氷の魔女とチューリップの塔

「窓から入るのはお行儀が良くないわよね」

「…窓には結界が張られていたしな」

「そっ、そうよねっ」

「…気づいていたよな?」

「ももも、もちろんっ」

そしてスリサズはリュックサックから新しい杖を十本ほど取り出して、花畑の地面に並べた。

「…すごい数だな」

「ここに来るまでにこの倍はつぶしたわ。
なかなか合うのがなくってね」

その中には、木の枝を削っただけのような物もあれば、金属に細かな装飾を施した物もある。

いかにも高級そうな品から、安そうに見えて実は高い品までさまざま。

いずれの杖にも共通しているのは、何らかの魔法の力を帯びていることと、一般的な大人の魔法使いが扱う杖より細いこと。

細ければそれだけ強度は落ちるが、太いとスリサズの小さな手には馴染まない。

そしてもっとも重要なのは、杖を作った職人と、杖の使い手の魔力の相性。

スリサズは杖職人からは“ひねくれもの”と呼ばれている。

「今度はこれにしよ」

手に取ったシンプルなひのきの杖の先で、スリサズは確かめるように塔の扉をノックした。

狙う位置を定め、呪文を唱える。

「突き破れ!
氷の槍!」

ガガガガガッ!!

扉の中央をうがつべく、魔法を放つ。

しかし扉には傷一つつかない。

「…俺の炎の魔法で」

「あたしがやるのッ!」

「…扉の話じゃなくて」

ロゼルの視線は塔とは逆を向いている。

「!?」

二人の周りは、チノリアゲハの群れにぐるりと取り囲まれていた。

「昨夜あれだけやっつけたのに、まだこんなに!?」

「…マトモな生き物じゃない。
…大昔に姫を守ったと云う、黒い力の名残」

「何百年も経っているのにこの魔力…
こんなに強い魔法使いなら…
相当なお宝を残してるはず!
やっぱりこの塔、大当たりだわ!」

「…言ってる場合じゃないぞ」

ロゼルが腰に下げた剣を抜き、刃に炎の魔法を灯す。

「あたしがやるの!
巻き起これ、ブリザード・ボム!!」

ロゼルを押し退け、スリサズが杖を構える。

しかし杖は、魔法を発することなく弾け飛んでしまった。

スリサズの魔力と相性が合わず、大技に耐えられなかったのだ。
「ううっ。お宝を見つけたら一流の杖職人にオーダーメイドを…」

「…下がれ!」

ロゼルがスリサズを背中に庇い、炎の剣の一太刀で、三匹のチノリアゲハを切り捨てた。

が…

その三匹は、花畑を覆い尽くす群れ全体の、ほんの一部に過ぎない…

「…!」

ロゼルの剣は一振りごとに確実にチノリアゲハを捉え、その動きにはわずかな隙も無駄もなく、次々と斬撃が繰り出されていく。

「…!」

しかし魔力の蝶は切り伏せる度に新手が現れ、一向に数を減らさない。

「ロゼルってば何やってんのよっ?
大火炎とかの広範囲攻撃魔法をやればいいでしょっ?」

「…この状況では制御できない!
…君も巻き込まれる!」

「ちょっとぐらい平気よ!
杖なしでもバリアぐらい張れるし!」

「…平気じゃないし、ちょっとじゃ済まないし、杖なしのバリアじゃ持たない!」

「な! 何よ何よ!
あたしだって杖さえあれば…」

けれど肝心の杖は地面に散らかしたままで、その上をチノリアゲハが飛び回っている。

(何とかチョーチョどもの隙を見つけて…)

「前に出るな!」

横から飛んできたチノリアゲハからスリサズを守ろうとして、ロゼルが体勢を崩した。

「嫌っ!」

スリサズがとっさにロゼルを支えようとしたが、それが返って良くなくて、二人は縺れ合って倒れ、ロゼルの肩が塔の扉にぶつかる。

と同時に…

バタンッ!

扉が開き、二人は塔の中に倒れ込んだ。

「何で!?」

叫ぶスリサズの下から這い出し、ロゼルが素早く扉を閉める。

そして辺りを見回して、チノリアゲハが入ってきていないのを確かめる。

「…塔の主が俺達を受け入れてくれたらしいな」

「お姫様は王子様を待ってるんだっけ?
ロゼルってば、どっかの国の王子様だったの?」

「…赤毛なだけだ」

「?」

「…王女を裏切った王子は赤毛だったんだ」

「あんまし嬉しくない話だわね」

「…ああ」
スリサズとロゼルは、塔の天辺へ向かって伸びる吹き抜けの螺旋階段を見上げた。

明かり取りの小窓の外をチノリアゲハが飛び回っているが、蝶達は中を気にしつつも入ってはこない。

「ロゼル! 見て!」

「…!」

天井の暗がりから舞い降りる何かを、小窓から射す光が照らす。

それは一輪の…

「紫のチューリップ?」

スリサズが手を伸ばす。

「…花言葉は“不滅の愛”」

背の高いロゼルが、スリサズよりも先に花の茎を掴む。

“不滅の愛”

