「なんやあれ。いやに騒がしいやんけ。なんかあったんか?」
山瀬 信夫は、手に持っていた古い黒革の手帳をデスクに投げると、くわえていた煙草をぐりぐりと灰皿に押し付けた。
「あれですよ。阪急三宮の女児誘拐事件ですよ」
向かいに座る早野 大が興奮気味に体を乗り出した。まだ幼さの残る彼は、背は高いのだが、髭すら生えないその容姿のせいか、どこか頼りなさ気に見える。
「あぁ。白昼どうどうってやつか」
「えぇ。もう事件発生から3時間は経つゆうのに、今だに犯人からの要求がないらしいんですわ。せやから、中にはもう仏さんなになってんちゃうかなんて言うてる奴もおりますから」
山瀬は、「阿呆が」と呟くと、おもむろに席を立ち腰を叩いた。
「どこ行きはるんですか?」
そう聞く早野に「小便や」とだけ答え、山瀬は歩いて行った。
山瀬が神戸警察署に派遣されたのは、昨年だ。警察学校を卒業後、大阪にある住之江警察署に勤めていたのだが、その後東京の中央警察署に移動になり、定年まであと2年となったところで神戸に移されたのだ。
山瀬にしてみれば、定年後は大阪に戻って静かに暮らしたいと思っていただけに、願ったり叶ったりだった筈なのだが…
山瀬がトイレから戻ると、刑事課は先程以上に騒がしくなっていた。
山瀬は席に座り、向かいで電話対応に終われている早瀬を捕まえ聞いた。
「なんや、また誘拐か?」
「いや、今度は爆破予告です」
「爆破予告?場所は?」
「神戸空港です。山瀬さんも手伝って下さいよ」
そこまで言うと、早瀬は再び電話を取った。