私はお嬢様。
あなたはお坊ちゃま。
私達は、生まれたときから結婚が決まったいた。
「ほら桃子、ご挨拶なさい」
「はじめまして、燈台桃子ともうします」
はじめて会ったのは、幼稚園に入園する頃だったか。
「はじめまして、小笠原拓人です」
拓人くんは、私よりほんの少し大きく見えた。
「桃子、拓人くんに遊んでもらってなさい」
「はい、おかあさま」
「仲良くするのよ、拓人」
応接間のような部屋から出た私と拓人くんは、うーん、と悩んでいた。
「………どこいく?桃子ちゃん」
「わたし…ここのお家、はじめてだし」
拓人くんの家は、私の家に負けず劣らず広かった。
いや、私の住んでいる家の周りには、ある程度の広さがあるお家しかなかったのだ。
「お庭、行く?」
「うん、行く!」
「……手、つなご。はぐれると大変だよ」
「うん、そうだね!」
私より少し大人な拓人くんは、この時既に私達が許婚であることを、知っていたのかもしれない。
「わあー、木がいっぱい」
「だいたいのくだものの木はあるよ」
「じゃあ桃の木は?私、桃が大好きなの」
「桃子ちゃんだから?」
「うーん、そうかも!」
拓人くんは、私の手をひいて桃の木まで連れて行ってくれた。
「いっぱいあるね…」
「……食べたい?」
「え、いいの?」
「うん、取ってくる」
小さい拓人くんが、背伸びして枝に手を伸ばす。
やっと取れたのは、1個だけだった。
「……拓人くんは?」
「いい、いらない」
「だめだよ、じゃあ私が取ってくる」
「無理無理、あとは高いところにしかないんだから」
「じゃあ私も食べない」
「え、うちの桃、おいしいのに。むのうやくだって、いつも林さんが自慢してるし」
「…じゃあ、交代で食べよう。いいでしょ?」
「……しょうがないなあ」
私は桃にかぶりついた。
甘くて、とろけるようで。
とても、おいしかった。
「拓人くんは、松寺学院に通っているの?」
「うん。桃子ちゃんは、ルーデル女学園でしょ?」
松寺学院は、お金持ちが通う男子校。
ルーデル女学園は、お金持ちが通うカトリック系の女子校だった。
それらの学校は隣り合うように建っている。
「じゃあ、またあそべるね!私とまた遊んでくれる?」
「……………うん。きっと」
「じゃあ指切り!指切りげんまんうそついたらはりせんぼんのーますっ!ゆびきった!」
私が無理やり拓人くんの指を握って、指切りをした。
拓人くんは笑っていた。
それからお母さんが迎えにきて、帰る途中の車の中で、私は初めて知ったのだった。
拓人くんが、私の許婚であることを。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
今時ありえない挨拶が当たり前のように使われる、ルーデル女学園。
私は、そこの高校2年生だった。
「桃子さん、なにを見ていらして?」
「璃子さん」
私に声をかけてきたのは、同じクラスの璃子さんだった。
窓際に立っている私の隣に立って下を見下ろし、ああ、と微笑む。
「拓人さんね?」
私の教室からは、松寺学院のグラウンドがよく見える。
そこでサッカーの練習をしているのは、拓人くんだった。
「別に、ちょっと外を見ていただけよ」
「もう、嘘が下手なんだから」
ふふっと笑う璃子さんは、拓人くんのいとこにあたる。
小笠原グループの、本家の一人娘である。
「うちのお父様とお母様には私しか子供ができなかったからね。お祖父様は拓人さんに期待しているのよ」
拓人くんの噂は、嫌でも耳に入ってきた。
食品から娯楽施設、何でも手がけ、トップシェアを誇る小笠原グループの後継者であり、容姿端麗、頭脳明晰。
しかもサッカーは都の代表選手に選ばれるほど上手い。
私のクラスメイトでも、拓人くんに憧れを抱く人はたくさんいるようだった。
「まさか拓人さんの許婚が桃子さんだったなんて。世間は狭いわね」
「り、璃子さん!誰かに聞かれたら大変よ」
私が拓人くんと婚約していることは、ごく一部の人しか知らない。
なぜなら私達の婚姻に合わせて行われる小笠原グループと燈台カンパニーの合併は、トップシークレットだからである。
何せ、国を代表するトップ企業の合併なのだから。
「拓人さんと桃子さんが結婚したら、私達親戚になるのね。なんだか不思議」
「私も。想像できないわね」
「桃子さーん、璃子さーん」
私達に駆け寄ってきたのはクラスメイトの綾子さん。
「これから修学旅行の班を決めるから集まってくださらない……って、拓人さんじゃない」
私達の視線の先を見て、綾子さんが目を丸くする。
「桃子さんも拓人さんに憧れていらしたなんて。知らなかったわ」
「ちょっと、違うのよ、綾子さん。私は別にそんなんじゃなくて…」
「もう、隠さなくていいのに。でも、噂だと拓人さんには心に決めた人がいらっしゃるんだとか」
「………心に決めた人?」
「ええ。何でも、幼い頃から好きだったんだとか。まあ、噂ですけどね」
私じゃない、と思った。
私は許婚で、拓人くんにとってはただの親が決めた婚約者に過ぎなくて。
拓人くんの心には、別の人がいるんだ…。
「そういう噂もあるってだけよ」
璃子さんが、こそっと呟いた。
「桃子、拓人くんとは会っているのかね」
新聞を読みながら、お父様が唐突に言ってきた。
「会ってませんけど」
