氷の魔女とチューリップの塔

花畑を改めて眺めると、昨夜は気がつかなかったが、あちらこちらにかつての城の残骸が、崩れた石材となって、チューリップの合間に見え隠れしている。

あの辺は王族と従者の生活場所。

この辺は兵舎。

あっちは倉庫の跡だろうか。

そのただ中で、一つだけ足元から天辺まで完璧な姿を留める塔は、言い伝えでは礼拝堂だが、人々はそこで神ではないモノにすがったらしい。

「あたしが先に着いたんだから、あんたは引っ込んでなさいよねッ!」

そう言うとスリサズは、塔の入り口の扉に手をかけた。

「ん」

開かない。

普通のカギやカンヌキではなく、扉全体がまるで糊付けされているかのように少しも動かない。

「えいっ!」

思い切り蹴っ飛ばしてもビクともしない。

「…手伝おうか?」

「ダメ!
これはあたしのなの!」

スリサズは一旦扉から離れると、リュックサックから新しい杖を取り出した。

昨夜の杖に似ているが、紋様の刻み方から別の作り手による品と伺える。

杖の先端を塔に向け…

はたと考える。

(いきなり扉を壊すのは、ちょっと危ないかもしれないわね)

スリサズは、数歩下がって、塔を見上げた。

塔の壁には明かり取りの小さな窓が規則正しく並び、一番上のおそらく部屋がある場所に、大きな窓が開いている。

ならば…

「連なれ、氷塊!
たぁーっくさん!」

術者に従い無数に作り出された魔力の氷のブロックが、塔の外壁に沿って張り付いていく。

それは螺旋階段を組み上げて、最上階の窓を捉える。

「うん、バッチリ!」

スリサズは得意気にロゼルに向かって胸を張ってみせたが…

ロゼルはこちらにちらりと目をやっただけで、別の作業に没頭していた。

花畑の中から何かを拾って集めている。

白い…骨。

行方不明の村の若者達の遺骨だ。

(ロゼルってば、相変わらずだな。
あれで腕利きの傭兵なんだから、もっと仕事を選んだ方がいい暮らしができるのに…
ま、そんなのあたしが構うことじゃないんだけどさっ)
氷なのでどうしても滑りやすくなってしまう階段を慎重に登り、スリサズは大きな窓の中を覗き込んだ。

それなりに広い…

礼拝堂だった頃の装飾を壁や家具に残す部屋…

その中央に置かれた、棺を立たせたような形のガラスケースの中に…

白い人影が収められていた。

雪のように真っ白な長い髪と、純白のドレス。

祈るように目を閉じてうつむき…

(人形!? それとも…人の遺体…?)

白すぎる肌からは、生者の気配は感じられないが…

「ロゼルー!
さっき確か、チューリップの花言葉は色によって違うって言ってたわよねー!」

「…ああ!」

距離があるのでお互い大声になる。

「白いチューリップのはーっ?」

「…“失恋”!!」

声に気づいたというよりも、単語に反応したように、伝承の姫君が目を開いた。

「!!」

スリサズは思わず息を飲んだ。

大昔の王女が生きて動いて…

それ自体は魔法の力によるものだろうし、伝承から予想はしていたが…

王女の美しさについての語りは、さすがに誇張だと考えていた。

とんでもなかった。

長いまつ毛を持ち上げて大きな瞳でまっすぐに見つめ返す姫君は、同性のスリサズが見ても驚いて足を滑らすほどの美しさを放っていた。

「きゃあっ!?」

集中が乱れたせいで氷の階段の表面が解けて、ますますツルツルと踏み留まれず、そのまましりもちをついて更に滑って…

階段の端から飛び出し、落下する!

