月はその裏側を見せない。
「あったあった。これだよ、桂」
影月は分厚い天文の本を抱えて、図書室から司書室に入って来た。僕は中央の大きなテーブルの上を片づけて、本を置けるだけのスペースを作ってやる。影月はそっと本を置くと、手を挟んでいたページを開けた。そして一つの写真を示す。人差し指の先にある、白金色の円。
「これがそう」
「月の、裏側」
一面に無数のクレーター。どこかのっぺりしていて、印象が薄い。『明るくてクレーターの多い部分を陸、暗くてクレーターの少ない部分を海と言います。裏側にはほとんど海の部分がありません。』
兎が餅をついていたり、カニがハサミを振り上げていたり。その表側で人間に想像を楽しませていた彼女の、見えない真実。
「月は二次元だと思っていた」
見ていることに何となく気が引けて、僕は別の写真に目を移す。『地球をテニスボールとすると、月はピンポン玉程の大きさです。』と説明の付けられた図。月は思った以上に大きいらしい。
影月は僕を笑った。
「小学校でも習うだろう」
影月が笑うと、口の右側にだけえくぼができる。目がきゅっと細くなる。
「忘れてしまうよ」
月が球体だということ。いつもそこにあるけれど、いやそこにあるからこそ見えないんだ。
「月に裏側があるなんて、解っていても意識しない。だから忘れてしまうよ」
影月はまた笑った。他に誰もいない司書室に、その声は高く響いた。