拓人くんのお家には、年始のご挨拶に行くだけだ。
でも、拓人くんは色んな親戚や、年始のご挨拶に来た方への対応で忙しそうで。
私はお母様のそばにいて、愛想笑いを浮かべているだけで。
拓人くんと話すなんて、全くなかった。
「今度、小笠原グループのパーティーがあるんだ。お前もいっしょに来ないか?」
「………私も?」
「ああ。小笠原邸でのパーティーだからな、すこしは拓人くんともしゃべれるだろう。あと一年ちょっとで婚約なんだから、すこしは会っていた方がいい」
「行きます」
綾子さんからあんな話を聞いて、落ち込んでいたはずなのに。
私は即答していた。
だって私は、拓人くんのことが好きなんだ。
許婚とか、関係なくて。
いつから好きとかわからないけど。
見つめるたび、ドキドキするんだ。
パーティー会場はどうやらリビングのようで、広い空間にたくさんの食べ物や飲み物が並んでいた。
お父様がどこかへ挨拶にいってしまい、うろうろしていたところに現れたのは璃子さんだった。
「桃子さんも来てくれたのね!ありがとう」
「いえ…、私はそんな、別に」
ショートカットにキラキラとしたカチューシャをつけて紺色のドレスを着ている璃子さんはとても綺麗で、ピンク色のドレスを選んだことを少し後悔した。
「拓人さんは……ああ、あそこね、どこかの社長としゃべってるわ。拓人さんはほんと、対応がうまいんだから」
「璃子さんは?行かなくていいの?」
「いいのいいの!私は挨拶とかめんどくさくて。桃子さんがいなかったらパーティーにも出ていなかったかも」
ぺろっと舌を出す璃子さんだったけれど、それでも挨拶に行かなきゃ、とどこかへ行ってしまった。
私はジュースを飲みながら、ぼーっと拓人くんを見つめていた。
拓人くんは、私なんかが許婚でいいんだろうか…。
何の取り柄もない、ただの社長の娘。
拓人くんには、もっと綺麗で、もっときらびやか人の方が似合うんじゃないかなあ……。
「…………桃子ちゃん?」
控えめにぽんっと叩かれた肩に振り返ると、そこにいたのは拓人くんだった。
「……拓人く…さん」
「今日は来てくれてありがとう。おじさん達ばっかのパーティーで、つまらないでしょ」
にこっと拓人くんは笑っている。
拓人くんが、目の前にいる……!
まともにしゃべるのは、幼稚園児のころ以来かもしれなかった。
「とっても楽しいです。いい社会勉強になります」
「そっか、ならよかった。」
拓人くんはウェイターさんからジュースを取って、ぐいっと飲み干した。
「ここ、人がいっぱいいて暑いでしょ?ちょっと外に出ない?」
「……え、あ、はい」
拓人くんは私の手をさりげなく掴んで、そっとパーティー会場から抜け出した。
手から拓人くんの体温が伝わって、私は胸のドキドキを抑えるので精一杯だった。
「うわあ、懐かしい…」
拓人くんと初めて一緒に遊んだ庭。
あたたかい照明で照らされていて、とても綺麗だった。
「桃子ちゃん、今でも桃好き?」
「あ…、はい、好きです」
覚えててくれたんだあ…。
「本当においしかったです、拓人さんのお家の桃。今でも覚えてますよ」
「……幼稚園のときみたいに、拓人くんでいいよ?」
拓人くんは微笑んでいた。
いいのかなあ…?
でも、拓人くん、と呼べるのが嬉しくて、私は甘えることにした。
「じゃあ、拓人くん。なんだか恥ずかしいですね」
「なんで?あんなに拓人くん拓人くん呼んでたのに。………ああ、そういえば。あの時指切りしたよね、また遊ぼうって。結局遊べなかったけど」
「ふふ、そんなこともありましたね」
沈黙が、訪れる。
優しくて、かっこいい拓人くんの姿を見ていると、聞きたくなってしまう。
拓人くんが本当に好きな人は誰なんですか。
「……………桃子ちゃん、桃子ちゃんは納得してる?この結婚。」
沈黙を破ったのは、拓人くんだった。
納得してるどころか、感謝してる。
でも、拓人くんは、婚約破棄したいのかもしれない。
私がそんなこと言ったら、婚約破棄しにくくなるだろうな……
「お父様達が決めたことだから、私は何とも。…………拓人くんは?納得してない……の?」
拓人くんの顔を見れなくて、私は視線を下に向けた。
「………僕は、好きな人がいるんだ。だから、彼女と結婚したい」
駄目だ、泣き出してしまいそうだ。
「そうなんですか…」
「だから、僕のことを、好きになってほしい、桃子ちゃん」
…………………え?
「………わ、私………?」
「たぶん僕は、初めて会った日から君のことが好きだったんだ。だから、許婚とか、関係なしに僕のことを好きになってほしい。………駄目、かな?」
夢を見ているのかと思った。
これは現実なのだろうか……。
「…私も、私も好きです。許婚とか関係なくて、好きです」
勇気を出して顔をあげると、拓人くんは真っ赤な顔をしていた。
「……本当に?じゃあ、今日から僕達は恋人同士だよ?ただの許婚じゃなくて」
「はい、恋人です」
なんだか恥ずかしくて、私達は二人で笑った。
「あ、これあげる」
拓人くんがポケットから出したのは、モモ味のキャンディー。
「まだ家の桃はならないから、代わりに。家の桃がなったら、食べに来てね」
私はモモ味のキャンディーを受け取って、コクリと頷いた。
燈台桃子17歳、只今とても、幸せです。