うん、カワイイね。
いつもの笑顔だね。
お悩みオーラは払拭された。
かと言って、やっぱ色気は皆無だケドさ。
「…うふふ。
よかった。」
目元を和ませた百合が、意味ありげな含み笑いを漏らす。
そして、ソファーに転がったままの秘密箱に視線を落とし、眉根を寄せた。
「ね、コレ、ヤバいモノ?
ナニが入ってンの?」
「あ… コレは…」
答えようとして、日向は言葉を詰まらせる。
ヤバいモノ。
確かにそうだ。
男を殺して、自らも命を断った女の怨念の結晶なのだから。
幾人もの恋に悩む女のコを引きずり込み、巻き添えにしてきたのだから。
だが、もう壊れた。
本人が意図したわけではないが 由仁が日向を捜すついでに因果を断ち切った。
女が最期に見せた優しく儚い笑顔を思い出す。
今、この中に残っているモノは…
「守られることのなかった、悲しい約束が入ってました。」
日向は箱を拾い上げ、ギュっと抱きしめた。
来世があるのならと、願わずにはいられなかった。
その頃空狐は、窓の外で三年一組の教室を覗き見ていた。
漏れ聞こえる声の主は、言うまでもなく由仁と樹。
「俺、カワイソー。
俺、カワイソー… ブツブツ…」
「…
ジン、おまえはナンナンダ?」
「寸止め食らった、カワイソーな俺デスケドー?」
「煩悩は置いとけ。
瞳の色が変わっていた。
顔に落書きが浮かんでいた。
おまえは、ナンナンダ?」
「落書き言うな。
俺、九尾の狐なンだってー。」
「…」
「あ、引いちゃったー?」
「いや… 腑に落ちた。」
「へ? なんで?」
「妲己、華陽夫人、玉藻御前…
で、おまえ。な?」
「ナニソレー?
酒池肉林とか興味ナイしー。
ヒナと二人で晩酌がイイー。」
「なるほど。
一年女子がいれば、世界は安泰というワケか。」
「ハハ、だネー。
だから…
今日は、ほんとありがと。」
「フハハ、崇めろ。
世界を救ったヒーロー様を。」
日向がいれば、世界は安泰。
だけど…
いなくなったら?
「危ういのぉ…」
長い髭を伝う雨粒を振り払った空狐は、苦い呟きを残して姿を消した。
衝撃に次ぐ衝撃の場合
「そんなコト…
許されるンですか…?」
こめかみを伝う汗。
皿のように見開かれたアーモンド型の目。
掠れて震える声。
荒唐無稽すぎる話に、日向は強い衝撃を受けていた。
「そだネー。
許されるワケないヨネー。」
夏の陽気でさらに胸を露出させた由仁は、相変わらずどーでも良さげ。
「ジン、しっ!
わかってるなら、もう少し声を落として。」
唇に人差し指を当てた百合が、素早く周囲に視線を走らせる。
「許されない…
だが、やらざるを得ない。
苦渋の決断というヤツだな。」
腕を組んだ樹が、ナゼか余裕ありげに口角を持ち上げる。
ナニ?この深刻そうな会話。
許されないって、ナニ?
もしや… 犯罪?
夕方のファーストフード店。
冷房が効きすぎているからか。
はたまた戦慄からか。
軽く身震いした日向は、三人の顔を見回しながら恐る恐る訊ねた。
「本当なンですか…?
次のテストで一番だったら、先生が旅行をプレゼントしてくれるなんて…」
うっは。
そりゃ許されねーわ。
何度も言うが、藤ヶ丘高校は有数の進学校だ。
学力考査ではかなりのレベルの成果を求められる。
だがそれは、生徒たちに限ったコトではない。
教師たちにも担当クラスの底上げが課せられる上、その成績が教師自身の評価や給与査定に直結するのだ。
地獄か。
だからテスト前は、教師も生徒も尻に火がついた状態。
今回、三年一組は特に。
どーしてかって?
