リンスが目を覚ました頃には既に砦は陥落寸前であった。
魔力の尽きた魔法使い達も必死で戦ったが、数が違い過ぎたのだ。
騎士達は皆、誰一人も降伏する事を拒み、見晴らしの高塔へと籠った。
砦の壁には幾つも梯子がかけられ、侵入した兵により正門は開け放たれていた。
残るは高くそびえる塔のみとなっていた。
多くの者が螺旋階段を登ってくる煌皇軍にすがり付き、行く手を阻もうとする。
リンスは屋上に上がり、そこから遠くを見渡した。
華國はここからでは見えない事は分かっていたが、
彼はそちらへと目を向けていた。
華國兵
「下も時期に突破されます」
リンス
「すまんな、無能な男の為に」
華國兵
「そんな風に思う者は華國に一人もおりません。
あなたと共に死ねるのは名誉であります」
リンスは良い兵に恵まれ幸せだと思った。
ここまで懸命に戦い抜いた価値は十分に感じた。
それだけ敵に損害を与える事は出来た。
こちらの国には未だ多くの戦士が控えている。
後は託すのみ。
ふと目をやると華國の軍がこの砦に向かっている。
遠目でも分かる。
銀色の旗。
華國兵
「弟君ですな、しかしここはもう…」
リンス
「トリート…、命令違反をしおって。
王都を救い、この戦いに終止符を打ってくれる者は他にいまい。
だが、兄思いのお前の為に、せめて最後まで勇ましくあろう」
渓谷にはワイバーンの叫び声が木霊していた……。
リンス達がまだ突撃を開始する前、トリートはキュバインを追っていた。
しかし騎馬で少数のキュバインに追い付く事は出来そうも無かった。
トリートが率いる軍には騎馬が少なかった為もあった。
それ以上に兄リンスが気にかかった。
(少数では関所は抜けられまい、ましてや王都までは到底行くまい)
そう考えたトリートの頭にはもうリンスに迫る煌皇の軍勢で一杯になっていた。
キュバインか、兄の命かを天秤にかけるまでもなくトリートは前線に引き返す。
急ぎ戻ったそこでは自軍が必死で敵の陣を破ろうと戦っていた。
トリート
「戦況は?見晴らしの高塔はどうなっている」
華國兵
「急に敵兵は総攻撃に出て来ました。
今までに無い猛攻です!
敵は後方の部隊も全て投入している様です。
我らを通さん為だけに尽力しておる様で、被害など考えておらんようで恥ずかしながら苦戦しております。
このままでは兄君が危のうございます」
トリート
「私が前線に出る。
力を貸してはくれまいか?
私には兄やそなたらの様な力が無いのだ」
トリートの前にズイッと現れた男達は自分の背丈程の大剣を担いでいる。
トリートが必死になって同盟を組んだ山脈勢力一の武力を誇る雪狼族であった。
その隊長であった男は珍しい黒の雪黒狼のマントを身に付けていた。
名は「レア」
稀有な者の意であった。
彼が背負う黒い毛皮がそれを語る。
雪で真っ白な山肌に稀に生まれる黒い雪狼。
目立つが故に生きづらく、生きづらいが故に残った者は強かった。
それをも倒したレアは、雪狼族の英雄であった。
レア
「力を貸そう。
こんな大きな戦いの場を提供してくれたあんたに今では感謝している。
今こそ我らの神兵の勇気を試す時だ」
レアの率いる雪狼族は戦闘の繰り広げられる渓谷を進み、
まだ崩されていない煌皇軍の防御陣前にたどり着いた。
雪狼の戦士は五十。
異様に盛り上がった肩。
血管が浮き出た太い腕。
誰もが一目で分かる程の武者振りであった。
レア
「盟約に従い我々は戦う!
だが、これは盟約以上の意味がある。
これ程の試練は人生で二度と無いだろう!
勇気を示せ!力を見せてみろ!
