伝わらない、伝えられない



「葵を好きだと思っていた理由は、あいつの前だと気兼ねしなくて自然でいられる。
そう思ったからだったんだ」


「うん、そうだね…」



だからこそあたしは、悠斗を諦めようとした訳だし。



「でもよ、葵に対してドキドキする…なんて事は全然なくてさ。
いつもそう感じさせられるのは…ちとせだった」


「…へ?あたし?」



必死に話す姿に胸を打たれていると、突然出たあたしの名前。


予想外の事に間の抜けた声を出してしまった。


悠斗があたしにドキドキしてた…


あたしを、意識してくれてた?


考えが少しまとまると、今度は顔が熱くなってきた。


うぅ…、かなり嬉しいんですけど。



「俺が好きな相手は葵じゃなくちとせだ。それで…その、返事を聞かせてくれるか?」



夢心地とはこういう事をいうんだろうか。


胸の中では決まりきっている答え。


でも、本人に隠してきた分だけ言いにくい感じがして…また緊張が甦ってきた。



「あ、あたしも…」



悠斗がこっちを真っ直ぐ見つめている。


その表情は、いつになく不安そうで…



「好き、です…悠斗のことが」



安心してもらいたい一心であたしはそう伝えた。




恥ずかしすぎて顔がのぼせそうだ。


まともに目を合わせる事も出来なくて…


もう普段とは比べ物にならない位心臓の音が大きい。



「ちとせ」



気が付けば向かいに座っているはずの悠斗が真横に立っている。そして…



「ゆう…!」



名前を呼ぶ間もなくまた抱きしめられた。


もう展開の早さについていけない。頭がぐるぐると回っているみたいな…



「本当に…俺達本当に両想いなんだよな?」



耳元で聞こえてくる悠斗の声。


それは心なしか震えているような…



「う、うん。本当」



見えないのは分かっているのに、あたしはコクコクと頷いた。



そうしたら抱きしめる力が少しだけ強くなって…



「よっしゃー!マジ嬉しいわ」



いつも落ち着いた様子の悠斗がこんなにもはしゃいでいる。


その原因があたしだと思うと顔が綻んでいく。


また距離を開けてお互いを見合う。


悠斗の顔は見たことのない程に赤くなっていて…


なんか、ちょっと可愛いかも…



「あたしも、スゴイ嬉しい」



どういう顔をしていいのか分からなくて、あたしは少しはにかんで悠斗を見つめた。




「キス、しても良いか…?」



最初にした時はそんなの聞かなかったのに…


そう改めて確認されると恥ずかしい。



「…うん」



あたしの返事を聞くと、悠斗が顔を近づけてくる。


目を瞑るとともに唇に感じる暖かな熱。


頭がそれだけに集中している。


まだ胸は高鳴っているけれど…さっきよりも穏やかなリズムを刻んでいて。


もう、夢だったら覚めなくていいかも…


ただ触れ合うだけのキスから深いものへと変わっていく。



「…んっ、…ふ」



自分じゃないような甘い声が漏れる。


少しの間は応えていたあたしもだんだん呼吸が出来なくなってきて…


顔が離れた瞬間にふらついたのを、悠斗は抱き止めてくれた。



「ゴメン。やり過ぎたよな…」


「ううん。幸せ…だから」



悠斗がやってくれたようにあたしも手を回してぎゅっと抱きしめる。


絶対手を伸ばしたとしても届かないと思っていた存在。


その人がこんなにも近くにいるなんて…




「好き、です…悠斗のことが」



ちとせの口から出た『好き』って言葉。


顔を赤らめているちとせに触れたくて仕方がなくなって、


赴くままに思いっきり抱きしめた。



「本当に…俺達本当に両想いなんだよな?」


「う、うん。本当」



俺の問いかけにちとせは何回も頷いてくれる。


途端に気持ちがウズウズと込み上げてきた。



「よっしゃー!マジで嬉しいわ」



好きと言われただけでこんなにも喜んでしまうとは…


どうやら俺の考えている以上にちとせに夢中なようだ。



「あたしも…スゴイ嬉しい」



微笑むちとせに思わず見とれる。


惚れた弱味なのか、もう可愛くてしょうがなくて…



「キス、しても良いか…?」



口をついて出た言葉。


さっきは無理矢理しちまったけど聞いておきたかったから…


緊張しながら返事を待った。



「…うん」



無事に了承をもらえたので顔を近づけた。


柔らかい感触が唇に伝わる。


普通に触れるだけのものにするつもりだった。


でも、俺の理性は意図も簡単に切れてしまったのだった。


頭を固定してさらに深めていく…




「…んっ、…ふ」



ヤバッ、その声は反則だろっ。


抑えるどころか……俺はもっとちとせを欲してしまった。


キスをし終えると、ちとせが俺の方へとなだれ込んでくる。


互いの息遣いだけが部屋の中を満たしている。



「ゴメン。やり過ぎたよな…」



苦しそうにしているちとせを見て、無我夢中になった自分に少し後悔。


でもちとせは首を左右に振ると…



「ううん。幸せ…だから」



そう言ってふわりと笑ってくれた。


こ、こいつは…どれだけ俺を虜にさせれば気がすむのか。