「いやあああっ!!」

「……っ!」

恐れたほどの衝撃はなかった。

スリサズの体は、ロゼルの両腕に受け止められていた。

小柄な少女とはいえ人一人。

それなりに体重もあるし加速もついているのだが、ロゼルはたたらを踏んだだけで耐え切る。

「ロゼ…あ…ありが…」

もごもごと口ごもるスリサズを、ロゼルはポイと脇に下ろして塔を睨み、件の氷の階段をずんずんと登り始めた。

「ムッ!」

一瞬、スリサズの頭の中に、今すぐ氷を全部解かしてやろうかなんてことがよぎったが…

(むーっ)

結局、氷を固め直して、滑りにくくしてあげた。

ロゼルは軽く右手を上げて、先ほどのスリサズと同じように唇をもごもごとさせ…

どうやら礼を言ったらしいが、ちゃんとは聞き取れなかった。
大窓の枠に手をかけて、ロゼルが中を覗き込む。

そして息を飲み、動きを止める。

(やっぱロゼルも見とれるんだな)

その眼差しには、スリサズに向けるのとは明らかに異なる熱がこもっていた。

(んー。ちょっと夢中になりすぎじゃない?)

スリサズがそろそろイライラしてきても、ロゼルは姫君から目を離そうとしない。

「ロゼルー!
この階段、そんなに長く維持できないんだけどー?」

それでもロゼルは上の空な返事で、まだお姫様に見入っている。

唇が動いて…

(何か話してるの?)

やがて…

杖から妙な音が鳴り始めた。

「ロゼル! 杖が持たない!」

「…!」

ようやくロゼルも我に返って、慌てて階段を駆け降りる。

「間に合わない早く!」

「…っ」

ロゼルが地面に着くのと同時に階段が砕け散り、スリサズの手の中で杖も弾け飛んで、破片がスリサズの顔をかすめた。

「…大丈夫か?」

「それはこっちの台詞!
それにしても、きれいなお姫様だったわね」

「…彼女をこのままにはしておけない」

風が吹いてチューリップが揺れる。

二人を包む花畑。

スリサズは、黄色いチューリップの花言葉を思い出していた。

“叶わぬ願い”

叶わないのは、誰の願い?
「窓から入るのはお行儀が良くないわよね」

「…窓には結界が張られていたしな」

「そっ、そうよねっ」

「…気づいていたよな?」

「ももも、もちろんっ」

そしてスリサズはリュックサックから新しい杖を十本ほど取り出して、花畑の地面に並べた。

「…すごい数だな」

「ここに来るまでにこの倍はつぶしたわ。
なかなか合うのがなくってね」

その中には、木の枝を削っただけのような物もあれば、金属に細かな装飾を施した物もある。

いかにも高級そうな品から、安そうに見えて実は高い品までさまざま。

いずれの杖にも共通しているのは、何らかの魔法の力を帯びていることと、一般的な大人の魔法使いが扱う杖より細いこと。

細ければそれだけ強度は落ちるが、太いとスリサズの小さな手には馴染まない。

そしてもっとも重要なのは、杖を作った職人と、杖の使い手の魔力の相性。

スリサズは杖職人からは“ひねくれもの”と呼ばれている。

「今度はこれにしよ」

手に取ったシンプルなひのきの杖の先で、スリサズは確かめるように塔の扉をノックした。

狙う位置を定め、呪文を唱える。

「突き破れ!
氷の槍!」

ガガガガガッ!!

