「それに今、こうやって二人でいられてるじゃないですか。」


それだけで十分なの。


だってこんな素敵な人が、私だけのために時間を作ってくれてるんだよ。


本当は凄く忙しいはずなのに。


「…凄く可愛い事言うんだね。」


切羽詰まったような弥先輩の声が耳元から流れてくる。


それは、いつも年上の余裕であたしをリードしてくれる弥先輩とは違っていて、あたしは少し戸惑う。


だけど、戸惑っている暇なんてなかった。


気付いたら、弥先輩の右手があたしの顎を掬い、視界が右に動いた。


次の瞬間、視界いっぱいに端正な顔が映り、あたしの唇には弥先輩の唇が優しく押し当てられた。


「ごめん、沙羅ちゃんがあんまりにも可愛くて。」


唇が離れた後、弥先輩はあたしを放し、目を反らして言った。


そんな弥先輩を見てから、なんだかあたしも恥ずかしくなってきて、弥先輩の
顔が見れなくなった。


でも、弥先輩のことをもっと見ていたくて、あたしはゆっくりと弥先輩を見ようとした。


だがその前に弥先輩がもう既にこっちを見ていて、さっきのキスみたいにあたしの頬に優しく触れた。


「沙羅ちゃん。」


「はい…」


「僕と付き合ってくれてありがとう。
月並みな事しか言えないけど、こんなに幸せなクリスマス初めてだよ。」




あたしが思っている事が弥先輩の口から流れてくる。


同じ気持ちを抱いてくれている事が、弥先輩の少し照れた微笑みが、あたしの心を満たしていく。


来年もこんな風に過ごせたらいいのにって、贅沢な願いが頭を過る。


「それからこれ、クリスマスプレゼント。」


弥先輩はずっと隠し持っていたのだろうか。


愛らしいオレンジ色の袋をあたしに差し出す。


「開けてもいいですか?」


「勿論だよ。」


檸檬色のリボンをほどくと、上品だけととても可愛らしいピンクの手袋が見える。


「何欲しいか分からなかったけど、沙羅ちゃん、いつも手袋してなかったから。」


そう、弥先輩の言う通り、あたしは手袋を持っていなかった。


なんとかしてマフラーは買ったけど、手袋まで買えなくて今年は諦めていた。


弥先輩、あたしのことよく見ててくれたんだ。


「嬉しいです。凄く。…でもごめんなさい、あたし何にも用意してないんです。」


思えば今日の出席が決まってからずっと、パーティーでちゃんとしなきゃって気持ちでいっぱいだった。


弥先輩のお客さんなのに、弥先輩に恥をかかせたくなかったから。


言い訳になるけど、プレゼントを考える余裕なんてなかったんだ。


こんなにも好きな人との初めてのクリスマスなのに。






「いいよそんなの。
忙しいのに、今日のために一生懸命勉強してくれたの知ってるよ?
僕はそれで十分。」


優しい言葉が次々と紡がれる。


勿論、貰ったプレゼントは凄く嬉しい。


でもあたしにとっても、こんな時間が一番嬉しく思えるんだ。


だからこそ、用意出来なかったが悔やまれる。


「来年のクリスマスはちゃんと用意しますから!
あと誕生日も…あれ?弥先輩、誕生日いつでしたっけ?」


「4月15日だよ。」


「4月ですね!
去年は全然知りませんでした。」


「だろうね。
沙羅ちゃんが生徒会入るって決めた頃だったね…今、思えば、凄い誕生日プレゼント貰ったよ。」


「え?」


「沙羅ちゃんが生徒会に入ってくれた事。
変更の多い年だったけど、沙羅ちゃんのおかげで色んな事ができたし、それに…僕の末期毎日も凄く充実してる。」


「それはあたしもですよ?
生徒会入って色んな事経験できて、弥先輩にも会えて…驚きましたけど、素敵なスタートを切れました。」


「そう言ってもらえると嬉しいよ。
これからもよろしくね?」


「はい!」


世界は思わぬ方向に向かう時がある。


予想外の苦労もあれば、予想外の苦労もある。


あたしは両方手に入れて、今に至った。


そう、こんな素晴らしい時間だ。


耀く光に包まれて、ガラスの向こうも色んな光でキラキラしていた。





「とうとう今日だね。」


「うん、華羅お姉ちゃん、一緒に頑張ろうね。」


今日は小金井さんと、表向きはお食事に行く日、場所は小金井さんのお屋敷だそうで、家の前まで車で迎えに来てくれる。


真冬にも関わらず、朝の支度をしている今も手から汗が止まらない。


「そこまで緊張することないでしょ。
したところで何も変わらないじゃない。」


洗濯機の操作を終えた由羅お姉ちゃんがひょっこりと顔を出す。


由羅お姉ちゃんの言う通りだ。


緊張したところで、あたしはあたしだ。


あたしに出来る事しかできない。