中間テストの結果が散々だったからデスぅ。
成績順のクラス割りのクセに、二組に追い越されそーだからデスぅ。
百合が樹のノートを二組で拡散させたのが、原因なンですケドネー。
下からの追い上げがあるとは言え、自分たちの成績が落ちたワケではない一組生徒に、そこまでの焦りはナイ。
むしろ猛烈に焦ったのは担当教師。
脅迫観念と保身と、生徒を思う情熱の波にグっチャグチャに翻弄されて…
『よーし!
今回学年一位になった生徒に、俺のポケットマネーで豪華バカンスをプレゼントだ!
他のクラスには内緒だゾ☆』
なーんて言い出しちゃいましたYO!
当然、許されないヨネー?
そうと知ってはいても、オイシー話に食いついちゃうのが人のサガというモノでありまして…
「ほんと、ほんと。
近場とはいえ、海の見えるリゾートホテルに一泊二日ペアでご招待。
センセー、太っ腹だヨネー。」
跳ねた毛先を指でクルクル弄びながら、悪戯そうに由仁が笑った。
身体を斜めにして頬杖をついたその姿。
気怠いネ。
しどけないネ。
クっソ暑い夏でも、その色気は衰えを見せマセンネー。
首をブンブン振って由仁のセクシービームを払った日向は、涼しい顔でポテトを齧る樹を見た。
「イイですね。
吉岡先輩と一緒に?」
「当然だ。」
「新しい水着、買っちゃおっカナ。」
軽く頷いて目元を和ませる樹と視線を交わして、百合も笑う。
不純異性交遊とか言わないで。
コイツら、既に夫婦もどきだから。
微笑ましいカンジだから。
二人の笑顔につられて、日向も唇を綻ばせた。
が、納得いかない男が一人…
「なんでヒナが、そんな幸せそーに笑ってンのー?
てか、なんで樹で決まり、みたいな話になってンのー?」
頬杖をついたままの由仁が、不服そうに眉を顰めた。
ナニ拗ねてンだか、この男は。
日向は小首を傾げて苦笑した。
「楽しそうだなって思ったダケですよ。
東堂先輩で決まりなのは…
まぁ、決まりでショ?」
なんの気ナシな、その言葉。
由仁の目がスっと細くなった。
「ふーん?
じゃ、もしも俺が一番取ったらどーする?
ヒナ、一緒に行くー?」
「イイですよー。
先輩が一番取れたら。」
「じゃ、黒の紐ビキニなんかも着てくれたりー?」
「イイですよー。
先輩が一番取れたら。」
「ふーん?
そっかー。」
親指で下唇を撫でながら、由仁が妖しく嗤う。
その挑発するような笑顔を正面から受け止めて、日向も可愛くニッコリ笑う。
だって…
ムリだろ。
ナイだろ。
一番とか。
(東堂先輩がいるとかいないとか以前に、先輩が自主的に勉強してるトコなんて見たコトないし。)
だから、余裕。
黒ビキニなんてあり得ない。
「なら、ちょっと勉強しちゃおっかナー、俺。
ガッコ戻って教科書取ってくるから、ココで待っててくれるー?」
指でバイクのキーを回しながら、由仁が立ち上がる。
ってアンタ、教科書、学校に置きっパなの?
ひょっとして、試験期間中もずっと?
そりゃ、ちったぁ勉強したほうがイイよ。
「ハイ、待ってます。」
やっぱり余裕で、日向はヒラヒラ手を振った。
だが、店を出る由仁を見送り、樹と百合に視線を移すと…
「ナ… ナンスカ???」
ギョっとして顔を引きつらせた。
樹が目をギラギラさせて不気味に笑っていたから。
百合がカワイソーなコを見るような目をしていたから。
「日向…
イイの? あんな約束して…
黒ビキニよ? しかも紐よ?」
両手を揉み絞った百合が悩ましげに問いかける。
いやいや…
そんな心配そうな顔しないでよ。
「万が一にも、ナイっスよ。
先輩が一番とか… でショ?」
ほんの少し不安を滲ませて。
それでも余裕を掻き集めて。
日向は百合に微笑みかけた。