全ては女神の為に…」
レアは剣を背中から外すと前へと進み出た。
雪狼族達は声を出さなかったがレアの声に気力で応える。
獲物の前で声を出す狩人は誰一人も居なかったからだ。
人の二倍はあろうかという巨大な狼に立ち向かう彼等は、
自分達よりも数が多い相手に挑むのに一切躊躇が無かった。
凄まじいスピードで襲い掛かってくる魔狼の爪に比べれば、
突き出される槍はどれも幼稚に見えた。
丈夫な毛と、厚い脂肪を纏った狼の体を思えば、
薄い鉄の鎧は何の意味も持たない。
彼等はその力を両軍に見せつけた。
魔人と対を成すと言われた山脈の王族達は存分に暴君ぶりを知らしめ、
その強さの伝説が事実である事を煌皇軍は身を持って知った。
レアは将軍レイナスを葬った事実がただの運ではなく、
実力であった事をまざまざと証明して見せた。
そして、煌皇軍は撤退の合図を待たずに防御陣を崩され引き上げを開始する。
トリートは急ぎリンスのいる砦へと向う事が出来たのである。
トリート率いる山脈勢力軍は高塔砦へと進み、煌皇軍は渓谷南へと撤退していった。
砦の中は死屍累々といった惨状で、
名のある華國兵士は誰もが勇ましく戦い抜いた後が見れた。
トリートは焦り、兄を探すが見つからない。
(おかしい、兄さんなら前線にいるはずなのに)
探し回るトリートに「リンス王子、見晴らしの高塔の屋上で発見」との報があった。
塔の上へと続く螺旋階段にも激戦の模様が見て取れた。
独立魔法部隊三強である王華隊、虎華隊、華龍隊も魔力が尽きたのであろう、
武器を手に取り目を見開いたままそこで息を引き取っていた。
死しても尚襲いかからんばかりの形相である。
見る限り、その何倍もの敵を食い止め息絶えた英雄達にトリートは頭の下がる思いだった。
嫌な汗を流しトリートは屋上への階段までたどり着く。
空へと続く狭い出口からは日の光が差し込んでいた。
もう、想像は出来ていた。
しかし、覚悟は出来ていなかった。
それでも進まなくてはならない。
トリートは光に向かって最後の階段をまた登り始めた。
トリートが救出に来る直前。
リンスは目を覚まし、少数の兵士と共に高塔の屋上に立て込もっていた。
階下からは抵抗の喧騒が聞こえる。
しかしそれにも増して谷上には耳をつんざく、生き物の鳴き声が響いていた。
流石の勇敢な華國親衛隊も恐怖を感じ、手に汗をかく。
煌皇空軍「大翼の怪蛇」
稀少で獰猛な生物ワイバーンを駆る騎士団であった。
彼等は煌皇軍のエリート集団である。
ドラゴンよりも知能が低いワイバーンを従わせるには力と知恵と勇気が必要だった、
大空から敵を射抜くには、腕力と技術が必要になり、落ちれば死ぬという恐怖も付きまとう。
その為彼等は腕っぷしが強く、命知らずで、戦闘技術にも焚けていた。
更に、地形という摩擦を克服し、戦地から戦地へと飛び回り、戦況を読む為の頭も持っていた。
高塔は上にゆくにつれ細くなる構造であったので、
屋上はそこまで広いものではなかった。
その周りをゆっくりとワイバーンと騎手が旋回し始める。
それに合わせ華國軍はリンスを中心円陣を組み大盾を構え、覚悟を決めた。
「空飛ぶ蛇に乗るとは、煌皇は物好きな奴等だな。
あんなに醜い物に乗るとは、騎士の誇りは持ち合わせていないようだ」
こんな時まで冗談を言うリンスにつられ親衛隊も皆口々に敵を罵り笑った。
それを聞いてか聞かずかワイバーンは奇声を発しスピードを上げて行く。
共に大空を舞う煌皇五大将軍ゼレイドの合図と共にワイバーンの騎手達は弓を引いた。
ゼレイドはさながらワイバーン騎兵を指揮者の様に巧みに操った。