その言葉が呪文であったかのように、紫のチューリップが光を放った。

「…!?」

光がロゼルを包み込む。

「ロゼル!?」

光が消える。

「ロゼル!
ちょっと、大丈夫?」

返事がない。

赤毛の剣士は何かに取りつかれたように立ち尽くし、ただ天井を見上げている。

「ロゼルーっ?」

目の前で手をひらひらさせても反応がない。

スッ…

突然、ロゼルが歩き出した。

階段に足をかけ、最初の数歩はまるで暗闇で確かめるようにおぼつかなく、その後は無意識のように歩くでも走るでもない速度で。

「ちょ! ロゼル!?」

一心不乱に塔を登ってゆくロゼルの動きは、いつも慎重な彼にはありえないものだった。

「ロゼルぅ!
おいてかないでよー!」

慌てたせいで余計にモタモタとなるスリサズを目掛けて…

明かり取りの小窓から、チノリアゲハが飛び込んできた。

「!」

チノリアゲハはスリサズだけを狙い、その間にロゼルはどんどん上へ行ってしまう。

「氷の矢!」

唱えた呪文は“矢”だったが、スリサズの掌から飛び出したのは、針のような小さなツララでしかなかった。

しかしその針はチノリアゲハの羽を確実に捕らえ、蝶を壁に縫い止める。

氷の壁を張る魔法も、杖の補助なしでは効果は期待できないが…

「アイス・バリア!!」

小窓にガラスのように嵌め込んで、蝶達の更なる侵入を防ぐ。

わずかな時間稼ぎにしかならないのはわかっているが、その隙にスリサズは一気に塔を駆け登る。

ロゼルに追いつき、肩を掴もうとするけれど…

「っ!!」

チノリアゲハに阻まれる。

赤と黒の羽の向こうに、ロゼルの背中が遠ざかる。
「吹雪!」

唱えても、粉雪程度にしかならない。

「だったら、いっそ…ぼたん雪!」

水っぽい雪の粒が蝶達にベチャリと張りつき、撃ち落とす。

たどり着いた螺旋階段の終着点。

大きな扉が独りでに開いてロゼルを飲み込む。

追いかけてスリサズも飛び込んでゆく。



広い部屋の中央に、棺のようなガラスケース。

白ずくめの王女を守るように周囲を舞っていたチノリアゲハ達が、ロゼルのために道を開ける。

もう疑う余地はない。

剣士は王子の身代わりとして、姫のもとに招かれたのだ。
「ロ…ッ!!」

途中まで呼んで、やめる。

スリサズの目に、床に転がる無数の屍が映ったからだ。

屍達の服装や風化の具合から、死んだ時代が異なるのがわかる。

近くの村の猟師がこの塔を発見した時よりも前にも後にも、この塔を登った者はいたのだ。

一番新しい骸骨は、頭部に赤い髪が残っていた。

(この人達は、どうして死んだの?
もしかして、ロゼルが待ち人の王子様じゃないってバレたらマズイんじゃ…)

人の気も知らず、ロゼルがガラスケースに歩み寄る。

(お姫様の目的は何!?
ロゼルをどうするつもりなの!?)

少なくとも待ち人と結ばれてめでたしめでたしというオチではないのだけは確かだ。

「そのケースから出てきなさいよ人食い姫!
ぶちのめしてあげるから!!」

『姫を侮辱するなアアアア!!』

室内に不気味な声が響き渡った。

若い男の…しかしロゼルの声よりも明らかに高くてキンキンしている。

ここに居る可能性のある男といえば他には…

「まさか、闇の魔法使い!?」

何百年も前の人物とはいえ、魔法の力でこの世に留まり続ける方法ならばいくらでもある。

そこの姫君のように封印されてしまうのも一つの手だ。

謎なのは…

「あんた、ただ雇われただけの魔法使いでしょ!?
何で用が済んだのにここに居んのよ!?」

『オオオオオッ!!』

「どこに居るの!?
出てきなさい!!」

『ウオオオオオオッ!!』

声は姫が居る方向から聞こえてくる。

それはロゼルが進んでゆく方向で、姫とロゼルの二人の他には、チノリアゲハが舞うばかり。

(魔法使いが人間の格好をしてるとは限らない。
置物か何かに化けているのか、それともチノリアゲハに紛れてるのか…)

紫のチューリップを携えて、ロゼルがガラスケースに手を伸ばす。

ロゼルの手の中で、チューリップの色が赤に変わる。

花言葉は“愛の告白”…

ケースの中の姫君が身を乗り出して、両の掌をガラスに張りつける。

ガラス越しに二人の掌が…

「ダメえええ!!」

二人の掌が重なりそうになったところに、スリサズが飛びついた。
ロゼルの背中にしがみついて、そのままの勢いでガラスケースを蹴り飛ばし、ロゼルの体を引き倒す。

ビシッ!!

