、他の世界のその単語とは意味合いが異なる。

 人間はかなり個人差がある時期に「自己の確定」と呼ばれる時期が来て、それ以降半不老不死になるのである。
 幼い時に来る場合もあれば老化が進んでから来る場合もある。

 病や怪我で死ぬ例もあるが、基本的に死なないので出生率も異常に低い。

 よって、「自己の確定」の来ていない「子供」は滅多にいない。

 実はリガスの目の前のこの王も、百年近く前までは子供だった。
 そう。この世界の基準から言えばかなり若いのである。

 この王が今まで関係した女性もとっくに自己の確定が来た大人で、彼よりはるかに年上だった。

 それがいきなり自分よりも幼い子供を手に入れ――

「返事がないと言うことは肯定ということだね?」

「陛下……そのお怪我は……」
 リガスの脳裏に何が過っていたか、分からぬ王ではない。
 だからそのまま立ち去ろうとした。

 だが、王が踵を返した瞬間、覚えのある香りが鼻をつく。

「待ちなさい!」
 王の腕を掴む。

 間近に迫るとはっきりと確信が持てた。
 これはファメルの花の残り香だ。

「スクーヴァルをどうなさいました?」
 怒気を孕んでいる……という表現では生易しいか。

「何もしていない。
 ただ、食欲がないようだからいくつか果実を食べさせて、後は寝かしつけたよ」

「そのお怪我は?」

 王は苦笑いを浮かべ、
「添い寝しようとしたら興奮してしまってね。
 いや、ベッドであれだけ暴れる女性も珍しい。

 ファメルの花で落ち着いたようで、今はぐっすり眠っているよ」

 確かに、ファメルの花の香りには鎮静作用があった。
 しかし、それ以上に有名なのは――

「催淫効果たっぷりの花の香りで何をしたのです?」
「何もしていない! 本当だ!」

 襟元を掴まれたまま、王は首を左右に振る。

「せっかくの生娘だ。大事にするさ」

「返してください!」

 と、王は神妙な顔つきになって首をまた左右に振った。
「それがなぁ……あのお嬢さん、どういう境遇なんだ?」
「は?」

 リガスの手を振りほどき、
「君の親友から預かった娘さんだと言っていたが……本当にそんな人物がいるのかね?
 誰かに会いたいかと聞いても反応がないが?」

 しまった。
 スクーヴァルは兄に冷たく突き放された直後だったのだ。

 兄はもう自分を想ってくれていないと誤解していても不思議はない。

「可哀想に、送っていくと言っても何も答えてくれないよ。
 帰る場所がないようなことも言う」

 芝居がかった動作でそう言うと、リガスの目を見て、
「あのお嬢さんは私が幸せにする」

 ――はぁあ。
 リガスはゆっくりと溜息をついた。

 無論リガスも昨日、即座にステアルラに詫びたのだ。
 好色な王がスクーヴァルを攫って行くのをみすみす見逃したと。

 ところがステアルラは怒るどころか、その王について詳しく聞き、
「……護るだけの力があれば、別にいい」
 そう漏らす始末だ。

 あの兄妹は今、リガスには分からない事情を抱えている。

 敗北感を噛みしめながら、遠ざかっていく王の足音を聞いていた。


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