ちゃんとした想いが分かったのはほんの少し前なのに、


どんどんどんどん、怖いほどにちとせに溺れていきそうで。


都合が良すぎる。


そんなのは理解している。


だけどこの鼓動の速さにら俺は購うことなど出来ない。


俺はもう一度軽いキスを一回した。



「これからは…ただの友達じゃない。彼氏としてちとせの傍にいるから」



その言葉を誓うように、ちとせの手の甲に唇を寄せた。


すると顔を赤らめてると共に目がだんだんと潤んでくる。




「これからは…ただの友達じゃない。彼氏としてちとせの傍にいるから」



そう言って悠斗があたしの手に口づけをする。


彼氏…


その言葉に今まで以上に実感が沸いてきた。


あたし、悠斗と恋人同士になれたんだ。


相手があたしで良いのかな?


こんな、逃げてばっかりいた臆病な奴で。


嬉しさと切なさで目に涙が溜まっていく。


込み上げてくる想いに胸がつまり、声を出せそうにない…


もうただ頷くだけで。


本当は怖くて仕方なかった。


気持ちを言ってしまうことで、葵も明も悠斗との関係がギクシャクしちゃうんじゃないか…


そのせいで三人があたしから離れていっちゃうんじゃないか、って。


だから、素直になっちゃいけない。


わがままになっちゃいけない。


いつの間にか、そう自分で自分を制御しようとしていた。


そんなのは無駄でしかなかったのに…


結局、自分の気持ちを諦めることが出来なかったんだから。



「…えと、これからも、よろしくお願いします」



あたしはペコリと頭を下げる。


今までは友達として、これからは…恋人として。




悠斗があたしの彼氏という事は、当然あたしも悠斗の彼女という事で…


彼女、かぁ。


その響きがくすぐったい感じがして。


顔がまた火照ってくる。変な汗が出てきそうな位だ。



「ハァ…」



少し上から漏れ出たため息に反応して、顔を上げる。


すると悠斗の頬は真っ赤に染まっていて…


こんな悠斗、はじめて見るかも。



「お前なぁ…」


「な、なに?」



赤い顔はそのままに険しい表情を浮かべる悠斗。


あたし、また…何かやらかした?


顔付きだけでは全然分からずに、不安になりながらあたしは悠斗を見る。



「禁止」


「…はい?」



紡がれたその単語だけでは訳が分からなくて、思わずそう返した。


禁止…


何が?何を?



「可愛くなり過ぎるの…禁止」



右上を見上げながら考えを巡らせていると言われた言葉。


瞬間、思考が停止する。


か、かか、可愛い!?



「そ、それは…あたし、が?」


「ちとせ以外に誰がいるんだよ」



確かにここにいるのは二人だけだけど…


だって!だって、あたしが可愛いなんて。


例えお世辞だとしても受け入れられそうにないのですが。




思えば、ちとせは辛いことがたくさんあったはずなんだ。


でも嫌な顔ひとつしなかったし、弱音も今まで吐かなかった。


この小さな手で…小さな体で、どれだけの重荷を背負ってきたのか。


きっと…想像も出来ない。


けど、常に微笑むちとせに俺達は聞くことが出来なかったんだ。


笑っていてくれるならそれがいい…そうやって、避けていたんだ。


でも、これからは違う。


ちとせが泣いていようが辛くてしょうがない顔をしていようが、俺が近くで寄りそうんだ。


そう決めた。決めたんだが…


こいつは、ちとせは…自分のことは棚に上げるのに、他人に対しては人一倍お節介で、自分のことじゃないのに怒ったり悲しんだりする…そんな奴だ。


そのちとせが『俺と』付き合うって、


イマイチ不安だ。特に男子から袋叩きに遭わなければいいが…


手を握りながらぼんやりと考え込んでいると、突然ちとせが頭を下げてきた。



「…えと、これからも、よろしくお願いします」



そう言い放ち上げられた顔は、少し照れた表情で俯き気味に笑っていた。


普段見せる笑顔にある無邪気さはなく、それは女を意識させられるもので…




ああ、もう…


心が鷲掴みにされる。


それと共に押し上げられる、絶え間ない独占欲。


そして激しい鼓動と熱さ。


それを落ち着かせようとため息をひとつ吐いた。


ちとせに魅力があるのは前々から分かっていた。


だが見たこともない『女の一面』


それに埋もれていきそうになる。


しかもこいつは…計算じゃなく天然でそういうのをやってのけるんだ。たちが悪い。



「お前なぁ…」


「な、なに?」



眉を下げて不思議そうに俺を見るちとせ。


本当に、無自覚とは恐ろしいな…


「禁止」


「…はい?」


「可愛くなり過ぎるの…禁止」



言った瞬間に固まるちとせ。


その顔がどんどん真っ赤になっていく。



「そ、それは…あたし、が?」


「ちとせ以外に誰がいるんだよ」



言い切ると明らかにあたふたとし始める。


まぁそんな姿も可愛いとか思えたり…



「ちとせ…」



名前を呼んで頬をなぞる。


見つめる瞳には俺だけが写し出されていて…


どちらからともなく口づけを交わす。


互いの想いを、まるで確かめ合うかのように…