ガラスケースにひびが入る。

そして…

そのひびから、赤い液体が染み出してきた。

「血!? まさか!!」

ガラスの破片が姫に当たったというのではない。

ガラスケースそのものが、傷口から血を流しているのだ。

『オオオオオオオッ!!』

ケースが悲痛な叫びを上げる。

スリサズは身を起こしたが、ロゼルは床にしりもちをついたまま茫然としている。

「借りるわよ!」

スリサズがロゼルの鞘から剣を引き抜いた。

(重っ…!)

見よう見まねだが見慣れた構えを取り…

「たァッ!!」

渾身の突きを繰り出す。

剣がガラスを突き破り、闇の魔法使いの断末魔が響いた。



魔法が、解けた。



割れたガラスケースの中で、一瞬前まで輝くように美しかった姫君は、ドレスは古びて黄ばみ、体は干からびた骸骨に成り果てていた。

「お姫様…
本当は、国が滅びた時に死んでいたのね…」

周囲ではチノリアゲハが溶けるように消えていく。

全ては幻…
「…本気で姫のことが好きだったんだ」

「ロゼル、大丈夫!?
あんた、魅了の魔法で操られて…」

「…闇の魔法使いは、本気で姫のことを愛していた。
…城の人々に助けを求められ、姫の御前に通されるずっと以前から。
…いつも遠くから姫だけを見ていた。
…魔法使いが姫のもとへ通された時、姫はすでにこの世の人ではなかったけれど」

「何でロゼルにそんなことがわかるの?」

「…塔の外から覗いた時に、闇の魔法使いと話した。
…どういう術かはすぐにわかったから、話しかけたら返事があった」

「なのにあっさり術にかかっちゃったんだ」

「…………」

「いや、そんな、何も膝を抱えてイジケなくってもっ」

うつむくロゼルの手の中で、最初は紫だったチューリップが、赤から黄、白へと色を変えていく。

花言葉は“叶わぬ願い”から“失恋”へ。

「…闇の魔法使いは、姫に触れてもらいたかったんだ。
…自分から触れることはできないから」

「そりゃまあ、ガラスケースなんかになっちゃってたらね」

「…そうじゃなくて。
…ただ勇気がないだけ。
…だから姫の方から触れてもらいたかった。
…だけど姫が手を差し出すのは、婚約者に似た赤毛の男に対してだけ。
…だから闇の魔法使いは赤毛の男を塔に招いた。
…だけど姫が他の男と触れ合うのが許せなくて、自分で招いた人達なのに殺してしまう」

「何それ。バカみたい」

「…そう言うな」

「そりゃーあたしも勇気うんぬんはわかんなくもないけどさ、人生もっと大事にしなくちゃダメでしょ。
自分のも他人のも」
窓から見下ろせば地上のチューリップ畑は、一面茶色く枯れている。

ロゼルが持つチューリップは、その形のまま、銀に似た魔法金属に変化していた。

それは闇の魔法使いの力の媒体。

これこそが闇の魔法使いが残したお宝。

「わお、きれい!
高く売れそうね!」

「…売るなよ」

ロゼルはそれをスリサズにポンと投げて渡した。

「えっ? ちょっ!」

「…振ってみろ」

「魔法の杖としてってこと? どれどれ」

それはスリサズの小さな手にも良く馴染み、光の当たる角度によって、白、黄、赤と色を変えた。

「うん! すっごくいい感じ!」

スリサズはふわふわと魔力の雪を撒き散らしながらクルクル踊った。

窓から差し込む光が雪をきらめかせ、スリサズの瞳もキラキラと輝く。

「…まだらのチューリップ。
…良く似合う」

ロゼルがしみじみとつぶやく。

「それって花言葉でいうと、叶うあてのない告白をして失恋しろってこと?」

「…自分で調べろ」

そしてロゼルは腰を上げると、何故か不機嫌そうにスタスタと塔の階段を下り出した。

「あー! 待ってよロゼルー!」

スリサズが、杖をふりふり、パタパタと追いかける。

二人の足音が、塔を吹き抜ける風の音にとけていく。

まだらのチューリップの花言葉は…






“美しい瞳”

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