最初は大嫌いだった。
「コラ。内職するなら授業受けなくていいから」
新しく赴任してきた歴史の先生。
私がやっていた英語のプリントをとりあげて、何事もなかったように授業を進めた。
「あの先生、嫌い」
「内職してるアンタが悪い」
私がぼやいているのに、杏奈はコツンと私の頭を叩く。
明日までに提出しなきゃいけない、英語で書くレポート。
もうすこしで完成だったのに。
「あー、返してもらいに行かないと…めんどくさい」
「めんどくさいとか言わないの。ところで、先生の名前知ってるんでしょうね?」
「………………佐藤先生?」
「佐藤先生はたくさんいるけど、ハズレ。小林先生だよ。小林悠斗先生」
「…………ふうん、小林ね」
放課後、社会科準備室に向かった。
「小林先生はいらっしゃいますか」
「あ、坂本。こっちこっち」
先生は手招きをして、私を呼ぶ。
「今日はすみませんでした。以後しませんので、レポートを返してください」
杏奈と相談して決めた言葉を口に出して、頭を下げる。
「おー、もうしないならそれでよし!授業は大切だからな」
もっとグチグチ言われると思ってた。
私はすこし安心して頭をあげる。
「文法の間違い、直しとけよ」
レポートには、ところどころ付箋が貼ってあった。
「…これ、先生が?」
「なんだよ、意外そうな顔して。俺、英文科に行こうか迷ってたんだからな、留学もしたし」
「……………ふぅん」
×過去形→過去完了形に直す!
×the→aに直す!
まさか、こんなことまでしてくれるなんて。
「なんかわかんないことあったら聞きにこいよ」
「……はい」
それから、もともと好きだった日本史の授業がもっと好きになった。
小林先生の授業も、真面目に聞けばわかりやすくて、そして楽しかった。
週4回の歴史の授業が楽しみで仕方なかった。
「坂本!すごいじゃん!」
先生がそう声をかけてきたのは、模試で日本史校内1位をとったときだった。
「一位!しかも全国でも10位以内だろ?よく頑張ったな」
「どうも」
「よーし、お前にはご褒美としてこれをやろう!!」
「…………キャンディ?」
「おうっ、しかもレモン味だ!じゃあな!」
レモンの写真が大きくプリントされた、3センチくらいの袋。
レモン味より、イチゴ味がよかった。
だって、レモン味は酸っぱいように見えて、甘いんだもの…。
「小林先生って、かっこいいよね」
そう話始めたのは、誰だったか。
「えー、かっこいいけどさ、いくつだっけ?」
「37!」
「え、うちのパパと1歳しか違わないじゃん」
「でも彼女、いないんだって!!」
「……………いないの?」
まさか。
結婚も、もうしてると思ってたのに。
「だってベンツだよ?車。女に使う金ないからベンツなんて買えるんでしょ」
「……………………ふぅん」
そして話題はいつの間にか、芸能人の話に移っていって。
「真結、トイレついてきて」
「え、うん」
杏奈がそんなこと言うなんて、珍しいな…。
「よかったね」
騒がしい廊下で、杏奈がニコッと笑う。
「は、え?何が?」
「小林先生、彼女いないって。」
「だから、なんでそんなことが…」
「あ、小林先生!」
杏奈がいきなりそう言い、私も杏奈の視線の先を見た。
今日は歴史の授業がないから髪の毛巻いてこなかったのに…やだな、会いたくない。
「……………て、あれ?」
そこには、だれもいなくて。
強いて言えば、「しっかり朝ご飯を食べましょう」とアピールするアイドルのポスターが微笑みかけているくらい。
「ちょっと、いないじゃない」
もう、心配して損した。
「真結さー、さっき、今日は髪の毛巻いてないから会いたくない、って思ったでしょ」
「…………え」
「この杏奈様が気づいてないとでも思った?歴史の授業がある日は髪の毛巻いて、かわいいシュシュつけて、ヘアアレンジもして。今までオシャレに興味ありましたっけ、真結ちゃんはー?」
「そ、それはたまたまでしょ!ちょっと、オシャレに目覚めただけよ」
「先生にかわいく思われたくて?」
「バカ、そんな訳ないでしょ」
そう突っぱねたけど、私の頭には最近買い集めたシュシュやバレッタ、そして先生からもらったキャンディーが浮かぶ。
いまだにキャンディーを食べれていないことが、私の恋心の証拠なのかもしれなかった。
「先生、今日は何の日?」
「…………………え?」
先生は困ったように笑う。
私の手にはバスケット、髪の毛はふわふわに巻いて、ピンク色のミニーちゃんの髪飾りをつけてみた。
「…あ!ハロウィン!!」
「ご名答!はい、ハッピーハロウィン!」
私は先生にバスケットを差し出した。
中にはクッキーやキャンディー、駄菓子のこんにゃくゼリーまで入っている。
「お好きなの、どうぞ♪」
別に、小林先生にだけ、してるわけじゃない。
古典のおじいちゃん先生にも、担任の先生にも、同じクラスの友達にだってしたのだから。
全然特別なんかじゃない。
「おー、凝ってんなあ、ありがとう」
先生はそう言って、カントリーマアムをひとつ取った。
「いえいえ」
先生の笑顔を見て、すこしだけニヤニヤしてしまう。
「そのミニーちゃんもハロウィン?」
先生はそう言って、私の髪に手をかけた。
なんか…心臓が、うるさい。
「えっ、ああ、はい、まあ」
「こんな幼稚園児みたいなことしてるのに、1位なんだからなあ。人って見かけによらないわ」
「ちょっと、先生!幼稚園児って、ちょっと!」
「あー、ごめんごめん。お菓子、本当にありがとな」
そう言いながら先生は頭をポンポンとして、社会科準備室へと向かって行った。
頭、ポンポンって、してくれた。
ニヤニヤを噛み締めた。
そして、決めた。
模試で全国1位をとれて、卒業するとき。
先生に、告白する。
それからは猛勉強の日々だった。
歴史はもちろん、そのほかの教科もうかうかしてはいられなかった。
苦手な、数学や生物も頑張って、絶対第一志望校に合格する。
偶然にも、私の第一志望校は先生の母校だった。
必死に勉強しながらも、私はバカだと思うときがあった。
いつから先生のことが好きなのだろう?