扉の中央をうがつべく、魔法を放つ。

しかし扉には傷一つつかない。

「…俺の炎の魔法で」

「あたしがやるのッ!」

「…扉の話じゃなくて」

ロゼルの視線は塔とは逆を向いている。

「!?」

二人の周りは、チノリアゲハの群れにぐるりと取り囲まれていた。

「昨夜あれだけやっつけたのに、まだこんなに!?」

「…マトモな生き物じゃない。
…大昔に姫を守ったと云う、黒い力の名残」

「何百年も経っているのにこの魔力…
こんなに強い魔法使いなら…
相当なお宝を残してるはず!
やっぱりこの塔、大当たりだわ!」

「…言ってる場合じゃないぞ」

ロゼルが腰に下げた剣を抜き、刃に炎の魔法を灯す。

「あたしがやるの!
巻き起これ、ブリザード・ボム!!」

ロゼルを押し退け、スリサズが杖を構える。

しかし杖は、魔法を発することなく弾け飛んでしまった。

スリサズの魔力と相性が合わず、大技に耐えられなかったのだ。
「ううっ。お宝を見つけたら一流の杖職人にオーダーメイドを…」

「…下がれ!」

ロゼルがスリサズを背中に庇い、炎の剣の一太刀で、三匹のチノリアゲハを切り捨てた。

が…

その三匹は、花畑を覆い尽くす群れ全体の、ほんの一部に過ぎない…

「…!」

ロゼルの剣は一振りごとに確実にチノリアゲハを捉え、その動きにはわずかな隙も無駄もなく、次々と斬撃が繰り出されていく。

「…!」

しかし魔力の蝶は切り伏せる度に新手が現れ、一向に数を減らさない。

「ロゼルってば何やってんのよっ?
大火炎とかの広範囲攻撃魔法をやればいいでしょっ?」

「…この状況では制御できない!
…君も巻き込まれる!」

「ちょっとぐらい平気よ!
杖なしでもバリアぐらい張れるし!」

「…平気じゃないし、ちょっとじゃ済まないし、杖なしのバリアじゃ持たない!」

「な! 何よ何よ!
あたしだって杖さえあれば…」

けれど肝心の杖は地面に散らかしたままで、その上をチノリアゲハが飛び回っている。

(何とかチョーチョどもの隙を見つけて…)

「前に出るな!」

横から飛んできたチノリアゲハからスリサズを守ろうとして、ロゼルが体勢を崩した。

「嫌っ!」

スリサズがとっさにロゼルを支えようとしたが、それが返って良くなくて、二人は縺れ合って倒れ、ロゼルの肩が塔の扉にぶつかる。

と同時に…

バタンッ!

扉が開き、二人は塔の中に倒れ込んだ。

「何で!?」

叫ぶスリサズの下から這い出し、ロゼルが素早く扉を閉める。

そして辺りを見回して、チノリアゲハが入ってきていないのを確かめる。

「…塔の主が俺達を受け入れてくれたらしいな」

「お姫様は王子様を待ってるんだっけ?
ロゼルってば、どっかの国の王子様だったの?」

「…赤毛なだけだ」

「?」

「…王女を裏切った王子は赤毛だったんだ」

「あんまし嬉しくない話だわね」

「…ああ」
スリサズとロゼルは、塔の天辺へ向かって伸びる吹き抜けの螺旋階段を見上げた。

明かり取りの小窓の外をチノリアゲハが飛び回っているが、蝶達は中を気にしつつも入ってはこない。

「ロゼル! 見て!」

「…!」

天井の暗がりから舞い降りる何かを、小窓から射す光が照らす。

それは一輪の…

「紫のチューリップ?」

スリサズが手を伸ばす。

「…花言葉は“不滅の愛”」

背の高いロゼルが、スリサズよりも先に花の茎を掴む。

“不滅の愛”