それは分かっているのだが、


「でもね、今日失態を晒したら、来年の生徒会がなめられちゃう。」


再来年は絵恋ちゃんが継いでくれるから何も心配はない。


正真正銘どころか、上流階級の中でも上流に位置するお家のお嬢様だ。


だがあたしは違う。


誰もあたしのことなんか知らない、知られてないような家の子だから逆に注目される。


だから今日、せめて小金井さんにはあたし達を認めてもらわないといけないのだ。


今まで先輩達が築き上げてきた生徒会の面子を今年潰すわけにはいかない。


それが今日のあたしの役割だ。





着ていくものは制服だ。


服を貸そうか香里奈先輩が言ってくれたが、あたしもお姉ちゃんもお断りした。


香里奈先輩が貸してくれるものだから、小金井さんのお家に行くに相応しい、上品で綺麗な、それでいてあたし達に似合う服を貸してくれたと思う。


でもそれを着たあたし達は、等身大のあたし達じゃないと思う。


小金井さんからしたら、あたし達はそんな服を普通に着れる人間じゃないから、貸衣装なのバレバレだと思うし、多分そんな事したら最初からなめられるだろう。


だったらどうするか…そう考えた時に、あたしも華羅お姉ちゃんも、毎日着ている制服を選んだ。


あたしが1年間、華羅お姉ちゃんが2年間頑張ったことを最もよくわかってくれている服だから。


それに、学生にとって制服は正装だしね。


こうして選んだ服に袖を通して、あたし達は家を出た。


車で来てくれるそうだから、寒いけどちゃんと外で待っておこうと華羅お姉ちゃんと決めたのだ。


1月の朝、幸いにも風はあまり吹いていなかったが、足下が体温が奪われていくのが分かる。


カイロをぎゅっと握りしめながら、15分程待っただろうか。


地域に不相応な黒く長い車が見え、あたし達の前に止まった。


止まって数秒後にドアが開かれて、小金井さんが車から出てくる。


「おはよう。
寒い中お待たせして申し訳ない。
さあ、中へどうぞ。」


淡々とした口調に促されるまま、あたし達は車に乗り込んだ。


初めて乗るわけじゃないからもうこの車自体には驚かないけど、普段と違う雰囲気には少し緊張してしまう。


あたしはカイロを鞄にしまうと、自分の手をぎゅっと握った。





小金井さんのお宅に着くまで、特に会話らしい会話はなかった。


ただじっと時を過ぎるのを待つ時間は、弥先輩のお家の車に乗せてもらう時とはまた別の感覚だった。


強いて言うなら、初めて絵恋ちゃんに会った時と似ている。


でもあの時とは違うのは、華羅お姉ちゃんがいること。


一人じゃない心強さが今のあたしを支えているのだ。


冬独特の静まった空気の中を、暖房から吹く風が、進んでは止まりを繰り返している。


おかげで用済みになったカイロが、鞄の中で心臓のような熱をもて余していた。


小金井さんに言われて車を下りると、そこは天にも届きそうなマンションが聳え立っていた。


あたしも華羅お姉ちゃんも、思わずその高さに驚く。


しかし、ここにいつも来ているであろう小金井さんはスタスタとマンションの中に入っていく。


あたし達はその後をついて歩くと、エレベーターに乗り、最上階を目指した。


最上階に着くと、エレベーターはゆっくりと扉を開き、あたし達に別世界を見せる。


ホテルのような絨毯が敷いてある廊下を進むとすぐに、重厚なドアが目に入る。


小金井さんはさも当然のようにそのドアの鍵を開けた。


カチャッという乾いた音と共にあたし達は中へ案内された。


弥先輩の豪邸を経験しているせいか、中でそんなに驚く事はなかったけど、掃除が行き届き、細かなそうしょくな美しい家具が並ぶそこは、間違いなく勝者の住まいであった。


あたし達がソファに座るや否や、お手伝いさんがワゴンに紅茶とお菓子を持ってやって来た。


「さあそんに堅くならずに。
今日は貴女方に学校でのお話を聞かせてほしいのだよ。」


そう言った小金井さんの顔は、何を考えているのか分からない穏やかな顔をしていた。





「どうかな、学校は…生徒会の方は。」


ティーカップに口をつけた小金井さんは、愛想の良い笑みを浮かべながら本題に入る。


「…生徒会は大変な事も多いですが、その分、楽しい事や達成感もあって、毎日が充実しています。」


華羅お姉ちゃんがあたしより先に話したくれる。


華羅お姉ちゃんがいてくれ本当に良かった。


あたしはそう思いながら、少しずつ緊張を解いていく。


「沙羅さんの方はどうかね?」


小金井さんがこちらを向く。


少し肩の力が抜けたあたしは、自然に微笑む事が出来た。