上下から緩急を付けた弓は容赦なく華國の盾を叩き、
隙間を縫って華國兵に突き刺さる。
それでも親衛隊は苦痛に耐え、悲鳴を出す者はおらず、
しっかりと敵の動きを観察し、ギリギリまで矢の軌道を見定めようとしていた。
執拗な攻めに何人かが倒れたがしぶとく守る華國軍を見てゼレイドは最終手段に出た。
合図を受けた一人の騎手はワイバーンを操り、
旋回する輪から抜け出すと高塔屋上へと突撃する。
その衝撃で屋上の低い防壁は崩され親衛隊も何人かが巻き込まれた。
親衛隊を掻き分け、地を這う様に進むワイバーンに向かい駆け寄るリンス。
ワイバーンの翼に付いた鋭い前爪がリンスの頭部を襲い兜の鹿角が片方折れ、
リンスの体はグラリと傾いた。
しかし、リンスは足を半歩踏み出し踏ん張った。
止めに噛みつこうとするワイバーンの頭に凄まじい勢いでリンスのハルバードが降り下ろされ、
少しの声と共にワイバーンは息耐えた。
降りて来たワイバーンの騎手は槍を掲げ身構えるが一回転しながら振られたリンスの一撃は騎手を屋上の外へと弾き飛ばす。
隊列が乱された屋上には矢が襲い、次々に華國軍は倒される。
リンスも矢を受けたがもう一騎向かって来るワイバーンに向かい走る。
タイミングを合わせ前方に転がり立ち上がり様に下顎に斧を斬り刺し、
そのまま地面へと引き落とす。
戸惑いながらも怒り、振り向いたワイバーンの目にはもうリンスの払った武器が迫っていた。
首から地面に屈するワイバーンを尻目に騎手は剣を抜きリンスに飛び掛かる。
リンスはこれを柄で受け、柄の尾で直ぐ様頭を強打した。
朦朧とするワイバーンの騎手の頭上にはリンスの斧が天高くそびえ、
屋上の地面を砕く勢いで降り下ろされる。
手負いの金獅子は手の付けようがないまでの奮戦をみせ、
鬼神の如く叫んだ。
それは動かぬ自分の体への苛立ち、眼前に迫る一際大きいワイバーンへの威嚇であった。
リンスの頭上を通り抜ける大きな影はゼレイドであった。
リンスの咆哮は止み、ゼレイドは更に弓を引く。
槍はリンスの右胸を貫き、彼は斧を手放し刺さった槍を握る。
リンスは足をひきづり何かを求めて屋上中央へと歩き始めた。
最早避ける力の無いリンスを次々と矢が襲ったが、
リンスの着込む黒獅子の鎧がそれを致命傷とする事を許さなかった。
鎧の継ぎ目を狙うワイバーンの騎手達。
意識は朦朧とし、目は霞んでいた。
肺が貫かれたのだろう、血の泡が口から吹き出て、咳がでる。
足の傷は燃える様に熱かった。
周りの味方が必死で自分を守る声が聞こえる。
そこへ階下から駆け上がってきたのは華國魔法隊三強の一つ、
王華隊の隊長であった。
名はボール、リンスと共に重き扉の城を攻略した男でカトリの父である。
ボールはワイバーンの声を聞きつけ、持ち場を離れ駆けつけたのだった。
ボールが旧友のリンスを見た時にはゼレイドが放った矢が彼の喉を貫いていた。
怒りに我を忘れたボールはワイバーンの群れが飛び交う屋上に勇ましく踊り出て次々に指示を出した。
「入り口を死体で防げ、もう死ぬ者もそこへ行け、
王子の首をとらせるな!」
ボールはリンスに駆け寄ると、リンスは二対の旗を手に持ち、必死で立っていた。
彼はボールを見ると少し笑った。
もう声も出せなかった。
「そうか、分かった。
お前は偉大な王ではなく英霊として民に愛されるだろう。
友よ、最後は誰にも邪魔はさせん!」
ボールは禁断の魔法を詠唱する。
一部の魔法使いだけに伝わる魔法、対価の法。
血を魔力に変え、尽きていた魔力を回復させる。
直ぐ様覚悟を決めたボールは叫んだ。
「さらば、勇ましい戦友よ!
