氷の魔女とチューリップの塔

昔々、小さな美しい国に
花のようなお姫様が
お生まれになりました。

お姫様は
まだ目も開かない
赤子のうちに
お隣の
大きくて豊かな国の
王子様と
ご婚約なされました。

小さな国のお姫様は
大きな国に
嫁ぐに相応しきように
持って生まれた
美貌だけでなく
清らかさと気品を
身につけるべく
大切に大切に
育てられました。

期待通りに
ご成長なされた姫の
その美しさ
膨らみきって
今しも咲き誇らんという
つぼみの春に…

大きな国の王子様は
もっと大きな国の
醜い女王様と
ご結婚をなされました。

悲しみにうちひしがれる
お姫様の国に
追い打ちをかけ、
その小さな領地すらをも
奪わんと、
大きな国の軍隊が
攻め込んで参りました。

お城の人々は
何を失おうとも
せめて
お姫様の美しさだけは
守ろうと、
お姫様を塔に隠して
光と闇に祈りました。

その美しささえあれば
どこか別の国の王子様が
お姫様を
助けてくださると
信じたのです。

祈りに答えたのは
闇の方でした。

敵が放った炎によって
町は紅蓮に包まれて、
白亜の城は
崩れ去りましたが、
お姫様と塔だけは
黒い力で守られました。

こうして
小さくても美しい国と
大きくて豊かな国と
もっと大きくて醜い国は
一つの国になりました。

それはとても昔の話。

三つの国の
そのどれも
今は廃墟をさらすのみ。

ただ一つ、
お姫様を閉じ込めた
塔だけを残して。
見渡す限りの森の中、進む小柄な影一つ。

スリサズ。

古の言葉で“氷の巨人”などという豪勢な意味の名前を持つ、十四歳の銀髪の少女。

いかにも旅慣れた丈夫なだけの服装に、不釣り合いに装飾的な紋様だらけの杖を携え、飛び出た枝を払いのけ、とがった草を踏み分けてゆく。

「よっ、と!」

厚手のブーツに包まれた足が、張り出す木の根を踏み越えて、破れた石畳に着地する。

(オッケー。こっちで間違ってないわね)

その感触にスリサズは満足そうに微笑んだ。

それは、この道がかつては舗装する価値のある街道であった証。

遠い昔、この道の先に、小さくとも美しい国が栄えていた印。



三十年ほど前、道に迷った狩人が、森の奥で不思議な塔を発見した。

狩人は、塔の周囲に季節外れの花が咲き乱れている様子にただならぬものを感じ取り、何もせずに逃げ帰った。

その話を聞いた村の若者の一団は、狩人の臆病さをあざけり、塔の場所を聞き出して、意気揚々と向かっていった。

しかし彼らは一人も帰らず、彼らを捜しに行った別の若者達もまた、そのまま消息を絶った。

以来、狩人は、塔の存在を隠すようになった。

新たな救助隊が結成されても、塔の話は作り話だったと言い張り、若者達の家族に問い詰められも、彼らは熟練の狩人ですら迷うような道で遭難をしただけだと答える。

塔の存在を信じる者、信じぬ者、誰もが狩人をウソツキと呼び、やがて狩人が望む通り、誰も彼を相手にしなくなった。

しかし先日、病に倒れた死の間際、狩人はついに塔の場所を明かした。

『あの塔は呪われている。塔に行った若者達が生きているとは思えないが、せめて遺体を見つけて弔ってほしい』

そう言い残して。



いったいどんな物好きならば、そんな望みに応じるだろう。

若者の家族も年を取り、自ら捜しに行く力はない。

かと行って人を雇うにも、貧しい村が出せる報酬などたかが知れている。

それでいて危険だけは確実にある。

亡き狩人の願いは、半ば笑い話のように、流れ者の傭兵や行商人の間に広まって…

そしてスリサズの耳に入った。

わずかな木漏れ日が射すだけの、昼なお暗い、森の道。

この荒れ果てた石畳の上をスリサズが進むのは、善意でも報酬のためでもない。

季節外れの花に囲まれた謎の塔を、伝説の小国の遺跡と読み、遺骨拾いの報酬なんかよりもよっぽど金になる物が眠っていると踏んだのだ。
はやる気持ちを静めるように、木の葉を揺らす風が、いくぶん涼しさを増す。

日暮れまでまだ間はあるが…

(無理をするのはプロじゃないのよね)

スリサズは小さな背中から馬鹿デカいリュックサックを下ろし、ゆったりとキャンプの支度を始めた。

皮袋から食料を取り出す。

一般的な冒険者ならば定番は干し肉だが、スリサズが持ってきたのはカチコチに凍ったシチューだった。

決して寒くはない季節。

朝からずっと歩いてきたのに、解けた様子は見られない。

スリサズはそれを、慣れた仕草で鍋に放り込み、焚き火にかけた。

湯気が立ち上ぼり、おいしそうな匂いが広がる。

焚き火の煙の行方を目で追い…

自分が進もうとしている方角から、もう一筋、別の煙が上がっているのに気がついた。

(ヤバイ!
先を越される!)