その言葉が呪文であったかのように、紫のチューリップが光を放った。

「…!?」

光がロゼルを包み込む。

「ロゼル!?」

光が消える。

「ロゼル!
ちょっと、大丈夫?」

返事がない。

赤毛の剣士は何かに取りつかれたように立ち尽くし、ただ天井を見上げている。

「ロゼルーっ?」

目の前で手をひらひらさせても反応がない。

スッ…

突然、ロゼルが歩き出した。

階段に足をかけ、最初の数歩はまるで暗闇で確かめるようにおぼつかなく、その後は無意識のように歩くでも走るでもない速度で。

「ちょ! ロゼル!?」

一心不乱に塔を登ってゆくロゼルの動きは、いつも慎重な彼にはありえないものだった。

「ロゼルぅ!
おいてかないでよー!」

慌てたせいで余計にモタモタとなるスリサズを目掛けて…

明かり取りの小窓から、チノリアゲハが飛び込んできた。

「!」

チノリアゲハはスリサズだけを狙い、その間にロゼルはどんどん上へ行ってしまう。

「氷の矢!」

唱えた呪文は“矢”だったが、スリサズの掌から飛び出したのは、針のような小さなツララでしかなかった。

しかしその針はチノリアゲハの羽を確実に捕らえ、蝶を壁に縫い止める。

氷の壁を張る魔法も、杖の補助なしでは効果は期待できないが…

「アイス・バリア!!」

小窓にガラスのように嵌め込んで、蝶達の更なる侵入を防ぐ。

わずかな時間稼ぎにしかならないのはわかっているが、その隙にスリサズは一気に塔を駆け登る。

ロゼルに追いつき、肩を掴もうとするけれど…

「っ!!」

チノリアゲハに阻まれる。

赤と黒の羽の向こうに、ロゼルの背中が遠ざかる。
「吹雪!」

唱えても、粉雪程度にしかならない。

「だったら、いっそ…ぼたん雪!」

水っぽい雪の粒が蝶達にベチャリと張りつき、撃ち落とす。

たどり着いた螺旋階段の終着点。

大きな扉が独りでに開いてロゼルを飲み込む。

追いかけてスリサズも飛び込んでゆく。



広い部屋の中央に、棺のようなガラスケース。

白ずくめの王女を守るように周囲を舞っていたチノリアゲハ達が、ロゼルのために道を開ける。

もう疑う余地はない。

剣士は王子の身代わりとして、姫のもとに招かれたのだ。
「ロ…ッ!!」

途中まで呼んで、やめる。

スリサズの目に、床に転がる無数の屍が映ったからだ。

屍達の服装や風化の具合から、死んだ時代が異なるのがわかる。

近くの村の猟師がこの塔を発見した時よりも前にも後にも、この塔を登った者はいたのだ。

一番新しい骸骨は、頭部に赤い髪が残っていた。

(この人達は、どうして死んだの?
もしかして、ロゼルが待ち人の王子様じゃないってバレたらマズイんじゃ…)

人の気も知らず、ロゼルがガラスケースに歩み寄る。

(お姫様の目的は何!?
ロゼルをどうするつもりなの!?)

少なくとも待ち人と結ばれてめでたしめでたしというオチではないのだけは確かだ。

「そのケースから出てきなさいよ人食い姫!
ぶちのめしてあげるから!!」

『姫を侮辱するなアアアア!!』

室内に不気味な声が響き渡った。

若い男の…しかしロゼルの声よりも明らかに高くてキンキンしている。

ここに居る可能性のある男といえば他には…

「まさか、闇の魔法使い!?」

何百年も前の人物とはいえ、魔法の力でこの世に留まり続ける方法ならばいくらでもある。

そこの姫君のように封印されてしまうのも一つの手だ。

謎なのは…

「あんた、ただ雇われただけの魔法使いでしょ!?
何で用が済んだのにここに居んのよ!?」

『オオオオオッ!!』

「どこに居るの!?
出てきなさい!!」

『ウオオオオオオッ!!』

声は姫が居る方向から聞こえてくる。

それはロゼルが進んでゆく方向で、姫とロゼルの二人の他には、チノリアゲハが舞うばかり。

(魔法使いが人間の格好をしてるとは限らない。
置物か何かに化けているのか、それともチノリアゲハに紛れてるのか…)

紫のチューリップを携えて、ロゼルがガラスケースに手を伸ばす。

ロゼルの手の中で、チューリップの色が赤に変わる。

花言葉は“愛の告白”…

ケースの中の姫君が身を乗り出して、両の掌をガラスに張りつける。

ガラス越しに二人の掌が…

「ダメえええ!!」

二人の掌が重なりそうになったところに、スリサズが飛びついた。
ロゼルの背中にしがみついて、そのままの勢いでガラスケースを蹴り飛ばし、ロゼルの体を引き倒す。

ビシッ!!

ガラスケースにひびが入る。

そして…

そのひびから、赤い液体が染み出してきた。

「血!? まさか!!」

ガラスの破片が姫に当たったというのではない。

ガラスケースそのものが、傷口から血を流しているのだ。

『オオオオオオオッ!!』

ケースが悲痛な叫びを上げる。

スリサズは身を起こしたが、ロゼルは床にしりもちをついたまま茫然としている。

「借りるわよ!」

スリサズがロゼルの鞘から剣を引き抜いた。

(重っ…!)

見よう見まねだが見慣れた構えを取り…

「たァッ!!」

渾身の突きを繰り出す。

剣がガラスを突き破り、闇の魔法使いの断末魔が響いた。



魔法が、解けた。



割れたガラスケースの中で、一瞬前まで輝くように美しかった姫君は、ドレスは古びて黄ばみ、体は干からびた骸骨に成り果てていた。

「お姫様…
本当は、国が滅びた時に死んでいたのね…」

周囲ではチノリアゲハが溶けるように消えていく。

全ては幻…