「えぇと、確かこの角を左に曲がって……」


桜の花びらが儚げに舞う田舎町で、一人の女がメモ用紙を片手にさまよっていた。

ショートの黒髪を風に揺らしながら、女は慎重に歩を進め、一軒の家の前で足を止めた。


「あった…………」


安堵したようにそう呟いて、敷地内に足を踏み入れる。

シェアハウス『紫陽花荘』ーーーーーここが、彼女の今日からの家だった。

三階建て、離れ付きという相当に大きな家だが、家賃は都内の極小アパートを借りるより遥かに安い。


「あぁ、葵ちゃん。待ってたよ」


足音に気づいたのか、家の中からひとの良さそうな老紳士が出てきた。

葵と呼ばれた女は、彼に気づくと深々と頭を下げた。


「お久しぶりです、神戸さん。お世話になります」

「いやいや、こちらこそ」


そんなやり取りをして、中に入る。

共同スペースと呼ばれる広いリビングに入ると、葵は簡単の声をあげた。


「わぁ…………」


暖かい雰囲気の空間には、それに調和するような絵画や写真が飾られている。

そのどれもが相当な腕であると分かって、思わずまじまじと眺めてしまう。


「はは、ここの住人が好き勝手置いていくんだ。絵が相良君で、写真が大塚さん」


大塚さんの方は、殆ど日本にいないんだがね。

そう付け足してから、神戸はお茶を淹れ始める。


「荷物はもう部屋の方に運んであるよ。楽器の方は明日届く予定だからね」

「すみません、何から何まで」

「いいんだよ、好きでやってるんだから」


それから、二人で他愛ない話をしてお茶を一杯飲んだところで、離れに移動することになった。

葵の希望である。


廊下をぬけて、勝手口をあけるとすぐ向かいにこぢんまりとした建物がある。