スリサズは急いでシチューを平らげると、一度広げた荷物をたたみ、再び歩き出した。



前を行く者のキャンプの脇を、抜き足差し足こっそり追い抜く。

人の姿は見当たらないが、テントの中で休んでいるのだろう。

一見、普通に燃える焚き火。

しかしスリサズの目で見れば、その火が魔法によって点されたものであることや、その魔力の主がスリサズの馴染みの炎使いであるのがわかる。

(この人にだけは絶対に負けないんだから!)

日が暮れて足元がおぼつかなくなって、それでもスリサズはずんずん進む。

あの炎使いよりも一歩でも前に進みたい。

不意に…

森が、途切れた。


一面に広がった花畑を、月光が青白く照らす。

つぼみを閉じて眠るチューリップ。

見渡す限りの花、花、花の中、異なる花は一輪もない。

そしてその花畑の真ん中に、一本の塔が、そびえるというには華奢な姿で密やかにたたずんでいた。
スリサズは、足元の花を折らないように気にしつつ、そろりそろりと塔に歩み寄った。

「ッ!?」

突然、スリサズの腕に鋭い痛みが走った。

見るとシャツの袖が切り裂かれて、血の雫がしたたっている。

(何なのッ!?)

振り向くとスリサズの周りを、小さな何かが、群れをなして飛び回っていた。

(蛾…?
いえ…ちょうちょ…?)

アゲハチョウに似ているが、違う点が二つだけ。

日が暮れているのに飛んでいることと、アゲハチョウならば黄色いはずの筋の模様が、血のような不気味な赤色をしていること。

(新種のちょうちょ?
それともただの魔力の化身?)

様子を伺うように舞っていた蝶の中の一匹が、スリサズに体当たりを仕掛けてきた。

(ッ!?)

蝶の羽はまるでナイフのように鋭く硬く、スリサズの服や皮膚を切り裂いて…

流れ出た血が足元のチューリップの葉の上に落ち、細長い葉はちょうど皿のように赤い雫を受け止める。

すると蝶達はその葉に群がり、口吻(コウフン)を伸ばして、葉に溜まった血をすすり始めた。

(魔力の化身の方か。
じゃあ標本にしても売れないな。
とりあえず、チノリアゲハとでも呼んでおこっかなっ)

余裕の笑みを浮かべつつ、スリサズは手に持った杖で、飛び来るチノリアゲハを叩きつけた。

「凍れ!」

呪文の通り、杖に触れた蝶の体を氷が覆い、飛べなくなった蝶が重い音を立てて地面に落ちる。

それをブーツで踏み潰すと、蝶は粉々になって砕け散った。

しかし…

(ちょっと数が多いわね)

同じ魔法を繰り返して、更に何匹も蝶を潰すが…

(キリがないッ!)

笑みが焦りに塗り替えられる。

潰しても潰しても、よりたくさんの新たなチノリアゲハが花の陰から現れて、次々とスリサズに襲いかかり続ける。

「アイス・バリア!!」

スリサズの杖から吹き出した冷気が、ドーム状の氷の壁を作ってスリサズを囲み、守る。

壁にぶつかった蝶達は、羽を広げた形のまま、壁の氷に取り込まれて動かなくなった。

やれやれと息をつきながら、スリサズは自分の傷の様子を確かめた。

この程度の怪我は、冒険者ならば珍しくない。

そして、透明な氷の壁に磔(ハリツケ)になった魔の昆虫の不気味な姿に目をやって、改めて身震いをした。
バシッ!

バシ!!

バシ…ッ。

仲間の悲惨な姿を見ても、チノリアゲハは氷の壁への突撃をやめない。

「ちょっと待ってよ…」

透明な氷が、チノリアゲハの赤と黒で覆われていく。

「ウソでしょ…」

空の星も、地の花も、夜の闇すら見えないほどに上も下も隙間なくビッチリと。

「何なのよコイツらァ!?」

月明かりが完全にさえぎられ、氷のドームの内側は不自然な闇に閉ざされて…

それでもまだ、チノリアゲハの衝突音は響き続ける。

チノリアゲハ達は、氷に磔になった仲間の死骸の上から体当たりを繰り返しているのだ。

そして遂に…


ピシッ!!

ピシピシピシピシッ!!

パキーーーーーーンッ!!