…カトリ、お前も気高く生きてくれ」
ボールが崩れながらも唱えた魔法は上空から地面に向かい幾つもの竜巻を生んだ。
塔の周りを飛んでいたワイバーン達はその風を受け回転しながら地面へと落とされていく。
ゼレイドはこれを寸前で回避し、迫る華國救出軍を見て撤退命令を下した。
リンスは白くなる視界ごしにそれを見届けると階段へと体を向ける。
(さらば我が生涯の友よ。
さらば華國。
さあ、私の最後の仕事だ)
トリートが階段を登るとそこには先に入った多くの華國兵が皆片膝を地につき頭を下げていた。
その中心にいたのは立ったままに絶命していたリンスであった。
誰もが一目でリンスの最後がどれ程の戦いであったかと想像し、
涙を流しすすり泣いた。
兜の角は折れ。
皆が目を奪われた金髪は血で固まっていた。
喉や、間接には矢が無数に刺さり、胸を投げ槍が貫いている。
鎧のあちこちが砕け、リンスの足元には血が広がっている。
それでもリンスは優しくトリートに微笑みかけていた。
両手にはこんな状態になっても尚、力強く旗を持っていた。
右手には獅子と華があしらわれた自分の旗を。
左手には華國の国旗を握りしめていた。
強い風が塔の屋上を吹き抜け、リンスの左手の旗がはためき離された。
トリートはそれを受け止める。
周りに居たものはその光景に目を奪われた。
獅子王子の意志が銀狼王子へと受け継がれたかの様に見えた。
「あなたを支える為に生きて来たのに。
これは私には重すぎる。
私は貴方の様に強くはなれない」
トリートは下を向き泣いた。
「お支えします!」
「私も命をかけお守り致します!」
次々に周りの兵が声を上げた。
リンスの思いを皆が受け止め、伝説の様な最後に多くの者が触発された。
トリートは旗を預け、リンスの兜をそっと取ると膝をつきそれを被った。
それと同時に倒れるリンスを力強く受け止めたトリートの目には今までに無い力がみなぎる。
周りの者が皆忠臣であることが何故かわかった。
心震わせ泣き、復讐に燃えている事が感じられた。
この時、彼に王家の血が覚醒したのだった。
華國王都は雨に濡れていた。
それは火災が生み出した雨であったが、
そこにいた人々には妖精が流した悲しみの雨に感じた。
王都防衛戦後、西より進軍してきた煌皇軍は撤退を開始する。
ただこれは容易なものではなかった。
ウルブスを失った事を忘れる様にセブンは猛追撃戦を繰り広げた。
今や華國一の魔法使いで編成された部隊は連戦の疲れ等忘れ、弔い戦に明け暮れた。
ボーワイルドは逆に追われる身となり、
各所で罠に掛けたがどれも強力な魔法で覆される。
煌皇軍は次第に恐怖で支配されていく。
全軍が西の渓谷に渡り着いた頃、戦力は逃亡兵等を含め六分の一にまで減っていた。
そして彼等は目にする。
後少しで全員が山頂の谷を渡ろうとした時、後続部隊が燃えるゴンドラと共に谷底へと落ちて行くのを。
三日月城塞に再度、華國の旗が立てられ、炎の影に揺れる執念の魔法使い達の姿を。
それは必ず来るであろう復讐者の恐ろしいまでの怒りの姿であった。