「うん。名前を聞かれたんだけど、漢字まで聞いてきたの」

安田は「なんだろうなぁ」と言い、首を傾げた。

「ねぇ、松岡ってどんな客?」

幸治が聞いた。

「どんなって言われてもねぇ。てか、あんたはホール出てないだから、言ったって分からないでしょ。ね、安田さん」

安田は腕を組み「まぁなぁ」と言いながらも上の空で、なにか考え事をしているような様子だった。

幸治は、自分の事なのにのけ者にされたような気分になり、ふて腐れた。

「そんな事言ったってさぁ、もしかしたら知ってる人かもしれないじゃん。幼稚園の頃の友達とか」

「ないない。だって松岡さんは、明伸大学だよ。あんたと違って、お坊ちゃんなの」

「おれも社長の息子だけど。てか今は社長だし」

美帆はハァと溜息をついた。

「次元が違うの。次元が」

その時、安田が何か閃いたように口を開いた。

「おい幸治。お前、松岡の事知ってるぞ。前に客に睨まれたって言ってたろ。あれが松岡だ」

美帆は「あぁ、そういえば」と言い、ヘラヘラと笑ってごまかした。

しかし、幸治は何も言わなかった。いや、言えなかったのだ。

自分の事を睨んでいた人間が、自分に興味を示している。

そして自分は彼の事を知らない。

気味が悪いとしか言いようがない。

幸治は、全身に鳥肌が立つのを感じた。

「なんか理由は言ってなかったのか?」

安田が聞いた。

「言ってたよ。私と仲良くしてるのが気に入らないって。でも、おかしいの。私、店では幸治と接する事ないのに」

「確かに、おかしいな」

「きっと彼は、一緒に住んでいる事を知ってるわ」

「だろうな。でなきゃ、そんな理由出てこないもんな。しかも、でっちあげのな」

「でっちあげ?」

幸治が聞いた。

「あぁ。だって、おかしいだろ。奴は、店でお前と美帆が仲良くしてるところなんて見てない。なのにそんな理由を言うって事は、一緒に住んでいる事を知ってますよって言ってるようなもんだ。そしてそれは、自分が尾行なりなんなりしてる事を、美帆にバラしちまう事になる。さすがにそんな馬鹿な真似はしないだろ」