氷のドームが砕け散った。

氷の破片と蝶の死骸が、スリサズに頭から降り注ぐ。

この瞬間を待ち兼ねていた蝶達が、一斉にスリサズに襲いかかる。

「ッ!!」

一匹の蝶の攻撃で開いた傷口に、複数の蝶が直接群がって血をすする。

蝶達はもはやスリサズに遠慮も警戒も抱いていない。

「アアアッ!
たかがチョーチョなんか相手にこんなッ!!」

スリサズは、自分の全ての体重と全ての力を杖に預けて、杖の先端を地面に突き立てた。

「ブリザード・ボム!!」

杖を中心に猛烈な吹雪が巻き起こる。

術を操るスリサズ自身も気を抜けば飛ばされそうな暴風と、意識を保つのもやっとなほどの冷気。

しばし吹き荒れ、不意に収まると…

空に飛ぶ蝶は一匹も居らず、地では氷の刃でズタズタに切り裂かれたチノリアゲハの赤と黒の羽の破片が、つぼみを閉じたまま凍りついたチューリップの周囲に、まるで散った後の花びらのように散らばっていた。

「たかがチョーチョなんか相手に、こんな大技を使わなくちゃなんないなんて」

スリサズの杖は、天辺から先端にかけて、真っ二つに割れていた。

(やっぱ、この杖もダメか)

惜し気もなく投げ捨てて、目当ての塔を見上げ直す。

(思ってたより手ごわそう)

けれど。

(手ごわければそれだけ中のお宝も期待できるってもんよ!)

臆することなく、塔に向かって一歩踏み出す。

そして…

自分で凍らせた地面に自分で足を滑らせてスッ転び、頭を打って気を失った。
鼻をつく薬草臭の向こうから、美味しそうな匂いも漂ってくる。

スリサズは、寝ぼけ眼を擦りつつ、自分の物ではないテントから這い出した。

朝日が眩しい。

手足に巻かれた包帯は、そのきれいな処置の仕方から、スリサズが無意識のうちに自分で巻いたなんてわけでないのは明らかだ。

森との境。

花畑の端っこ。

テントの向かいの焚き火の向こうで、長身細身の赤毛の青年が、見覚えのある冷凍ピラフを勝手に温めて食べていた。

「ちょっとロゼル!
それ、あたしの!」

「………」

ロゼルと呼ばれた青年は、無言のままスリサズの分の皿を差し出した。



交わす言葉も特になく、二人黙々と朝食を平らげる。

スリサズは明らかに不機嫌だが、ロゼルはもともと無口なだけだ。

花畑を見渡せば、氷漬けのチューリップのつぼみ達が、朝日を浴びてキラキラと宝石のように輝いている。

時間とともに気温が上がり、氷が解けると、次第につぼみが開き始めた。

「枯れちゃったかと思ったのに」

「…マトモな花じゃないからな」

咲き乱れるチューリップは、ただの一輪も余さずに、全て同じ色をしていた。

黄色以外の花は、ない。

「何でこの色ばっかりなんだろ」

「…花言葉」

「何か言った?」

「…花言葉だ」

「だから花が何か言葉でもしゃべったっての?」

「…そうじゃなくて、花に…人間が勝手に持たせた意味だ。
…薔薇は愛で百合は純粋さというような」

「あー、あれね、はいはい。
チューリップにもあるの?」

「…色ごとに違うのがある。
…例えば、赤は“愛の告白”で…」

「黄色のだけでいい」

「“叶わぬ願い”」

可憐に広がる花畑を、森から吹く湿った風が揺らした。

「ロゼルってば、やけに詳しいわね。
まさかあんたがそんなロマンチックなもんに造詣があったとはねー」

スリサズが、空気を払うように茶化す。

「…今回の仕事のために調べたんだ」

滅多に感情を表さないロゼルが、珍しくムッとなったのを見て、スリサズは何だか少し勝ったような気持ちになった。
花畑を改めて眺めると、昨夜は気がつかなかったが、あちらこちらにかつての城の残骸が、崩れた石材となって、チューリップの合間に見え隠れしている。

あの辺は王族と従者の生活場所。

この辺は兵舎。

あっちは倉庫の跡だろうか。

そのただ中で、一つだけ足元から天辺まで完璧な姿を留める塔は、言い伝えでは礼拝堂だが、人々はそこで神ではないモノにすがったらしい。

「あたしが先に着いたんだから、あんたは引っ込んでなさいよねッ!」

そう言うとスリサズは、塔の入り口の扉に手をかけた。

「ん」

開かない。

普通のカギやカンヌキではなく、扉全体がまるで糊付けされているかのように少しも動かない。

「えいっ!」

思い切り蹴っ飛ばしてもビクともしない。

「…手伝おうか?」

「ダメ!
これはあたしのなの!」

スリサズは一旦扉から離れると、リュックサックから新しい杖を取り出した。

昨夜の杖に似ているが、紋様の刻み方から別の作り手による品と伺える。

杖の先端を塔に向け…

はたと考える。

(いきなり扉を壊すのは、ちょっと危ないかもしれないわね)