どうして先生のことが好きなのだろう?
先生に告白したって、先生を困らすだけなのに。
困らせたくない、でも好きだ…………
このスパイラルは、先生からもらったキャンディーを見ると必ず途切れた。
今は、頑張るしかないのだと。
「…………………杏奈!!あった!!あったよ!!」
「私も!!あった!!」
杏奈は法学部、私は人文学部。
受かった!受かったんだ、私!
「せーんせい」
卒業式が終わった午後。
これからカラオケに行くという杏奈達と別れて、私は社会科準備室に来ていた。
「おお、坂本か。卒業おめでとう」
小林先生の他に、先生はいなかった。
「他の先生達はいないんですか?」
「社会科の先生で3年生担当なのは俺だけだからな。他の先生は学年会議中」
「ふうん、そうなんですか」
私は勝手に椅子を引っ張って、先生の前に座った。
手にはもう賞味期限が切れているかもしれないキャンディーを握って。
「第一志望、合格したんだってな。おめでとう。しかも日本史で、全国1位とれたんだろ?ほんと、よく頑張ったな」
「えへへ」
「で、何の用だ。悪いが、知り合いの教授は紹介できないぞ。…まあ、お前なら」
「先生」
「なんだ」
「好きです」
「あほか」
口からは、流れるように好き、という言葉が出てきた。
あんなに、言いたかった言葉。
「あほじゃないです」
「大人をからかうのもいい加減にしなさい」
先生は、すこし怒っているように見えた。
当然か………。
「からかってません。本気です」
先生はわざとらしくため息をついた。
「お前、俺が何歳か知ってるか?」
「知ってます。でも大丈夫です、私の父と母は15歳差ですから。それプラス5歳くらい、どうってことありません」
「いや、でもな」
「でもじゃありません。好きだから好きなんです。いつから、とか、どうして、とか全然わかりません。でも、気づいたら先生が大好きだった。」
先生の、目が痛い。
ああ、私って馬鹿な女だ。
先生を好きになって、卒業したのにノコノコとこんなところまでやってきて。
先生を困らせて、もう、本当に馬鹿だ。
「先生を、困らせてごめんなさい。」
ああ、泣くな私。
泣きたいのは私じゃない。先生の方だ。
拳をぎゅっと握りしめると、ピチッ、だか、パリッ、だか、変な音がした。
恐る恐る、拳の中でキャンディーを触ってみる。
…………割れてる。絶対、割れてる。
「……………それ」
しばらく黙っていた先生が、口を開く。
指差しているのは、拳からすこし見える黄色いもの。
「もしかして、俺があげたやつ?」
なんだか悔しくて、こくん、と頷いた。
「……………俺も、持ってる」
先生が机の中から出してきたのは、見覚えのあるカントリーマアム。
ハロウィンのおばけのシールが貼ってある、どうみても私があげたものだった。
「……………………な……んで…」
「どうしてだろうな、食べれなかった」
先生は、私の目を見つめた。
「坂本ってさ、最初は冷めた生意気なガキだと思ってたんだけど。時間が経つにつれて、無邪気に笑うようになって。知らないうちに、惹かれてたのかもしれない」
「………………うそ…」
「あのさ、坂本が二十歳になったら、俺40なんだけど。坂本がもっともっと綺麗になっていくのに、俺はどんどんおじさんになって行くんだぞ。おじさんといっしょに歩いてて、恥ずかしくないのか」
「今でも十分おじさんじゃない」
「そりゃ、そうだけど」
どちらともなく、二人で笑って。
「好きだ、坂本」
「私も、先生」