でもソレ、もう手遅れだから。
(コレかー…)
(コレっスねー…)
さっき年配の仲居に聞いた話を確認するように、由仁と日向は視線を交わして頷き合った。
雑草に紛れて咲いていたという、ささやかな夾竹桃。
それが今では我が物顔で咲き誇り、旅館の庭園で見た向日葵たちよりも日向の目を奪う。
『裏口をほとんど使っていなかった』
と言うのなら、ココは誰も見向きもしないような、寂しい場所だったに違いない。
そんな場所に、日々通って。
幾月も、幾年も通って。
花を咲かせ続けた清司郎は、どんなキモチでいたのだろう。
夾竹桃を好きだと言った人は、もういないのに。
帰ってこないのに。
そして、そんな清司郎に寄り添い続けた瑞穂は、どんなキモチでいたのだろう。
夾竹桃を好きだと言った人は、もういないのに。
今、傍にいるのは自分なのに。
なんつーか…
(切ないなぁ…)
感じた痛みに誘われるまま、日向は小さな手を胸に当てた。
そして、なんとなく縋るように隣に立つ由仁を見上げる。
彼はまた無表情だった。
美しいが物言わぬ、夾竹桃のようだった。
「それで、先生…
昨夜、怪しい光を見たのは、この場所からなンです。」
立ち止まった瑠璃子の声で、由仁は我に返った。
「どの辺りに見えましたか?
どんな様子でした?」
「夾竹桃で見えにくいと思いますが、あの壁には窓があるンです。
ソコから漏れるような感じで…」
杏子の問いに答えながら、瑠璃子は母屋の壁を指差した。
ひょっとして、例の座敷牢の窓だったり?
ソレは見逃せませんナ。
「ヒナ、おいで。」
由仁が手を差し伸べると、大きなアーモンド型の目でジっと彼を見つめていた日向が、小さく頷いた。
手を取り合って、母屋の壁に沿って進む瑠璃子と杏子の後に続くと、さほど歩く必要もなく、すぐに窓は見つかった。
その窓は‥‥‥
え?
ソレ、ほんとに明かり取りの窓?
縦20㎝、横1m程の細い窓で、ガラスが嵌め殺しになっているようだ。
まぁ、コレは当然だろう。
開閉自由なら、座敷牢の意味を成さない。
不思議なのは、窓がある位置。
膝より下の高さにありマスネ。
コレ…
低すぎない?
顔を見合わせた由仁と日向が腰を屈め、二人仲良く中を覗き込んでみるが…
やっぱり、暗すぎてナニも見えない。
「座敷牢は地面に穴を掘って作ったというか…
半地下?のようになっているンですの。」
由仁と日向に近づいた瑠璃子が、同じように腰を屈めて解説をくれた。
地下て。
竜巻避難所か。
だが、こりゃ確かにコワいわ。
こんな下に見えたってなら、地を這う光になっていたハズだ。
その光がユラユラしてたってなら、下からライトアップされた夾竹桃もユラユラしてたってワケだ。
よくある宙に浮いた火の玉的な光より、よっぽどホラーだヨネー?
そんな怪奇現象、ちょっと目撃してみたいケド。
いやいや。
是非とも目撃してみたいケド。
ソレはまたの機会にして、今は別のコトを考えましょうかネ。
身を起こした由仁は、ピンクの花畑と化した裏庭に再び目を向けた。
窓の内側からこの景色を見るコトは可能だろうが、逆にココから中の様子を確認するコトはできない。
やはり鍵となってくるのは、紛失したという座敷牢の鍵。
…
や、シャレじゃねーよ?ホント。
瑠璃子に促された三人は、母屋の裏口に向けて歩き出した。
ガタガタと音の鳴る木の引き戸を開けると、竈や井戸がそのまま残る土間があった。
昔は本当に炊事場として使用していたのだろう。
奥には、古い建築にありがちな高低差の大きい上がり口。
そして、歴史を感じる黒ずんだ板張りの廊下。
その廊下で、仏頂面の孝司郎が待っていた。
わかるよ。
ホントは不本意なンだよネ。
だけど、離婚まで決意しちゃった奥さんには逆らえないンだよネ。
無愛想なりに杏子に向かって頭を下げた孝司郎は、ボソボソと昨夜の非礼を詫びた。
だが、すぐに踵を返して歩き出してしまう。
座敷牢まで案内してくれるようだケド…
早ぇよ!
段差が大きすぎて、靴を脱ぐのも時間かかンだよ!
瑠璃子なんて、建て付けの悪い引き戸を閉めようと、未だに格闘してンだよ!
ちょっとは待てやぁぁぁぁぁ!
もう…
これだから、坊っちゃん育ちの長様(笑)は…
一様に苦笑いを浮かべた杏子、由仁、そして日向は、孝司郎の後を小走りで追いかけた。
廊下の角を曲がって。
これまた黒ずんだ木戸を潜ると出現する、急な階段を下りて。
半地下だからか、やけに天井の低いスペースに出ると…
ハイ、ありました。
座敷牢の扉。
「こちらが座敷牢として使っていた部屋です。」
少し腰を屈めた孝司郎が、やはり無愛想に言った。
なんの苦労もなく手の届く天井だ。
杏子と日向はともかく、男性では普通に立っていられない。
由仁なんて腰どころか膝まで曲げて、完全に中腰状態デスYO!
「中はどうなっているンですか?」
「畳敷きになっています。
当時は布団や樋箱… ポータブルトイレと言うんですか?