スリサズは、数歩下がって、塔を見上げた。

塔の壁には明かり取りの小さな窓が規則正しく並び、一番上のおそらく部屋がある場所に、大きな窓が開いている。

ならば…

「連なれ、氷塊!
たぁーっくさん!」

術者に従い無数に作り出された魔力の氷のブロックが、塔の外壁に沿って張り付いていく。

それは螺旋階段を組み上げて、最上階の窓を捉える。

「うん、バッチリ!」

スリサズは得意気にロゼルに向かって胸を張ってみせたが…

ロゼルはこちらにちらりと目をやっただけで、別の作業に没頭していた。

花畑の中から何かを拾って集めている。

白い…骨。

行方不明の村の若者達の遺骨だ。

(ロゼルってば、相変わらずだな。
あれで腕利きの傭兵なんだから、もっと仕事を選んだ方がいい暮らしができるのに…
ま、そんなのあたしが構うことじゃないんだけどさっ)
氷なのでどうしても滑りやすくなってしまう階段を慎重に登り、スリサズは大きな窓の中を覗き込んだ。

それなりに広い…

礼拝堂だった頃の装飾を壁や家具に残す部屋…

その中央に置かれた、棺を立たせたような形のガラスケースの中に…

白い人影が収められていた。

雪のように真っ白な長い髪と、純白のドレス。

祈るように目を閉じてうつむき…

(人形!? それとも…人の遺体…?)

白すぎる肌からは、生者の気配は感じられないが…

「ロゼルー!
さっき確か、チューリップの花言葉は色によって違うって言ってたわよねー!」

「…ああ!」

距離があるのでお互い大声になる。

「白いチューリップのはーっ?」

「…“失恋”!!」

声に気づいたというよりも、単語に反応したように、伝承の姫君が目を開いた。

「!!」

スリサズは思わず息を飲んだ。

大昔の王女が生きて動いて…

それ自体は魔法の力によるものだろうし、伝承から予想はしていたが…

王女の美しさについての語りは、さすがに誇張だと考えていた。

とんでもなかった。

長いまつ毛を持ち上げて大きな瞳でまっすぐに見つめ返す姫君は、同性のスリサズが見ても驚いて足を滑らすほどの美しさを放っていた。

「きゃあっ!?」

集中が乱れたせいで氷の階段の表面が解けて、ますますツルツルと踏み留まれず、そのまましりもちをついて更に滑って…

階段の端から飛び出し、落下する!

「いやあああっ!!」

「……っ!」

恐れたほどの衝撃はなかった。

スリサズの体は、ロゼルの両腕に受け止められていた。

小柄な少女とはいえ人一人。

それなりに体重もあるし加速もついているのだが、ロゼルはたたらを踏んだだけで耐え切る。

「ロゼ…あ…ありが…」

もごもごと口ごもるスリサズを、ロゼルはポイと脇に下ろして塔を睨み、件の氷の階段をずんずんと登り始めた。

「ムッ!」

一瞬、スリサズの頭の中に、今すぐ氷を全部解かしてやろうかなんてことがよぎったが…

(むーっ)

結局、氷を固め直して、滑りにくくしてあげた。

ロゼルは軽く右手を上げて、先ほどのスリサズと同じように唇をもごもごとさせ…

どうやら礼を言ったらしいが、ちゃんとは聞き取れなかった。
大窓の枠に手をかけて、ロゼルが中を覗き込む。

そして息を飲み、動きを止める。

(やっぱロゼルも見とれるんだな)

その眼差しには、スリサズに向けるのとは明らかに異なる熱がこもっていた。

(んー。ちょっと夢中になりすぎじゃない?)

スリサズがそろそろイライラしてきても、ロゼルは姫君から目を離そうとしない。

「ロゼルー!
この階段、そんなに長く維持できないんだけどー?」

それでもロゼルは上の空な返事で、まだお姫様に見入っている。

唇が動いて…

(何か話してるの?)

やがて…

杖から妙な音が鳴り始めた。

「ロゼル! 杖が持たない!」

「…!」

ようやくロゼルも我に返って、慌てて階段を駆け降りる。

「間に合わない早く!」

「…っ」

ロゼルが地面に着くのと同時に階段が砕け散り、スリサズの手の中で杖も弾け飛んで、破片がスリサズの顔をかすめた。

「…大丈夫か?」

「それはこっちの台詞!
それにしても、きれいなお姫様だったわね」

「…彼女をこのままにはしておけない」

風が吹いてチューリップが揺れる。

二人を包む花畑。

スリサズは、黄色いチューリップの花言葉を思い出していた。

“叶わぬ願い”

叶わないのは、誰の願い?