「あたしも姉と同じです。
付け加えるとするなら…きっと生徒会に入ってなかったら出来なかった事、学べなかった事に沢山出会えたと思ってます。」


部活したり、バイトしたり、勉強に専念したり、そんな生活もきっと違った素晴らしい生活を送れたと思う。


でもあたしは生徒会に来れて色んな人、場面、感情に出会った。


追い詰められる事もあったけど、今では良い思い出だ。


それに、4月からの全てが今のあたしの糧だ。


そう思うと、あたしの心は少しずつではあるものの軽くなっていく。


小金井さんは今のあたしがお話させてもらうには大きすぎる人だけど、怖がらなくていい。



それに、前向きなのが良いって絵恋ちゃんがパーティーの時に言ってくれた。


先輩達や光唆だって、あたし達なら大丈夫だって言ってくれた。


勇也先輩なんか、自分が行くよりあたし達が行く方が安心できるって言ってくれた。


そう、華羅お姉ちゃんが今いてくれる事もありがたいけど、ここにいなくてもあたし達を応援してくれる人達は沢山いる。





だから臆する事なく堂々と話そう。


小金井さんの娘さんと来年に生徒会で一緒になるなら尚更の事だ。


頼りない先輩に娘を預けるのは、小金井さんも嫌に違いない。


あたしは真っ直ぐに小金井さんの目を見て、次の言葉を待った。


「具体的にはどんな事が大変?」


小金井さんの質問に、今度はあたしから答えた。


「そうですね、生徒会だからって、任される事を全部自分達で決めれない事に苦労する事があります。
例えば行事に関する事だと、先生達に色んな許可をもらうのは勿論ですけど、関連の委員会の意見も、多少難しい事でも取り入れないたいけないです。
そこをどうにか取り入れたり、逆に説得しないといけなかったりもするんですけど、そこが大変だと思ってます。」


さっきとはうってかわって、落ち着いた口調で話す事が出来た。


背筋も意識しなくてもピンと伸びるようになった。


その事に華羅お姉ちゃんが驚いているのが、左肩から伝わって来る。


でもそれ以上に、小金井さんの雰囲気が変わった気がした。


微かにだけれども、あたしを見る目がさっきとは違う。


「そうかそうか。
それは大変そうだね。
華羅さんはどうかな?」


「そうですね。
私が大変だと思う事は失敗する事が出来ない事です。
私も今年から生徒会に入って、何もかも完璧ではないですけど、私が失敗したら、他の事で忙しいメンバーの手を煩わせるので。」


先輩の方が抱えている問題の質が大きかったりする。



特に去年からいて、今年が中心メンバーの弥先輩と勇也先輩、この二人を見ていると、目が回りそうになる。





2年目だけあって学校のこと、生徒会のこともよく知っている。


勇也先輩は、聖也先輩から色々聞いてるから余計にそうなのかもしれない。


その分、責任の大きい仕事ばかり抱えている。


そんな先輩達が凄いって弥先輩に言ったら、来年はあたし達がやるんだよって言われた。


あたしなんかに出切るのかとても不安だ。



でもだからこそ、将来のことを不安がるよりも、今の事を真剣にやらないといけないと思う。


これ以上、やる事を増やしちゃ迷惑かけちゃうから。


そんな話を、あたし達3人は延々と話していて、気が付けば2時間弱話していた。


そして、生徒会役員としての最後の質問がこれだった。



「うちの娘に何かアドバイスはあるかな?
そうだな…華羅さんから。」



「そうですね。
とりあえず覚悟して下さい。
先輩や同期の子達は私達とは違って、この生徒会の目的や入ってからの事をある程度知っていながら入会していますけど、それでも、特に最初の1年間は想像以上だと言っています。
これまでにもお話ししましたが、ハッキリ言ってキツい事だらけです。
だから覚悟を決めて入学式に来て下さい。
初日は入学式ですから。」


「あたしは…姉と真逆の事を言うかもしれませんが、楽しんでほしいです。
姉の言う通り覚悟は決めてから来てほしいです。
何も知らされないでいきなり生徒会に入ると、悩む事も多いですから。
でも本当にやりがいあるんです。
ここまで色んな事が出きる生徒会って、他の学校ないですし、ここでしか出来ない事、辛い事も沢山ありますけど、小金井さんのお嬢さんとも一緒に楽しみたいです。」


あたしが話し終えると、小金井さんはニコニコと笑っていた。


逆にあたし達は笑えなかった。


何かまずい事を言ってしまったのではないか、ここに来て不安が押し寄せてくる。


華羅お姉ちゃんは、少なくともあたしの中では完璧な返答をしていたから、失敗したとしたらあたしだ。