そういう生活用品も入れてました。
今はナニもありませんがね。
大人しく座っているぶんには、快適な環境だったと思いますよ。」
杏子の問い掛けに、横柄且つ饒舌に応じる孝司郎。
だけどネー?
なんかネー?
言い訳じみて聞こえるよ?ソレ。
ヤマシーコトはありません、みたいな?
ワルイコトなどしてません、みたいな?
ココにはナニもありません、みたいな…
クドクドと続く孝司郎の説明を聞き流しながら、由仁は座敷牢に近づいた。
扉自体は木で出来ているものの、閂や閂持桟、閂鎹などは全部鉄製。
しかも接合部分はガッツリ溶接されている。
そして…
かなり大振りな錠前が掛かっていた。
所謂、和錠というヤツだ。
紛失したのは、このアンティークな錠前の鍵というワケか。
そっと手を伸ばしてその錠に触れた由仁は、鍵穴を確認してから振り返った。
「ココは無関係でしょう。
ずいぶん前から開けることもできませんから。
その妙な光も、 違う場所から」
「ねー、この扉、壊しちゃダメなのー?」
「っ」
延々と続く独壇場を遮って由仁が声をかけると、孝司郎は恰幅のよい身体をビクリと揺らして硬直した。
なんともわかりやすい動揺だ。
「こ…
壊す必要があるとは思えんな!
中にはナニもナイのだから!」
語気を荒らげて返答するものの、孝司郎は決して由仁と目を合わせようとしない。
それどころか、急激に顔色が悪くなり、額には脂汗まで滲ませている。
冷めた眼差しで孝司郎を眺めていた由仁は、不意に口角を持ち上げて妖しく嗤った。
「ふーん?
そーまで拒否されると、余計入りたくなっちゃうナー?
ナニが隠されてンだろナー?」
「っっ」
あからさまな挑発に、孝司郎は再び硬直し…
痙攣を疑うほどに、全身をガタガタと震わせ始めた。
(…
ナニ? このオッサン…)
少し離れた場所で大人しく様子を見ていた日向は、訝しげに眉をひそめた。
孝司郎の態度はオカシイ。
特に、由仁に対する態度が。
反発?
敵愾心?
いや、違う。
ソレは… 恐怖?
日向は、昨夜初めて由仁を見た時の、ゾンビ化した孝司郎を知らない。
だが、今日のこの一場面を切り取っただけでも、孝司郎の反応は充分異常だった。
由仁と接して、程度の差はあれ赤面するヤツは大勢見てきたが、こんなに顔色を悪くするヤツは初めてだ。
生唾を何度も飲み込んで震える身体を宥め、孝司郎はなんとか声を張り上げるが…
「だだ黙れ!
ナニもナイと言って」
「あなた!
やめて下さい!!」
ハイ、階段を下りてきた瑠璃子に叱られたー。
「お客様なンですよ!
しかも先生方は、妙な呪いをなんとかするためにコチラからお招きした、大切なお客様です!
お帰りになってしまわれたら、どうするおつもり?!
いい加減にして下さらないと、私にも考えがありますよ!」
…
『考え』って、離婚デスヨネ。
ワカリマス。
眉を吊り上げる瑠璃子を前に、孝司郎は慌てて口を噤む。
そりゃサスガにマズいもんネー?
コッチとしても、離婚原因になるのはゴメンだしネー?
場に流れる気まずい空気を紛らわすように、杏子が明るい声を上げた。
「とりあえず出ましょうか。
ココには、もう見るモノもないようですし。」
「先生、いかがでした?
その… 例の件は…」
「この牢には、私が思っていたよりも大勢の人が拘留されていたようですね。
多種多様の残留思念が混ざり合っていて、呪いの源を炙り出すには時間がかかりそうです。」
縋るように訊ねた瑠璃子の肩を抱いた杏子が、シレっと口からデマカセを垂れ流しつつ階段に向かって歩き出す。
まじでスゲェな、ほぼ詐欺師の口八丁。
半分呆れながら、もう半分は感心しながら、由仁と日向も二人の後を追った。
上って、歩いて、来た道を辿って…
土間に戻ってみると、一部分だけ様子が変わっていた。
ほんの些細な。
だが、ココに居合わせた誰もが気づく、一部分。
靴が多い…
由仁のスニーカー。
日向のサンダル。
杏子のピンヒール。
孝司郎の革靴。
瑠璃子の草履。
そして…
履く者の心当たりがない、古びたスニーカーが片方だけ……
首を傾げた瑠璃子が言う。
「まぁ、お見苦しいトコロを…
誰か戻ったのかしら?
あら、でも、仲居なら草履だし…」
そーゆー問題なの?コレ。
仲居サンでも板前サンでも、片方だけってのはなかなかねェだろ。
素早く自分の靴を履いて土間に下りた由仁は、謎のスニーカーを拾い上げた。
最もオーソドックスな形の、白のコンバースだ。
サイズ的には子供か女性。
ソールがあまり減っていないにも関わらず、布生地部分のほつれや劣化は激しい。
そして…
至るトコロに付着した、泥とドス黒いシミ…
「寄越せ!!!」
悲鳴にも似た声が上がると同時に、由仁の手からスニーカーが奪われた。
全員の視線が集まる。
ソコには、追いついてきた孝司郎が立っていた。
唇まで青ざめ、由仁から奪い取ったスニーカーを隠すように抱え込んだ孝司郎は…
「なんで… なんでココに…
おまえは… おまえは…
なんでなんでなんでなンデ…」
…
壊れかけのRadioってか、完璧にイカレたRadioになっちゃった。
孝司郎の呟きは、掠れすぎて、早口すぎて、理解し難い以前に聞き取れない。